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シリアのアサド政権による民衆への弾圧が苛烈を極めている。カダフィ政権が倒れた今、このアサド体制の暴虐を止めさせることが、アラブの民主主義革命にとって緊急の課題となった。以下は、シリアをめぐる全体情勢を伝え、国際的連帯を訴えている。(「かけはし」編集部)
シリア大統領、バシャル・アル・アサドの体制は、四カ月続いている民衆蜂起に対して流血の攻撃を遂行中だ。この蜂起は、イスラム教徒にとって神聖な月であるラマダンの一カ月続く祝いの始まりに合わせ、政権に致命的な打撃を加えるという希望の中にあった。
この真新しい襲撃の残忍さはアラブの世論に衝撃を与え、世界中から非難を浴びた。攻撃は七月三一日に始まり、ハマの町で七五人の命を奪った。この町は、アサドの父親が三〇年近く前大量殺戮を命じたその同じ都市だ。
政権の窮地映すハマへの軍投入
民主主義支持のあるいは人権諸組織によれば、ラマダン前夜、シリア中で合計一五〇人以上の人びとが治安部隊によって殺害され、何千人以上もが負傷させられた。そしてこの日は、これまでに一六〇〇人以上の命を奪った異議申し立てに対する政権の弾圧の中でさえ、もっとも血塗られた日にされた。
治安部隊は六月以降、アレッポとダマスカスのほぼ中間にある七〇万人の人口を抱えるハマから撤退し、住民にある程度の自治を可能とする余地を与えた。七月始めこの市の住民およそ二五万人が、アサド政権の追放を要求して街頭に進出した。
約一カ月前政権の部隊はハマを包囲し、攻撃の準備を開始した。市の住民は暴力的衝突という予感の中で、セメントブロックや土のう、また他の種々雑多な材料からなるバリケードを構築した。
しかし七月三一日、夜明け前に町のあらゆる方向から治安部隊が進入したとき、これらのバリケードはたちまち、戦車や装甲車両に踏みつぶされた。攻撃はそこで停止されたものの、その後再開された。居住地には迫撃砲が続けざまに撃ち込まれ、街頭では兵士が非武装の決起住民に発砲した。部隊が非武装の決起住民の虐殺を続け、この都市を硝煙に満ちた混乱に投げ込んでいたときですら、この攻撃に関する何フィートにもなる恐るべき映像がユーチューブや他のウェブサイトに現れた。
「ハマへの攻撃は支配の喪失を示す指標だ」、パリに足場を置くアラブ改革イニシアティブの責任者、バスマ・コドマニはこう語った。「彼らは限界点を超えた。彼らが欲していることは、全国に対する抑圧のレベルを引き上げることができるということを示すことだ」、「政権には限界なく力を行使する準備ができていることが鮮明となった」、中東評論家のラミ・コウリはこう語り、「しかし、それは問題を解決するのではなく、代わりに反乱をより強固にしつつある」と続ける。
ハマは、ハフェズ・アル・アサドが命令したより大規模な虐殺、二九年前の体系的殺害の現場だ。彼は現大統領の父親であり、二〇〇〇年に死んだとき政治権力を基本的に息子に継承したのだった。一九八二年、シリア治安機関はムスリム同胞団の武装部隊に対する攻撃を遂行中だった。ハマはその時、政権を軽視すると見なされる可能のあったあらゆる都市、町、あるいは政治潮流に向けたある種の警告に使われた。この虐殺を生き延びた人びとは、三万人のシリア人が殺された日々の恐るべき記憶を携えて今も暮らしている。
ロイターは一月前から、これらの話のいくつかをあらためて伝えている。たとえば、「生き延びた人びとのレバノン、ヨルダン、湾岸のハマ共同体は、血が流れる街頭、ほったらかしの死体、レイプされた女性たち、あるいは処刑場に若者たちを引きずってゆく死の部隊という、三〇年近く前の光景を忘れることができない、と語っている」と。また、「一二才の子どもを含む二四人の若者たちに私の目の前で銃弾が浴びせられた。そして彼らは五分の内に死体を片付け、靴と帽子しか残っていなかった。地面は血の海だった。女性たちが現れ、一人は、これは私の夫だと金切り声を上げ、他の一人は、これは私の息子だと叫んだ」、五三才になるウム・オマルは涙にむせびながらこう語った。ハマ郊外出身のアブ・ラーマン・アル・アスファルは、彼の隣人たちが母親の死後残された赤ん坊に母乳を与えるためにどれだけ奔走したかを思い起こした。というのも他に利用可能な食料がまったくなかったからだった。
