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日本は、悲しみの新年(RFI)
(Nouvel An dans la tristesse au Japon: RFI)
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20111231-nouvel-an-tristesse-japon
日本/新年−記事発表:2011年12月31日土曜日−最終更新:2011年12月31日土曜日
RFI
東京。新年に向けて、冷水に浸かって禊ぎをする。
© Getty Images/Junko Kimura
1月1日は、日本にとって重要な祝日のひとつだ。日本の人々は家族と再会するために、数日間の休暇を利用する。しかし、今度の晩餐はこれまでと違う。そこに悲しみがこもっているのだ。日本の人々は、3月11日の巨大な地震と津波、そして、未だ解決を見ない福島原発事故を、忘れることができない。
報告:RFI東京駐在記者、フレデリック・シャルル
日本の新年は、めくられる新たなページ以上のものだ。日本の新年は、何よりもまず、更新の儀式である。日本人の4人に3人は、自分たちの寺院や神社を訪問する。深夜、積み重なった108種類の悪い考えを追い払うために、寺院の鐘が108回打たれる。神殿の前では、人々は手を3回叩き、静かに祈る。新年の別のしきたりでは、祈りを綴った数百万もの葉書がやりとりされる。
しかし、今年は違う。多くの日本人は、神々の加護を求めて祈りを捧げる気持ちになれない。多くの人々が、やはり、葉書を出すのをやめている。彼らは喜んでいない。悲しいのだ。
東北地方では、数百万人の人々が、大地震・大津波・福島原発の事故のために、生きる上で重荷を背負わされた。助かった人々は、助かったことに罪の意識を感じている。全国に拡散した仮の住まいの中で、生きる支えを持てない人たちもいる。
しかし、政府は福島の大事故のページをめくることを模索している。「事態は解決しました。皆さんは自宅に戻れます」と、原発事故の被害者に政府は繰り返す。しかし、東北地方の福島では、何ひとつ解決していないことや、肉親を初めとして、全てを失った人々もまた、2011年の最後のページをめくれる状態に達してないことを、誰もが知っているのだ。
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(投稿者より)
RFIサイトに掲載された記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦下さい。
神社の作法は、「二拝二拍手一拝」が基本です。今年用の年賀葉書の発行枚数はざっと36億枚。でも、ここでは、細かいことは言わないで下さい。
日本の新年の映像は、東京タワーで風船を飛ばす様子と、神殿に祈りを捧げるカップルの姿が、世界の他の都市の様子(たいていはカウントダウンとビル街に鳴り響く花火ですが)とともに、フランス24で見ることができました。
去年は、日本の新年は見事に無視されていました。国際社会の中での地位低下を如実に示したものと、思われました。ドイチェ・ヴェレでもそうでしたので、多分そうだと思います。
去年は、3・11の惨事がありました。数多くの人々にとって、苦しみは続いています。しかし、その一方で、これは日本の底力を全世界に見せつける出来事でもありました。秋のタイ洪水では、日本は早くも助ける側に回っています。
今年は「試練の年」、と、誰もが言います。政治・経済がそうです。これは、説明不要でしょう。
さらに、戯れ言とお許しいただくならば、マヤ歴では今年は5200年の節目でした。25640年の節目、という人もいます。シンボルの世界では、今年は歴史や時空の変わり目、とのことです。実際、何が起きるかは分かりませんが。
問題は山積しています。政府の対応も相変わらずですが、日本は必ずこれを乗り越えることができると、信じています。
今年もよろしくお願いいたします。
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