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国民的一体性の幻想に終止符を
ミシェル・ワルシャウスキー
「アラブの春」と連動するかのように、イスラエルの国内が大揺れとなっている。メディアは、中産階級の不満爆発と報道している。しかし問題の核心が新自由主義にあることは明確だ。ネタニヤフ政権にとって簡単な問題ではなく、パレスチナの国連加盟申請も絡んで、彼らによる戦争挑発にも警戒が必要だ。シオニズムと一貫して対決してきたワルシャウスキーがそれらを分析している。(「かけはし」編集部)
資本の避難港に吹き出した不穏
一年には届かない少し前、西のチュニジアから東南部のイエメンまでアラブ地域全体は、自由と民主主義を求める巨大かつ非常な民衆蜂起の領域だった。ホスニ・ムバラクとジネ・エル・アビディネ・ベンアリの何十年も続いた独裁体制は、数週間の出来事の中で打倒され、新たな民主主義政権に向けた道は広く切り開かれたように見えた。地域の体制すべてが挑戦を受けたわけではなかった。しかし、国境の内であろうと外であろうと、この地域で民衆的な諸運動から影響を受けなかった国は一つとしてなかった。ただ一つ――イスラエル国家――を除いて。
イスラエルは、不穏状態と革命の海に浮かぶ安定した島のように見え、その指導者たちは、西側の諸政権に対しこの安定性を売り込むために一分も躊躇しなかった。「この地域にあるあなたの利益を守るためには、あなたが金銭的にまた軍装備をもって今も支え続けているもっとも頑強な独裁体制であっても、信じてはならない。遅かれ早かれ民衆運動は、これらの同盟相手にあなたが投資してきたすべてのものを、危険にさらし接収するかもしれない」、「イスラエル国家は、あなたにとって唯一の安定し信頼に価する連携相手だ!」、イスラエルの指導者たちは西側の連携相手に実際こう語った。
ところがわずか二、三カ月後「イスラエルの安定性」は、この国がかつて経験した中では最大の民衆的決起によって攻撃された。警察発表によれば、三五万人の女と男が八月六日の夜、イスラエルの主要な都市でデモを行った。全イスラエルの成人人口の一〇%以上になる! 八月六日のデモは現在までのところ、一カ月続いた決起の中で最高潮となった。しかしそれで終わりと決まったわけではない。
決起は住宅難から始まった
運動はたった一つの課題をめぐって始まった。つまり住宅だ。国家が補助するローンを助けとしてイスラエルのカップルは、数十年の間まずまずの住居を利用することができてきた。しかしその時代が過ぎた今、新しい新自由主義経済が先のことをほとんど不可能にしている。若いカップルは今、二人共がまずまずの賃金を稼いでいるとしても、マンションの一部屋を買うことがもはやできない。国家補助や負担の小さなローンの削減、土地の私有化と公共住宅システムの解体は、若いカップルがアパートの一区画を入手することをもほとんど不可能とした。この政策は、貧しい層だけではなく中産階級のほとんどにもまた打撃となっている。そして実際、今回の抗議運動は中産階級の運動として始まった。いわゆる周辺部と並んで主要都市で社会のもっとも弱い層がこの運動に合流したのは、ようやく最近になってからにすぎない。以下のことを思い起こそう。すなわち、イスラエル国民保険局によれば、イスラエルの子どもの三〇%が貧困ライン以下で生きている。つまり、イスラエル国民の四分の一を少し下回る層は、EU平均よりも裕福な国で、貧しい……と見なされているのだ。
即座に新自由主義が攻撃の的に
しかしながらあっという間に、住宅をめぐる諸要求はあるがままの新自由主義システムに対する全般的な挑戦へと展開した。
イスラエル首相のベンジャミン・ネタニヤフは、新自由主義経済を実行する点で世界でももっとも攻撃的な指導者の一人だった。彼が財務相の任に就いていたとき(一九九八――九年)、市場経済は彼の宗教であり、私的企業と「自由」競争は彼の神聖なバイブルだった。そして実際にも、私有化と公共サービス並びに公共財産の解体の歩みがイスラエルほど乱暴で完全だった国は、二、三にすぎなかった。かつての福祉(ある人たちは社会主義とすら語ったと思われる)国家から残っているものは今ほとんど何もない。そして教育システムであってさえ、徐々に私有化されつつある。