抵抗のこの歴史は今も生き続けている。そしてそれこそが、ラマダンが始まる前にその優勢な軍事力を解き放とうとの、絶望的な試みに出ている政権の理由を説明する。
ナイフの刃の上のバランス
今年早々の「アラブの春」開始以来、抗議はしばしば金曜礼拝の集まりから、若者たちがモスクを離れ街頭に出たとき現れた。政治的異議の最初の兆候に際しては政権の治安部隊が決まって弾圧を加えてきた以上、事実上金曜礼拝は、しばしば人びとを大衆的に結集する唯一の機会を提供してきた。中東すべての支配者はこの理由から、今年のラマダンの到来を恐怖の念をもって見守ってきた。フランスの通信社の伝えるところによれば、「アラブ諸政権は、ムスリムの神聖な断食月、ラマダン期間中の緊張増大に備えている。それは今年、地域一帯に広がる前例のない蜂起の波の真っ最中にやってくる」。カタールを拠点とするイスラム派ウェブサイトのイスラムオンラインの編集者、アブドラ・アル・アマディは「ラマダンは歴史を通じて、革命と勝利の月だった」、「ラマダンはアラブの春の若者たちを、不公正と専制に反対する彼らの闘争を完遂するよう鼓舞する、と私は考える」と語った。
シリアではここ数週間の金曜礼拝の後、数万あるいは数十万の人びとさえもが街頭に繰り出した。今、謹厳なムスリムが日中断食し夜毎礼拝のためまた食事のため集まるラマダン期間中、シリアの民主主義支持勢力は、毎夜を金曜礼拝の抗議の夜に転換しようと計画している。それは、すでに緊張の兆候を示している政権と軍に逆転不可能な圧力を加えるためだ。
シリアの軍事事情に関する専門家によればシリアの軍隊は、アサドのバース党支配の背骨を形成するアラウィ派――シリア内では少数派――出身の徹底的に忠実な将校団によって一体的に保持されている。しかし下部の兵士層は主として、シリア人口の多数派であるスンニ派ムスリムから構成されている。これまでのところ軍は、一カ所の抵抗の温床を弾圧するためにもっとも忠実な部隊を派遣し、次いで反乱の次の中心にそれらの部隊を展開することができてきた。しかし軍は、もしいくつかの大きな都市や町で同時的に進行する決起に突き当たった場合、破断点にまで引き延ばされる可能性があるのだ。
アナリストのフィラス・アビ・アリによれば、「もし彼らがハマを押さえるための十分に忠実な部隊をもっていないのであれば、彼らには、ダマスカス、アレッポ、ホムスのようなそれよりはるかに大きな都市を引き受ける十分に忠実な部隊はない……私には、少なくとも、脱走を見ることなしには、また抗議の余地を広げる危険を冒すことなしには、多くの都市を同時に大規模に弾圧するそれらの部隊を彼らが十分にもっているとは思えない」。
抑圧は事実上、抵抗の決意の強化にすでに奉仕し、ハマの包囲された民衆に対する連帯のほとばしりを巻き起こしている。そして、軍の兵士の間に規律を確保するための政権によるむき出しの力の行使は、体制の支配がナイフの刃の上でのバランスのようにどれほど危ういかを示す指標だ。シリア人の亡命者は、親類の話を引用しつつ、スンニ派の部隊が前線に配置される例では、彼らの背後に配置された治安機関が命令に服従しない場合彼らに発砲するが故に、部隊はデモ隊への発砲を強要されている、と語っている。
東部の都市、デイル・アル・ゾル出身のアーメド・フセインは、ロンドンのシリア大使館の外でアサド反対のデモを行いながら、「殺さないなら君が殺される」と語った。〔アメリカの軍事戦争カレッジで教授をしている〕〔アンドリュー〕テリルは、「スンニ派であり何事かを行う能力のある者すべては、注意深く見守っている」、「機会は多くないと恐れているのならば、君は脱走したいとは思わないだろう」と語った。
民衆こそアラブの大義体現
