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カダフィの独裁体制に対して決起し六カ月以上続いてきたリビア民衆の反乱は、カダフィ体制の崩壊という最終局面を迎えた。「アラブの春」はさらに歩を進めると共に、その行末が闘いの焦点として一層浮上する。リビアの今後はその点でも重要である。以下に掲載するジルベール・アシュカルの見解は、前述の問題を考える上で重要な視点を提供している。(「かけはし」編集部)
リビアの反乱勢力はムアンマー・カダフィ大佐の住宅地区を確保し、首都トリポリを掌握した。しかしリビアの指導者(カダフィ)の行方は知れず、カダフィは彼の部隊が「勝利か死か」をかけて「総力で攻撃に立ち向かう」と誓った。トリポリからの報道では、数十人の海外のジャーナリストたちが重武装したカダフィ派の兵士に監視されて、離れることができないままでいるリクソスホテルの近辺の地域では、銃声がなお聞こえているとのことである。八月二三日、アラブ連盟は、数カ月前にカダフィ政権から奪った連盟の議席をリビアの反乱勢力に与えることを今週中に考えると述べた。今日(八月二四日)英国の国家安全保障協議会は、リビア国民評議会を財政的に支援するためにリビアの資産凍結の解除を討議する会議を行った。「デモクラシー・ナウ」(訳注:米国のパシフィカ・ラジオ・ネットワークの報道番組。企業メディアが取り上げない独立した報道を配信している)のエイミー・グッドマンが、ロンドンの東方・アフリカ研究スクール教授のジルベール・アシュカルと討論した。(「インターナショナル・ビューポイント」編集部)
NATOの目論見はまず破綻
エイミー・グッドマン(以下AG) ここでロンドンの東方・アフリカ研究スクールの教授であるジルベール・アシュカルに加わってもらいましょう。彼には『アラブとホロコースト:アラブ・イスラエル戦争のナラティブ』など多くの著作があります。先週彼はリビアにおけるNATOの役割についての長文のエッセイ(NATO’s “Conspiracy” against the Libyan Revolution――リビア革命に敵対するNATOの「陰謀」)を発表しました。
アシュカル教授、「デモクラシー・ナウ」にようこそ。現在リビアで何が起きているか話していただけますか。
ジルベール・アシュカル(以下GA) ハロー、エイミー。あなたとお話しできて光栄です。
いまリビアで何が起きているかについては、あなたが話した通りです。私もあなた以上のニュースを知っているわけではありません。しかし基本的には、反乱勢力がカダフィを捕え、親カダフィ派の都市、あるいは親カダフィ派勢力が支配している都市を鎮圧するまでは、戦闘は継続します。そしてニュースから知るかぎり、かれらは平和的にそれを行うためにカダフィ派の都市の住民と集中的な交渉をしています。私は、反乱派がシルト(訳注:リビア中部のカダフィ派の勢力が強い都市)を支配下においたと彼らのスポークスパースンが語っているのを、さっき聞いたところです。まだはっきりしたことはわかりません。
AG あなたが書いた文章のタイトルは「リビア革命に敵対するNATOの『陰謀』」です。説明していただけませんか。
GA もちろん「陰謀」はカッコつきです。陰謀が存在すると言っている人の文章から引用したからです。しかし重要な点は陰謀ではありません。それは実際にはNATOの介入の当初から展開されてきた公然たる計略です。それが長期的な介入の展望として現れた時点から、この計略はある意味において、カダフィ政権と反乱勢力とのなんらかの合意を取り付けようと試みながら、この情勢、戦争が、結論にまで陥ることのないように構想されていました。つい最近までそうだったのです。
数週間前、リビアについての青写真を作成するために作られた英国主導のNATOチームは、イラクのようになるという強迫観念がある、と主張していました。イラクに侵攻したとき、ブッシュ政権はサダム・フセインのバース党国家を解体しました。そして通常、西側の情報源では、イラク侵攻が惨劇になってしまった原因の多くを、この最初の行動のせいにしています。したがってNATOの強迫観念とは、リビアで同様の状態になることを避け、カダフィ政権と反乱勢力双方の有力者間の交渉をすることでした。
数日前まで、たとえば「フィナンシャルタイムズ」の論説は、反乱派はトリポリを攻撃すべきではないと言っていました。その口実は、流血の惨事になるから、ということです。もちろんこうしたことは起こりませんでした。しかしトリポリを攻撃せず、トリポリとの関係を断たないという考え方は、いつでも存在していました。そしてそれをつまずかせ、起こらなくさせたのはカダフィ自身の強情さによるものでした。反乱派にとってカダフィが公的地位にとどまるのを受け入れる余地はなく、カダフィも退陣を受け入れる余地はなかったからです。
闘う民衆が反乱の今後を決める
AG ジルベール・アシュカルさん。反乱派とはどういう人たちなのですか。