ネタニヤフの首相府への復帰は、新しい攻撃へのゴーサインとなった。しかし今回ネタニヤフは、貧しい層と中産階級を正面攻撃する代わりに、もう一つの方法を選択した。すなわち金持ちに与えることであり、特に企業と高所得層に対する所得税を削減することによってそうすることだ。この中で、ネタニヤフに関し、金と権力の関係が人を怒らせるやり方で公然と明るみに出た。そして、一方におけるネタニヤフと彼の閣僚と高官たちの間の、他方で「タイクーンズ」――寡頭支配者に対する当地での呼び名――との、個人的な友人関係が、当地メディアの一面上にほとんど毎日出ている。
デモ参加者たちは、「社会的正義を」、「私有化反対――福祉国家を!」と叫ぶことによって、ネタニヤフの経済的社会的哲学と身に染みついた行動類型の、まさに心臓部に挑みつつある。「タイクーンズ政権」というかけ声は、イスラエルの中産階級がネタニヤフ政府をどのように見ているかを示すものであり、それはまさに真実を突き、貧しい層だけではなく他のすべての社会層は脇に取り残されているのだ。
新しい要素・「周辺部」登場
決起が二週間ほど続いた後、しかしながら新たな社会層、「イスラエルの周辺部」と呼ばれる人びとが闘争に合流し始めた。ここで登場する周辺には二重の意味がある。つまり、三つの主要都市(テルアビブ、エルサレム、ハイファ)の外部で生活する人びとを指す地理的な周辺、そして社会的周辺だ。
最初の週の間、もっとも力を奪われた階級は、決起の一部ではなかった。そして運動のスポークスパーソンは、彼らが中産階級に属していることを力説し、この社会学的な要素の故に貧しい層に対比した特権が彼らに与えられるべきであるかのように主張した。その上に彼らは、彼らは貧しい人たちとは違って「模範的なイスラエル人」だ、とも強調した。ここで述べた類型はイスラエルの言葉において、さまざまな税を支払い、予備役に就いていることを意味している。
八月一三日の夜、何万という「周辺の」イスラエル人が、特にネタニャとベールシェバで街頭を埋め、そうすることで運動の階級的性格を変えた。平行して、二つの新しい層、すなわち貧しい女性たち(特にハイファで)とパレスチナ人の少数派が決起に合流した。この二つの例では、これらの層に特定の新しい要求が掲げられた。例えば、アラブ人のデモ隊列はユダヤ人の隊列から歓迎され、後者のあるものは「アラブ人に関しては彼らは何の問題もなく、彼らはパレスチナ人を嫌っている」と説明しながらそうした。これは心にとどめる価値がある。
非政治性の主張も隠せないもの
最初の段階でこの運動には、今世紀の最初の一〇年における世界社会フォーラムを導いたものをしのばせるものがあった。つまり、綱領も指導部も、また頻繁に使われすぎた二つのスローガンを超える共同の課題も何一つないというあり方だ。すべての人が運動であり、彼あるいは彼女自身の要求や関心事を提起した。最初のテント村が設立されたテルアビブのロスチャイルド通りはたちまち、文化活動に加えて討論や意見の交換、また対話の巨大なフォーラムとなった。有名なアーチストも連帯を示すために訪れ、それ自体動員に貢献した。
デモ参加者たちは、自分たちは「左翼でも右翼でもない」と力説した。そして実際にも、多くのリクード(右派、現与党――訳者)支持者も運動の一部だった。彼らはまた、「政治的」であることを強く拒否しつつ「社会」運動と「政治運動」の間に違いを設ける。この点もまた強調されることだ。しかしながら、運動が公然と新自由主義経済に異議を申し立てつつあること、さらに福祉国家への復帰を求めつつあることは、誰も否定できない。その意味でそれは、イスラエルの主要政党すべて――リクード、カディマ、また労働党のさまざまな分裂組織――が関わっている合意の政治との断絶だ。
運動とそのスポークスパーソンの真の性格は、ネタニヤフと財務省高官がすでに提起した疑問――住宅、保健、教育のためのもっと多くのカネはどこから得るのか?――にかれらが答えなければならないとき明らかになるだろう。疑問は的を射ている……そして回答も明白だ。つまり、入植向け予算から、防衛予算から、大企業と銀行のための税の控除からだ。カネは潤沢にある。しかし決定は政治的だ。
軍事的緊張へのすり代えの危険
