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ウクライナ中部(CNN) リビアで政権を追われたカダフィ大佐は、私たちにとって優しい父親のような存在だった――。カダフィ一家の専属看護師を務めていたウクライナ人女性、オクサナ・バリンスカヤさん(25)が、故郷の村でインタビューに応じた。
バリンスカヤさんは首都キエフ南郊の実家の台所で冷蔵庫の上に置かれたテレビを見上げ、画面に映し出されるカダフィ大佐の姿を眺めた。リビアでは2年間近く大佐の血圧を測り続け、心臓の調子を調べ、注射器で採血した。健康な人だったが、たまに体調を崩すことがあるとビタミン剤や薬を渡した。
5人の専属看護師は全員ウクライナ人。仲間同士で大佐のことを話す時は「ダディ(お父さん)」と呼んでいた。バリンスカヤさんは「ダディは私たちに仕事とお金と良い暮らしを与えてくれた」と言う。
カダフィ大佐が殺害されたり拘束されたりしたら気の毒だと話し、「私たちには、とても優しくしてくれた。不満はないか、必要な物はないかとよく気遣ってくれた」と振り返る。
毎年9月、カダフィ政権誕生の記念日には、大佐から看護師や身近な人々に贈り物があった。バリンスカヤさんは大佐の肖像を彫ったメダルや時計をもらった。
大佐の外国訪問には看護師らが順番に付き添った。それが「女性をはべらせている」との誤解を呼んだのかもしれない。カダフィ家による使用人への虐待疑惑など、大佐をめぐる最近の報道は、バリンスカヤさんが知る素顔とかけ離れている。バリンスカヤさんは「リビアの建国者はカダフィ大佐以外にいない。大佐のおかげで国民はラクダの背中から自動車に乗り換えることができた」と主張する。
バリンスカヤさんはキエフの看護学校を卒業し、故郷で3年間働いた。当時の月収はわずか125ドル(現在のレートで約9600円)。リビアにはもっと良い就職口があると聞いて応募し、結果通知を待っている時、ちょうどカダフィ大佐がウクライナを訪問した。2009年10月のことだ。
大佐は滞在中に専属看護師の候補を集め、面接を実施。バリンスカヤさんもその場へ出向いた。面接を受けた6人のうち3人はリビアでの勤務経験があり、アラビア語が話せた。バリンスカヤさんはあきらめかけたが、採用された。「どうして選ばれたのか分からない」と首をかしげる。大佐には、初対面の人と握手して目を合わせただけで相手の性格を見抜く能力があると、後日聞かされた。
リビアの首都トリポリでカダフィ一家の世話をするのが、バリンスカヤさんたちの仕事だった。規則は厳しく、派手な化粧や服装は禁止。周囲には常に大佐の妻や子ども、孫、側近らがいて、看護師が大佐と2人きりになることはあり得なかった。だから大佐が看護師らと愛人関係にあったとのうわさを聞いた時、バリンスカヤさんは大きなショックを受けたという。
米内部告発サイトで名指しされた先輩看護師(38)も、今年2月、バリンスカヤさんと同時にリビアを出てウクライナへ帰国したが、報道陣の取材を一切拒否している。
バリンスカヤさんはリビアの政情だけでなく、妊娠中という事情もあって帰国した。セルビア人の夫(38)とともに故郷の村へ身を寄せ、先月男児を出産している。
アルバムをめくってリビアでの暮らしを振り返りながら、バリンスカヤさんは「いつかぜひまたリビアで暮らしたい」と話した。だがその願いがかなう時、リビアは別の国になっているだろう。そこに「ダディ」はもういない。
http://www.cnn.co.jp/world/30003911.html
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専属看護師にとってはカダフィは「優しい父親」のような存在だったそうです。
実に素晴らしいお話です。この話は真実を物語っているでしょう。
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