GA 反乱派とはどういう人たちか、ですって? そうですね、これはとてつもなくむずかしい質問です。NATOのサークルの間でさえ、同じ質問が出されるでしょう。事実はと言えば、もちろんのこと私たちは国民評議会については知っていますが、この評議会のすべてのメンバーを知っているわけではないし、トリポリをふくむ残余の地域を代表するために新メンバーが発表されるでしょうから、知識といっても限定されたものでしかありえません。その上にリベラル派、前体制のメンバー、部族やこの国のもともとの構成要素を代表する伝統的な人びとの混合物をここで見出すことになるでしょう。
私たちが本当に判断できるものは、この評議会によって提出された綱領です。私たちが持っている政治的綱領という観点からすれば、国民評議会の綱領は民主主義的移行のための青写真のようなものです。彼らは選挙を組織することを約束しており、それは現実には二つのラウンドからなっています。第一は憲法を起草する制憲議会のためのものであり、そして選挙の第二ラウンドは憲法に基づいて最終的に政府を選ぶものです。彼らはある約束をしているのですが、それについては本当のところ私は懐疑的です。その約束とは、現在の国民評議会、すなわち伝統的国民評議会の全メンバーは、この二つのラウンドの選挙には加わらないというものです。これもどうなるか分かりません。
国民評議会の現内閣が代表する経済的綱領のレベルでは、リビアの新自由主義的改革を指揮することにおいてカダフィの下ですでに同じ役割を果たしてきた人々が見いだされます。したがってこの点でなんら変わった独自なものを期待できません。つまりこれは社会主義革命ではないということです。この点で、なんらかの幻想を抱いてきた人がいるとは思いません。
しかし、闘う民衆という点から反乱派のことを考えるならば、日曜日(八月二一日)の夜に、トリポリの以前は「緑の広場」――現在は殉教者広場なのですが――と呼ばれた場所に集まった巨大な数の蜂起する民衆は完全に不均質な広がりを示しており、こうした人々の圧倒的大多数は、今や武器を携えている者を含めて、それ以前の政治的背景を全く持っていません。つまり、反乱に立ち上がった武器を携えた民衆のほとんどは市民だったのです。彼らは兵士ではありません。こうした人々のほとんどは、四二年間の独裁体制によって真の政治生活を経験しておらず、政治的に表現することがきわめて困難です。私たちは、この国の政治闘争が真にスタートした時に何が起きるかを見守る必要があります。それは、独裁体制が倒された二つの国、チュニジアとエジプトで私たちが見ている政治闘争の進行と同様です。
帝国主義者に選択肢は多くない
AG NATOは他でもないこの反乱派(国民評議会)と協働することを、どのようにして選んだのでしょうか。
GA 多くの選択肢があるわけではありません。世界の多くの国が国民評議会を承認し、人々が「しかし評議会は選ばれたわけではない」と言うのを聞いています。実際、どうして選ばれることなどできたでしょうか。これは武装蜂起的情勢なのであり、そのように対処しているのです。彼らはこの国を永続的に統治すると主張しているわけではありません。彼らは当初から、自ら暫定的・過渡的存在であると言ってきました。彼らは、選挙を組織し、退場すると言っています。そして私が先ほど言及したように、すべての国民評議会のメンバーは次の二ラウンドの選挙に立候補しないとさえ述べています。したがってリビアにおいて当面のところ、カダフィに代わるものとしては国民評議会以外にありません。
政治的にこれからなにが起きるかはまだ分かりません。つまりそれはエジプトで言われていることと同様です。エジプトではムバラクが倒されましたが、誰が権力を取ったのでしょうか。つまり軍隊です。そして実際のところ、いまリビアで起きているのはエジプトで起きたよりもさらにラディカルな体制変革なのです。なぜならエジプトでは、取り除かれた氷山の一角であるムバラクとその一党を別にすれば、基本的に依然として軍部が支配しており、軍隊は一九五〇年代以来政権のバックボーンでした。他方現在のリビアでは、反乱勢力には旧体制の前構成員がいますが、旧体制の構造は、カダフィの軍隊からして私的な民兵や「近衛兵」だったのであり、それは粉々に崩壊しています。いまだ完全に終わったとは言えないまでも、トリポリにおいてそれがいかに崩壊したかは私たちが見てきたところです。
介入には疑いなく利潤動機
AG 「デモクラシー・ナウ」は昨日、「インスティチュート・フォー・ポリシー・スタディーズ」(政策研究所)のフィリス・ベニスの話を聞きました。彼女は、西側諸国によるリビアの石油支配が、この紛争の決定的要素だと述べました。
フィリス・ベニス それは単に石油へのアクセスにかかわる問題ではありません。それはグローバル市場にかかわる問題です。それがこの問題の一部なのです。それは石油へのコントロールにかかわる事柄なのです。それはこうした契約期間のコントロールにかかわる問題なのです。それはさまざまな時期の産出量、価格のコントロールにかかわる問題です。それは死活的資源のコントロールという問題です。
AG そこで私たちは、さまざまな石油企業――フランスのトタール、米国のマラソン、ヘス、コノコフィリップスなど――について議論しました。石油企業はたくさんあります。そして興味深いのは、リビアの反カダフィ派政権がロイター通信とのインタビューで、中国の企業をふくめてカダフィ政権時代に認められたすべての石油契約を尊重すると述べていることです。アシュカルさん、あなたの意見は?