運動に対するベンジャミン・ネタニヤフの最初の反応は、少しも驚きではない。「この運動は左翼によって政治的に動かされ操作されている」、彼はこのように語った。しかしその後すぐさま彼の親密な助言者が、イスラエルの中で運動が左翼であるとすれば、左翼は有権者の中の大きな多数派となる、ということを彼に理解させた。そのためにネタニヤフは、彼の議論の仕方を変え、予算の優先性の変更はイスラエルの安全保障を弱体化する、と主張した。エフド・バラク(国防相――訳者)は、もっと露骨だった。百万長者となったこのキブツ(イスラエルの集団農場――訳者)農民は、テルアビブにあるもっとも高価な建物の最上階の豪奢な住居から、「イスラエルはスイスではない」と語ったのだ。
イスラエルにおいてはいつものように、政権の次の回答は一つの委員会を設立することだった。それはトラクテンベルグ教授を委員長とするものだったが、委員会に付託されたものは非常に限定され、新自由主義経済を終わらせること、並びにある種の規制された資本主義への復帰という抗議運動の主な要求に対して、そのメンバーが折り合いを付けることなど不可能――かつ彼らのほとんどにとってはその意志もなく――だ。最良の場合でもそれが行うことは、資本の集中に対する一定の批判に焦点を絞り、「タイクーンズ」を非難し、彼らの財政的権力を制限するいくらかの方策を暗示することとなるだろう。
現極右政権の次の歩みがエフド・バラクによって吹き込まれることは、十分にあり得ることだ。つまり、「安全保障」が外国の脅威に反対する挙国一致の精神を生み出すことを期待しつつ、イスラエルの隣国の一つとの国境に緊張を高めること、あるいはイスラエル国内において一連のテロ活動を巻き起こすことさえあるかもしれない。それは、イスラエル政府がこうした汚い戦略に訴える初めての例となるわけではない。しかしながらイスラエルの世論は、過去の場合よりも今もっと賢明であるように見える。政権のスポークスパーソンが先頃安全保障問題を提起したときのデモ参加者たちの回答は、この使い古されたトリックに彼らが十分気づいているということをある程度は示しつつ、「住宅、教育、保健こそがわれわれの真の安全保障だ」というものだった。それは、イスラエル政府が戦争を仕掛けることを阻止する上で十分だろうか? その問題に答えることは誰にもできない。アメリカの好戦的なグレン・ベッグのイスラエル訪問と彼の人種主義的な声明に対してイスラエルの右翼が行った大宣伝は、はっきり言ってよい兆候ではない。
政治を避ける主張に終りを
政府の仕掛けに対してデモ陣営は、進歩的なエコノミスト、社会学者、社会活動家から構成された彼ら自身の委員会を設立することで対応した。この対案グループの構成は、イスラエル銀行の元副経営責任者を含むなど、極めて均質性を欠くものだ。そして非常に多くの活動家がこの代わりとなる委員会に対する敵意を示すこととなった。いかなるオルタナティブも以下のものを含まなければならない。このことには、進歩陣営にいる者は誰もが同意すると思われる。
・保健、教育、福祉向け予算の劇的増額
・公共住宅に関する現行法令の実施、並びに全国的な社会住宅建設に向けた予算割り当て
・「周辺」の開発に向けた緊急計画
・大企業に対する増税
・全国的な空き屋の収用
・土地認可執行局の解体
しかしこれで十分なわけではない。運動の総意の中には、追加的な諸要求が明らかに含まれていない。この運動は、左翼でも右翼でもないという線にとどまろうと、懸命に試みているのだ。しかしながら、民主主義同様、社会的公正は分割できないということを、人は理解しなければならない。それは、あれかこれかの問題ではないのだ。
優先性は、もっとも恵まれない共同体に、特にパレスチナ人や正統性から外れた共同体に与えられるべきだ。しかし控えめに言ったとしても、これらの共同体は、抗議運動における中産階級のスポークスパーソンにとって主要な関心ではない。
抗議に立ち上がった人びとの正統な諸要求に資金を回すためには、入植と「安全保障」の予算の大幅な削減を要求しなければならない。
この運動は遅かれ早かれ、「政治に無関心な」主張に終止符を打たなければならないだろう。右翼と左翼は反対を向いている。一方はよりひどい貧困と社会的差別に導き、他方は、冨のより公正な配分に導く。デモ陣営のもっとも人気のあるスローガンの一つは「革命を」であるが、それは極めて野心的な綱領だ。しかしその小さな一片ですら達成するためには、いくつもの選択を行い、国民的一体性という幻想に終止符を打つことが必要となる。
二〇一一年八月二八日
(『インターナショナルビューポイント』二〇一一年九月号)
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