01. 2011年8月29日 21:12:58: StnhJjyMPw
女王陛下の大英帝国陸海空軍は天下無敵だったと言うのは、今や昔の話だ。けちの付き始めは、第二次世界大戦のマレー沖海戦で、大英帝国の誇る高速巡洋戦艦、プリンス・オブ・ウェールズと戦艦レパルスを日本海軍航空隊の魚雷攻撃で撃沈されてからだ。それからと言うもの、日本陸軍にはビルマ航空撃滅戦で大打撃を受けるは、スエズ運河を巡る攻防戦の第二次中東戦争でエジプトに事実上負けるは、弱い軍隊と言うのが通り相場になりつつあった。それを見てアルゼンチンに戦争を仕掛けられたのが、1981年のフォークランド戦争。アルゼンチンの目の前に浮かぶマルビナス諸島が永らく大英帝国の支配下にあるのが気に入らないアルゼンチンの軍事政権が、マルビナス諸島を奪還するために戦いを仕掛けた。これがフォークランド戦争である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%B4%9B%E4%BA%89 戦いは大英帝国の勝利に終わったが、戦争の内容はアルゼンチンが完全に勝っていた。 1981年5月23日には、アルゼンチン軍のA-4攻撃機が、イギリス海軍の21型フリゲート「アンテロープ」を攻撃し、500kg爆弾2発を命中させた。これは不発弾であったが信管除去作業中に爆発、翌24日に沈没する。この様なアルゼンチン空海軍機による攻撃に対し、早期警戒機を欠き、十分な哨戒時間が取れないシーハリアーによる防衛体制はほとんど機能しないままであった。 1981年5月25日には、アルゼンチン空軍第5グループのA-4Bがイギリス海軍42型駆逐艦「コヴェントリー」とフリゲート艦「ブロードソード」を攻撃し、「コヴェントリー」に爆弾3発が命中し撃沈に成功した。 その直後、アルゼンチン海軍第2航空隊のシュペルエタンダール攻撃機がイギリス海軍の空母機動部隊を攻撃し、空対艦ミサイル「エグゾセ」AM39の2発を発射した。イギリス海軍艦艇はエグゾセの探知には成功し、各艦艇のチャフロケットとデコイを搭載したリンクスヘリコプターによりエグゾセに対抗した。しかしチャフにより目標をそれたエグゾセ1発がイギリス海軍徴用コンテナ船「アトランティック・コンベイヤー」に命中し大破炎上。コンベイヤーは30日に沈没、撃沈された。 「アトランティック・コンベイヤー」により輸送されてきたシーハリアー、ハリアーGR.3はすでに「インヴィンシブル」「ハーミーズ」に移動していたため、損害はなかったが、まだ搭載されていたチヌーク3機、ウェセックス6機、リンクス1機、計10機のヘリコプターが失われた他、軍用トラック、航空機整備部品、爆弾などの装備、臨時滑走路構築用の資材など大量の物資が失われ、その後のイギリス軍の作戦行動に大きな制約を与えた。 特にイギリス陸軍はヘリコプターを多数失ったことで陸上における歩兵、物資の輸送に多大な影響を出し、臨時飛行場構築用の資材を失ったイギリス空軍はサン・カルロスに建築予定だったハリアー用臨時飛行場の規模大幅縮小を強いられ、航空作戦の計画を変更せざる得なくなった。 この日の攻撃ではアルゼンチン側も3機が撃墜されるが、この一連の攻撃を受けて、イギリス海軍はわずか4日間で2隻のフリゲート艦、1隻の駆逐艦、1隻の徴用艦の計4隻の大型艦船を失うこととなった。この様な、「第二次世界大戦時の(対日戦における)マレー沖海戦以来の失態」とまで呼ばれた相次ぐ海軍艦艇の損失と戦闘要員の喪失に、イギリス国内では海軍上層部に対する叱責がマスコミを中心に巻き起こった。 この、「第二次世界大戦時の(対日戦における)マレー沖海戦以来の失態」の表現に、イギリス世論の悔しさがにじみ出ている。大英帝国は、発展途上国にすら負ける。このあせりは相当のものであった。 イギリスの重要産業であった自動車産業は1960年代中頃以降、輸出される日本車に海外市場を次々と奪われていった。最初は海外市場だったが、このフォークランド戦争の当時は、イギリス本国にまで日本車が大挙攻め込んでいたのである。1969年以降、日産自動車のブルーバード、240Z、バイオレットなどにイースト・アフリカン・サファリラリーに優勝を奪われ、イギリス車の重要な輸出先を奪われた。それが1970年代末期には、遂に西欧諸国に大挙してなだれ込み、イギリス自動車産業は存続の危機を迎えたのである。 大英帝国は国威発揚の切っ掛けが欲しかった。そこで飛び出したのが、1950年代に開発、生産されたバルカン重爆撃機の投入であった。国防予算の削減で維持できなくなった大英帝国爆撃隊は解散され、主力兵器のバルカン重爆撃機は解体される運命であった。そのスクラップされるはずの重爆撃機を発掘し、戦線に復帰させたのである。そして、インド洋のアセンション島から長距離飛来し、フォークランドに渡洋爆撃を行なった。これを見て、世界はあきれた。「こいつら、過去の栄光にすがっていやがる」 フォークランド戦争は、一応大英帝国は勝ったこととなった。ここからゲン直しとばかり、戦争大好きのアングロサクソン根性丸出しの道を歩むのである。リビアに対する攻撃にしても、カダフィ大佐が国有化するまでは、リビア国内に広大な空軍基地を持っていたのが大英帝国。これを取り返すと言うのか。まあ、がんばれや、アングロサクソン戦争中毒。 |