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リベラル21
2011.09.18 関東軍の暴走を忘れないために
書評 緒方貞子著『満州事変─政策の形成過程』(岩波書店)
半澤健市 (元金融機関勤務)
80年前の今日は1931年9月18日。中国東北部柳条湖で満鉄線路爆破が起こった。「満州事変」の勃発である。この日を起点とする1945年8月15日までの戦争は、日本人将兵と市民合計310万人の生命を奪った。日本人以外の戦死者、死亡者の数1千万人とも2千万人ともいわれている。
《歴史学者緒方貞子の博士論文》
本書は、のちに国連難民高等弁務官として知られる緒方貞子(1927〜)が、学究時代にカリフォルニア大学バークレー校大学院に提出した博士論文をもとにした著作である。64年に米国で出版され、邦訳は66年に原書房から『満州事変と政策の形成過程』というタイトルで出ている。今回は45年振りの再刊である。
▼未曾有の敗戦を経験して以来、日本は自己を破滅へ導くような膨張政策をなぜとらなければならなかったのであろうかということが、私の絶えざる疑問であった。しかし戦後の十数年間、この疑問に満足な答を与えてくれるものはなかった。
著者は66年版の「あとがき」に問題意識をこう書いた。これに続く言葉から、本書がマルクス主義的な「戦後歴史学」と異なる立場にあることがわかる。小さな活字が詰まった420頁の文庫本は、序論から結論に挟まれた10章の内容で構成され、「第一部 背景」、「第二部 事変の展開」、「第三部 影響」に分かれている。中味は文字通り満州事変の詳細な叙述である。
《軍中央と関東軍の下克上》
著者が注目する登場人物は、主に日本人である。昭和天皇、宮中グループ、内閣閣僚、外交官、政党人、在満の青年たちだ。なかでも本書の主役は軍部中央と関東軍である。軍中央には統帥部・陸海軍省上層部がおり、それを批判する中堅層・青年将校がいる。関東軍は、満州に展開している。もともと鉄道保護のための軍隊である。しかし現地に根を張るこの「暴力装置」は鬼っ子に育っていた。強力であった。満鉄線路爆破は関東軍の謀略であった。独断専行による紛争の開始である。
関東軍の目的は何であったか。
日清・日露戦争で獲得した「満州」利権の維持と拡大である。在満邦人の安全確保と彼らの経済発展である。その本音は「満州領有」であった。政府や軍中央はそこまで侵略意図をあからさまにしない。外交、内政を考慮して関東軍を牽制し抑制する。結局、「新国家」満州国の建設に落ち着いた。外交は、幣原協調外交と田中強硬外交が登場する。著者は満州の歴史的な背景とともに国内的背景にも着目する。時は世界恐慌のさなかであった。輸出不振、物価崩落、失業増大、農村疲弊。「娘売ります」の時代である。この背景が、国内の青年将校に「国家社会主義」の理念を埋め込んだというのである。著者は北一輝や大川周明らが「革新派」将校に与えた影響に注目している。
《歴史認識・アメリカンスタイル》
政府と軍中央の不拡大方針にもかかわらず関東軍の暴走は続いた。錦州爆撃、満州国建国、溥儀の皇帝即位。世界の目は日本の侵略に厳しい目を向け始める。「国際連盟」が組織したリットン卿を団長とする「リットン報告」は「帝国」の主張を打ち砕いた。遂には「連盟」脱退に至るあれこれの経緯は読者周知の通りである。
本書は「政策の形成過程」という副題が付いている。彼女は初の留学においてジョージタウン大学で国際関係論を学んだ。60年代にまだ知る人の少ない学問である。解説者の酒井哲哉(東大教授・日本政治外交史)は「政策決定過程」という用語自体、当時の学会ではまだ目新しい翻訳語だったと書いている。当時は未刊だった「満州事変機密政略日誌」、「木戸日記」などの資料を駆使した東京(統帥部・閣僚)と関東軍とのやりとりが本書の圧巻である。著者の論述は事実の精密な列挙に徹した「実証主義」といえるだろう。結論として著者は、「満州事変」へ突入した原動力たる「関東軍」「軍中央中堅」とそのイデオロギーを「社会主義的帝国主義」だとしている。
《ガバナンスと国際感覚 昔も今も》
私の感想をいくつか記す。
@カバナンスの不在
いま、「関東軍」は日常会話で「暴走者」「無謀な者たち」という意味で使われている。私は本書のハイライトである東京と関東軍の駆け引き、交信、会話を読んでいて「関東軍の暴走はかくもひどかったのか」と驚きかつ呆れた。「戦争」の方針決定に関して、今風にいうと、政府のガバナンスが全く不在なのである。わずかの例外を除き関東軍のやりたい放題である。そして暴走の結果生じた既成事実の東京による追認が続く。総理大臣も参謀総長も陸軍大臣も無力なのである。
A国際感覚の乏しさ
外交は権謀術数の世界だろう。それだからこそウサギのような耳で世界の情勢、風向きに敏感でなければなるまい。著者の言及の少なさにも問題があるが、中国のナショナリズムや国際社会の動向に対する日本側の感度がまことに低い。日本政府は「支那は組織ある国家にあらず」と国際舞台で公言している。関東軍に協力する現地有力者がいたからカイライ国家が成立したことも事実である。それにしても第一次大戦後の潮流である民族自決の思想に鈍感であることに驚く。
B『昭和史』との距離
私は「昭和史論争」を思い出す。50年代に今井清一・遠山茂樹・藤原彰という若手マルクス派が岩波新書に書いた昭和史が亀井勝一郎らに「人間がいない」と批判されて始まった論争であった。緒方は先に引用した「あとがき」でこう書いている。
▼いわゆる「昭和史」的な批判は、過去の指導層を徹底的に糾弾するばかりで、その時代に生きた人々が与件として受け入れなければならなかった対内的および対外的諸条件を無視し、かつ彼らの意図を曲解しているように思えた。
彼女の曾祖父は犬養毅であり、犬養内閣外相の芳沢謙吉は祖父である。それを知れば「昭和史」的なるものへの感情も理解できる気がする。
《誤った歴史を繰り返さないために》
本書にも欠落している視点がないではない。その後、近現代史の研究水準は大きく進歩した。本書が古い部分を含むのは当然である。しかし、歴史を繰り返さないために本書を再訪することは今でも多くの収穫をもたらすだろう。私はそういう印象をもった。
■緒方貞子『満州事変─政策の形成過程』、岩波現代文庫、岩波書店、11年8月刊、1480円+税
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