GA そうですね。NATOの介入において石油が大きな要因であったこと、リビアが石油産出国でなかったらNATOは介入などしなかっただろうことは全く明らかです。それは明白です。さてここでの問題は、あなたがおっしゃったように西側がアクセスしていない一定の領域へのアクセスを実現するということではありません。基本的にあらゆる西側の企業がリビアに入り込んでいました。すべての主要な西側の石油企業は、リビアの政権と契約を結んでいたのです。そして暫定政権である国民評議会は、すべての諸国とのこうした契約を尊重すると語っています。基本的に言って、このレベルにおいてはそれが大きな成果だとは言えません。もちろん、新しい譲歩や契約が行われることになれば、国民評議会が言うように、交渉で特権を得るのは最初から反乱勢力を支持してきた諸国でしょう。
しかし私は来るべき市場の方がもっと大事だと思います。大規模な破壊があり、多くのインフラの再建の必要があります。そしてもちろん米国、英国、フランスをはじめとする西側の企業は、この市場に大いに関心があるのです。したがってもちろん、NATOの介入の背後には優遇措置、それによる利潤動機があったのであり、基本的にそれ以外のものはありませんでした。
欧米による支配は極めて困難
しかしこうしたことと、今やNATOがリビアを支配しているという確信の間には、とても大きな隔たりがあります。つまりNATOはイラクやアフガニスタンのような諸国に地上軍を送り、イラクでは長期間にわたって大規模な軍を送りこんだのですが、彼らは依然としてこの国を支配しえていないからです。したがってそれなら、NATOや西側諸国はいかにして地上軍を送らず、遠隔操作でリビアを支配するのでしょうか。そして米国のシンクタンクである外交問題評議会のリチャード・ハースのような人物がワシントンに対して地上部隊を送れと語っている、いや叫んでいるのはそのためです。
しかしこれは最初から反乱勢力によって厳しく拒否されました。反カダフィ派は空の支配を求めました。彼らは空からの保護を求めました。しかし彼らはあらゆる形態の地上軍の介入に対しては初めから頑強に拒否してきました。そして彼らは依然としてこの立場に重きを置いています。彼らはごく最近、NATOがリビアにいかなる基地を建設することも許さない、とする声明さえも発表しています。
そして私たちは多くのサインを見ることができます。たとえば彼らは、カダフィと彼の息子を国際刑事裁判所に引き渡すことを拒否し、リビア国内で裁くと言っています。したがっていかにワシントンやロンドンやパリが主張しようとも、リビア情勢を動かす彼らの影響力には重大な限界があることをそれは示しています。西側は、カダフィの勢力が存在し、戦争が継続している限り、より限定されたものだとはいえ影響力を持っています。しかしカダフィ派の抵抗が消滅するやいなや、西側が持っている影響力はきわめて削減されることになるでしょう。
AG アシュカルさん、私たちとおつきあいしていただき、ありがとうございました。
▼ジルベール・アシュカルの邦訳書には『野蛮の衝突』(作品社)、『中東の永続的動乱』(柘植書房新社)がある。
(「デモクラシー・ナウ」二〇一一年八月二四日より。「インターナショナルビューポイント」二〇一一年八月号」
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リビア新政権はカダフィが行なってきたのと同様に欧米諸国に石油権益を売却するだろう。これはリビアの復興に大きな力となる。それとともに石油によって得た富が、これまでカダフィとその出身部族がほぼ独占していたのと入れ替わりに、国民各階層の人々に平等に分け与えられるようになるだろう。
カダフィの独裁支配時代を欧米の植民地時代だ、などという者は一人もいない。欧米が狙っている石油に関してはこれまでカダフィが欧米諸国に対して取ってきた態度と、新政権になっても基本的には変わることがない。リビアは欧米の植民地になる、などとねぼけたことを言っていた者たちは、カダフィそのものが欧米の植民地支配に屈していた、と言っていることになる。これが如何にずれた認識であるかは明らかである。
それにしても、反カダフィ派の最後の拠点・ベンガジが今まさに陥落しようとしていた時に、欧米の空爆反対を主張していた「かけはし」編集部の「教条主義」には呆れてものが言えない。欧米の空爆による支援があったからこそ、反カダフィ派は絶体絶命の危機から脱して反撃を開始することができたのだ。
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