アメリカとヨーロッパの国家首脳――イスラエル政府と同様――は、最初アサドに対する批判を控えていた。彼らは、中東におけるもうひとつの革命の可能性よりはアサドの支配継続の方を好ましいとしていた。しかし、政権が行った弾圧の規模と凶暴さが彼らを、虐殺を停止するようアサドに厳しい警告を発する方向に押しやった。しかし、ワシントンの何人かがこの政権に対する軍事的打撃を望んでいるかもしれないとしても、イラクとアフガニスタンへの米軍派遣とリビアに対するNATOの進行中の攻撃という現実は、そのような話も純然たる空文句であることを意味する。
クリスチャン・サイエンス・モニターによれば、イギリス外相、ウィリアム・ヘイグもまた、軍事行動は「遠い将来の可能性」ですらない、と語り、代わりに、「EUは次の週にシリアに対する貿易制裁の第二弾を発効させることとなる……非常にストレスのたまる情勢だ――この情勢の中でわれわれがもっているてこには相対的に限界があるが、そこに関わりわれわれがもつ手段で努力することに関しては率直でなければならない」と続けた。
シリアにおける抗議は、地域のいたるところで作動している同じ諸力――高水準の失業、政権の硬直性と権威主義、政治活動に押し寄せる若者たちの大波、チュニジアとエジプトにおける勝利による鼓舞――によって駆動されている。
アサド大統領は、抗議に立ち上がった人びとを告発し、外国の手先として行動し、国中に混乱の芽を播くことによって、アラブ世界におけるシリアの指導性に傷を付けようとしている、と描いている。アサドが期待をかけているものは明らかに抵抗の信用失墜であり、その手段は、アメリカとイスラエルの陣営に、またこの地域に関する彼らの狙いに突き刺さったとげという、シリアの世評に訴えることだ。
しかし、中東評論家のラムジー・バラウドによれば、レバノンとパレスチナの抵抗勢力に対するシリアの支援は、シリア自身の住民の正統な熱望を打ち砕くための無条件の信任をシリア政権に与えるものとはなり得ない。彼は「シリア当局の描く物語は、〔アメリカとイスラエルによるシリアの標的化〕はそれだけでも、民主主義を求める抗議に対する過酷な軍事的弾圧を正当化するはずだ、と主張している。しかしその理論的筋立ては、西側の圧力や絶対命令に順応しようとする意志については控えるとしても、政権による偽善の歴史、二枚舌、残酷さそして現実によって疑問に付されている。……シリアが欲していることは、せいぜい目に見える存在として留まるためにのみ、しかも暴力的なはね返りには合わない程度にこの地域に関わること、そこにあるように見える。それは、三〇年の歩みの中でハフェズが磨き上げ、バシャルがここ一一年巧みに応用してきた、政治的技巧からできあがった行動だった。しかしシリアは本質的に、同族主義の考え、一党支配、フランス植民地主義が一九二二年に始めた宗派による分割にとらわれたままだった。確かにシリアは、西側の圧力の的だったし、今後もそうだろう。しかしはっきり理解されるべきことは、これらの圧力はイスラエルに関わる特別の政治的関心を動機とするものであり、無実の市民を冷酷に公然と殺害する親族を中心とした独裁に関するものではない、ということだ」と続けている。
実際シリアの反対派は、シリアの蜂起は中東の幅広い反乱と連帯関係の中にあるだけではなく、シリアの勝利はまたより全般的に特にパレスチナの大義を含むアラブの大義に力となるだろう、と強調している。
教授であり亡命中のシリア人反対派著名人のグラン・ガルヨウンによれば、以下のようになる。つまり、「シリア人はシリアの運命を決めるだろう。……シリア民衆はパレスチナ民衆にもっとも近しい。そして彼らは、パレスチナの大義、ゴラン高原、アラブの連帯を防衛する点では、現政権よりも上である。この政権の指導者たちは、国を封建的にしてしまい、彼ら自身の利害と存在を守ること以外を気にかけない」。体制が弾圧を継続している今、シリア人の反乱に込められたまさに大望との連帯をはっきり示す機会を探し出すことが重要だ。
▼初出、ソーシャリストワーカーUSA
▼筆者はソーシャリストワーカーUSA向けに書いている(『インターナショナルビューポイント』二〇一一年八月号)
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