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【カイロ民衆蜂起・第2幕】 金曜礼拝に1万人超 軍、警察は姿見せず
2011年11月26日 00:36
25日、今回のタハリール広場占拠後、初めての金曜礼拝が行われた。前回(1月〜2月)の市民革命の際、第1回目の金曜礼拝で数十人の若者が治安警察によって射殺されている。
権力者と取巻きだけが暴利を貪るのは「神の下の平等」を定めたイスラムの教えに反する。独裁政権への反発が高まる金曜礼拝は、政権にとって目障りな行事なのである。今回の蜂起でも38人がすでに死亡している。
この日も、緊迫した金曜礼拝となることが予想された。礼拝は12時頃から始まるのにもかかわらず、タハリール広場には朝から民衆が押し寄せた。礼拝の前ぶれとなるアッザーンが流れる頃、広場は身動きもとれないほどの人で埋め尽くされた。1万人は軽く超えているだろう。
高僧が説法を始めた。マイクのボリュームは一杯だ。「我々は殉教者のためにも今の体制を終焉させなければならない。タンタウィ(軍最高評議会議長)らのおかげで我々はまともな生活ができない。体制を握る人々はずっと働いていない。彼らを裁判所に送って罪人と同じ扱いにしなければならない…(後略)」。
20分間ほどの説法が終わると、民衆はメッカの方角に向かって祈りを捧げた。「アラーアクバル(神は偉大なり)」と唱えながら頭を地面スレスレにつけるイスラム独特の礼法である。1万人を超える人々の衣擦れの音が、厳粛に響いた。
左足に分厚く包帯を巻いて礼拝に参加しているのは、シャバン・アブアジズさん(56歳・タクシー運転手)だ。警察から棒で打たれ足を負傷した。月収は1千エジプト・ポンド(約1万3千円)。「収入が少なくて生活が厳しい。タンタウィは一般市民を殺してもいいと思っている。早く刑務所に送るべきだ」。
「私を千回殺して下さい。それでもここに居続けます」と書いたプラカードを掲げる青年の傍を「我々は死んでもデモを続けるぞ」と叫ぶデモ隊が通る。
軍も警察も、この日の金曜礼拝には姿を現さなかった。
http://tanakaryusaku.jp/2011/11/0003227
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【カイロ蜂起・第2幕】エジプト民主化 行く末決める軍の動向
2011年11月25日 02:37
救急車がサイレンを鳴らしてけたたましく走り、負傷者が野戦病院に運び込まれる。広大なタハリール広場を埋め尽くす人の波も熱気も前回(今年1月〜2月)の市民革命とほとんど同じだ。
違うのはスローガンだ。「ムバラク(大統領)去れ」が「タンタウィ(軍トップ)はノー」に変わったことだ。この違いはあまりにも大きい。前回の市民革命では、軍は静観を決め込んだ。連日1万人を超える民衆が打倒ムバラクを叫んで、タハリール広場を占拠したが、軍は一切、手出ししなかった。
軍は腐敗しきったムバラク政権を見限っていたのである。占拠から18日目、民衆はムバラク大統領を辞任に追い込んだ。軍が無言の“援護射撃”をしたおかげとも言える。
30年にも及ぶ独裁政権を民衆の力で打倒したことは「アラブの春」と持て囃された。全米に広がる「Occupy行動」は、アラブの春に影響を受けたものである。
だが、お膝元では春風はほんの上っ面を撫でただけだった。人々を締め付ける大本である軍の特権は維持されたままだった。
タハリール広場を埋める民衆蜂起第2幕は、軍に特権の放棄を迫るものだ。エジプト最大の産業である軍が特権を捨てて、果たして自らを維持できるのか。
とはいえ軍の動向がエジプト民主化の行く末を決めることになる。28日から始める議会選挙をはさんだ、ここ1週間がヤマ場となるだろう。
http://tanakaryusaku.jp/2011/11/0003219
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