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カダフィ大佐死亡 リビア国民評議会司令官表明 42年の独裁に幕 (産経新聞) 
http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/263.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 10 月 20 日 22:42:52: igsppGRN/E9PQ
 

カダフィ大佐死亡 リビア国民評議会司令官表明 42年の独裁に幕
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111020/mds11102022130006-n1.htm
2011.10.20 22:10  産経新聞


 【カイロ=大内清】リビア全土の制圧を進めている反カダフィ派部隊は20日、カダフィ派の最後の拠点である中部シルトを制圧、反カダフィ派の代表組織「国民評議会」の軍事司令官は同日、最高指導者だったカダフィ大佐(69)が死亡したと語った。

 地元テレビは血まみれで目を閉じている男の映像を、カダフィ大佐の遺体として報じた。大佐の死亡により、42年に及んだ大佐のリビア支配は完全に終焉した。国民評議会は「全土解放」を宣言し、本格的な政権移行プロセスに入る。

 今年に入り、中東・北アフリカ地域で政権が崩壊したのはチュニジア、エジプトに続きリビアが3カ国目だが、指導者が死亡したのは初めて。“砂漠の狂犬”と呼ばれるなど域内の独裁者の代表格として知られ、最後まで抵抗を続けたカダフィ氏も排除されたことで、沈静化していたアラブ諸国での「政権転覆ドミノ」が勢いづく可能性もある。

 現地からの報道によると、大佐は両足を負傷した状態だったという。カダフィ政権で国家安全保障顧問を務め、一時は後継候補ともされた四男ムアタシム氏や、大佐の最側近で大佐らとともに国際刑事裁判所から逮捕状が出ている元諜報機関トップ、アブドラ・セヌーシ氏らも拘束されたという。

 リビアでは2月、民衆デモにより政権が転覆したチュニジアやエジプトの政変に触発される形で反体制デモが発生し、デモを弾圧する大佐側との内戦状態に発展した。

 反カダフィ派は8月下旬に首都トリポリを攻略したものの、大佐はシリアのテレビ局などを通じ徹底抗戦を宣言。シルトではカダフィ派の精鋭部隊が頑強に抵抗を続けていた。戦闘は一時、膠着(こうちゃく)状態に陥ったが、反カダフィ派は東西から徐々に部隊を進め、20日未明に市中央部で合流、カダフィ派の最後の拠点とみられる街区をほぼ制圧した。

 カダフィ氏は27歳だった1969年に軍事クーデターを主導し権力を掌握した。70年代にはパレスチナゲリラや日本赤軍のテロを支援、88年には270人が死亡した米パンナム機爆破事件にも関与した。

 イラクのフセイン政権が崩壊した2003年には大量破壊兵器の開発計画放棄を宣言。米欧との関係改善に乗り出したが、国内的には反体制派への苛烈な拷問などが続いた。国民にはこうした強権政治や一族支配に加え、石油収入が生活改善に結びついていないとの不満が強く、反カダフィ派を後押しした。

 

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コメント
 
01. 2011年10月20日 22:58:38: 9PqrJZGfQc
NHKニュース

カダフィ大佐死亡か 情報錯そう
10月20日 22時22分

リビアの新たな国づくりを担う国民評議会は、カダフィ大佐の支持派が抵抗の拠点としていた大佐の出身地の町を制圧し全土を掌握したとしていますが、カダフィ大佐の行方については、死亡したという情報もあるものの情報は錯そうしており、確認されていません。

リビアでは、ことし8月に国民評議会が首都トリポリを制圧し、カダフィ政権を事実上崩壊させたあとも、カダフィ大佐を支持する部隊が大佐の出身地の中部のシルトなどで抵抗を続け、国民評議会側と激しい戦闘を続けてきました。国民評議会の報道官は、20日、NHKの電話取材に対して「シルトを完全に制圧した」と述べ、シルトを制圧して、事実上リビア全土を国民評議会側が掌握したことを明らかにしました。一方、カダフィ大佐の行方を巡っては、国民評議会のテレビ局が大佐はシルトで死亡したと伝えているほか、複数のメディアは大佐が両足にけがを負って拘束されたと伝えました。また、AFP通信はシルトで携帯電話で撮影したカダフィ大佐とされる写真を配信しました。カダフィ大佐とされる人物は、人の足もとに倒れ込んでいる様子で、顔などから血を流しているように見えます。中東の衛星テレビ局アルジャジーラは、首都トリポリで、大佐が拘束されたという情報を受け、兵士たちが銃を掲げ祝砲を撃っているという映像を伝えています。これに対して、国民評議会の報道官は事実関係を確認できないとしているほか、アメリカの国務省やEU=ヨーロッパ連合も、今のところ、情報は確認できていないとしており、大佐の行方を巡って情報が錯そうしています。

写真 カダフィ大佐とみられる人物
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111020/t10013408211000.html


02. 2011年10月20日 23:09:46: d07iybJkXA
これからリビアの実相が見えてくる。カダフィーが死んだことが部族間の対立の禍根を残さないとはいえない。
今すぐなにかあるとはいうわけではないが、かならず跳ね返ってこよう。
誤魔化されず見ていよう。虫のような目でリビアの今後を。勝ち馬に乗った連中を。

03. 2011年10月20日 23:11:19: M9TuMDuxLM
足を打たれた割には内臓をかなりやられているな。

04. 2011年10月20日 23:12:27: 9PqrJZGfQc
リビア情報相「カダフィ大佐が死亡」=中部故郷を制圧、全土解放−国家再建へ

 【カイロ時事】リビアの反カダフィ大佐派の連合体「国民評議会」のシャマム情報相は20日、リビアで42年間独裁体制を敷き、今年8月の政権崩壊の前から行方不明となっていた元最高指導者カダフィ大佐が死亡したと語った。この日陥落した最後の拠点だった中部の大佐故郷シルト周辺で殺害されたもようだ。これにより、2月に始まったリビア内戦は終結。国民評議会の全土掌握により、国家再建への政治プロセスが本格化する。
 1月のチュニジア政変に端を発する独裁政権打倒の民衆運動「アラブの春」は、2月にリビアに波及、3月に欧米主導の有志連合が軍事介入し、北大西洋条約機構(NATO)に指揮権が移された。デモ弾圧に絡む人道に対する罪で国際刑事裁判所(ICC)が逮捕状を出したカダフィ大佐は、裁きを受けずに独裁の歴史に完全に終止符を打った。
 英BBC放送は、反カダフィ派の話として、大佐がシルトで地中の穴に潜んでいたと報じた。国民評議会高官によると、カダフィ大佐は反カダフィ派の攻撃を受けて重傷を負い、死亡。中部ミスラタの部隊が攻撃を主導したとされ、遺体は同地に搬送されたもようだ。大佐は6月以降、行方をくらませていた。
 AFP通信が伝えたカダフィ大佐とされる画像では、特徴的なくせのある頭髪の人物は、顔に流血が見られた。大佐は、カーキ色の衣服を着て頭にターバンを巻き、黄金の銃を所持していたとの情報もある。(2011/10/20-22:55)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2011102000996


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