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カダフィ大佐死亡 リビア国民評議会司令官表明 42年の独裁に幕
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111020/mds11102022130006-n1.htm
2011.10.20 22:10 産経新聞
【カイロ=大内清】リビア全土の制圧を進めている反カダフィ派部隊は20日、カダフィ派の最後の拠点である中部シルトを制圧、反カダフィ派の代表組織「国民評議会」の軍事司令官は同日、最高指導者だったカダフィ大佐(69)が死亡したと語った。
地元テレビは血まみれで目を閉じている男の映像を、カダフィ大佐の遺体として報じた。大佐の死亡により、42年に及んだ大佐のリビア支配は完全に終焉した。国民評議会は「全土解放」を宣言し、本格的な政権移行プロセスに入る。
今年に入り、中東・北アフリカ地域で政権が崩壊したのはチュニジア、エジプトに続きリビアが3カ国目だが、指導者が死亡したのは初めて。“砂漠の狂犬”と呼ばれるなど域内の独裁者の代表格として知られ、最後まで抵抗を続けたカダフィ氏も排除されたことで、沈静化していたアラブ諸国での「政権転覆ドミノ」が勢いづく可能性もある。
現地からの報道によると、大佐は両足を負傷した状態だったという。カダフィ政権で国家安全保障顧問を務め、一時は後継候補ともされた四男ムアタシム氏や、大佐の最側近で大佐らとともに国際刑事裁判所から逮捕状が出ている元諜報機関トップ、アブドラ・セヌーシ氏らも拘束されたという。
リビアでは2月、民衆デモにより政権が転覆したチュニジアやエジプトの政変に触発される形で反体制デモが発生し、デモを弾圧する大佐側との内戦状態に発展した。
反カダフィ派は8月下旬に首都トリポリを攻略したものの、大佐はシリアのテレビ局などを通じ徹底抗戦を宣言。シルトではカダフィ派の精鋭部隊が頑強に抵抗を続けていた。戦闘は一時、膠着(こうちゃく)状態に陥ったが、反カダフィ派は東西から徐々に部隊を進め、20日未明に市中央部で合流、カダフィ派の最後の拠点とみられる街区をほぼ制圧した。
カダフィ氏は27歳だった1969年に軍事クーデターを主導し権力を掌握した。70年代にはパレスチナゲリラや日本赤軍のテロを支援、88年には270人が死亡した米パンナム機爆破事件にも関与した。
イラクのフセイン政権が崩壊した2003年には大量破壊兵器の開発計画放棄を宣言。米欧との関係改善に乗り出したが、国内的には反体制派への苛烈な拷問などが続いた。国民にはこうした強権政治や一族支配に加え、石油収入が生活改善に結びついていないとの不満が強く、反カダフィ派を後押しした。
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