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硬直化した100年来の日本の政治システムを変革しようとする大政治家の小沢一郎に対し、既得権益を守りたい私利私欲に凝り固まった政治家達による小沢攻撃は醜悪そのものといってよい。しかし彼らの嘘八百も何百回と繰り返されると国民も「小沢って悪い奴?」となってしまう。こんな小沢への「国民の誤解」を解こうと作家の世川行介氏が「小沢激励」本を執筆中だ。最近その一部を公開しているので紹介したい。
<以下抜粋>
とにかく、小沢一郎に対する罵詈雑言はすさまじい。この二〇年間、テレビ、新聞、雑誌で、これでもかという調子でたたかれ続け、官僚、政治家、左翼系学者たちからは、罵倒にちかい雑言を浴びつづけ、六〇年安保で全学連の闘士だった評論家の西部邁からは、「小沢一郎は背広を着たゴロツキである。」とまでこきおろされるなど、まるで、建設延期になったビルの鉄骨のように、雨ざらしの中で、さびしく、無言で、屹立してきた。
何故、小沢一郎はこんなに罵詈雑言を浴びなければならないのだろう?
各方面からの小沢一郎に対する批判の例をあげながら、小沢一郎が嫌われる理由を考えてみたい。
野中広務の小沢憎悪
野中広務という元政治家がいる。
かれは、九三年頃、まだ政権党だった自民党の最大派閥・経世会(田中角栄の派閥を継承した)のドン竹下登元首相の腹心で、小沢一郎と羽田孜が自民党を飛び出すきっかけになった経世会分裂時期に、反小沢の急先鋒となって名を馳せ、中央舞台に踊りでた。
小沢一郎が自民党離党後に反自民細川政権を樹立させてからは、小沢一郎を「悪魔」と呼び、徹底した反小沢姿勢をつらぬき、自民党の政権奪回に貢献した。ドンの竹下登が病死すると、経世会を掌握し、官房長官、自民党幹事長にまでのぼり、一時期は「影の総理」とまで言われた。
郵政族のドンでもあった野中広務は終始郵政民営化反対の立場にあって、〇三年一〇月、自民党総裁選で、藤井孝雄をかついで、郵政民営化を叫ぶ小泉純一郎の再選阻止に動いたものの、派内をまとめきれず、これに敗れて政界を退いた。
が、彼は、不思議なことに、自分を引退にまで追いつめた小泉純一郎の批判は手控えて、現在まで一貫して小沢一郎批判をつづけている。以下はその小沢批判の一例だ。
「私は小沢一郎という政治家を悪魔だと思っていますから、」
「あれほど官僚をうまく利用して、自分の利権と結んでおった人もいないですね。世間的には民主党=小沢さんが官僚を徹底的に叩くという表面的な意味を見出しがちかもしれませんが、小沢さんにとっては官僚にきちっと根回ししをしておくという部分が根底にあるように思う。」「たしかに司法試験に受からなかったというコンプレックスは彼につきまとっておったと思います」
「(小沢一郎が)何のためロンドンへ頻繁に飛んでいるのか。実は小沢さんは相当のカジノ好きという。ロンドンには個室のカジノがあり、そこに通っているという話があるのです。ですから、重病説も囁かれるほどのイギリス行きですが、心臓病は関係なく、実際は相当健康体だと思います。
(中略)
相当、人に言えんことを英国でやっておると私は思う。(〜中略)ペースメーカーをいれていないのに、英国へ治療と称して、頻繁にゆき、付き添いは側近だけ。そして、カジノ。それにわけのわからない不動産と政党助成金を狡猾に盗んだ蓄財。これだけでも国税は十分に調べる価値がある。」
「小沢さんという人はやはり副総理の座を狙っておったんでしょうな。あの人の政治生活三十数年のなかで、閣僚経験というのは第二次中曽根内閣で自治大臣をやったのみの一回限り。そこは非常なコンプレックスだったと思うんですね。だから福田さんとの大連立のときもやっぱり副総理を狙っていた。」「悪魔は不滅ですよ。」
(小沢一郎の逆襲 野中広務・立花隆 文芸春秋2010年8月号)
「悪魔」。「利権」。「コンプレックス」。「カジノ好き」。「人に言えんこと」。「わけのわからない不動産」。「狡猾」。「盗んだ」。「蓄財」。「副総理の座を狙っていた」…。
元自民党幹事長という要職までこなした政治家が、『文藝春秋』という一流雑誌でこれだけの刺激的すぎる人格否定発言をしたら、通常の読者は、おそらく、話半分と受け取っても、小沢一郎という政治家に対して、かなりの不信感を抱くことだろう。
で、この発言は何を根拠にしているのかな、と丁寧に読んでみると、「…と思っていますから」、「…ように思う」、「…だと思います」、「…という話があるのです」、「…でしょうな」、「…と思うんですね」と、どの刺激的すぎる人格否定発言も、すべて、きちんとした根拠のない野中広務個人の憶測であることがわかる。
人が誰かを手きびしく非難する時に、このような無根拠の個人的憶測にもとづいた刺激的な言葉の羅列での非難というのは、人の人格を重んじる現代社会で認められるものなのだろうか? そこが、僕には、どうも不思議でならない。
たとえば、「実は小沢さんは相当のカジノ好きという。ロンドンには個室のカジノがあり、そこに通っているという話があるのです。」といった噂話(あるいは憶測)を、一片の根拠も示さずに、「…という」、「…という話があるのです」、といった程度の説明だけで、「ロンドンには個室のカジノがあり」などと、小沢一郎が個室でカジノに興じているのを自分の眼で見たかのようにしゃべり、あたかも小沢一郎がカジノ好きなのは疑いのない真実かのように思いこませる手法をとっている。
このような手法のことは、一般社会の言葉では、「詐(さ)術」、というのだ、と僕は理解しているのだが、そうしたたぐいの「詐術」が、この対談のほとんどを占めている。
誰でもわかることだが、こうした詐術にあふれた文章でも、読み終わった読者の脳裏には、刺激的な言辞だけは記憶として残り、「……と思う」といったような推測の言葉は消えてなくなるのが人の常だ。これは、「自分の個人的憶測を事実化したい」という格別の思惑を持った人間がつかう常套手段だ。
しかし、それによって、個人的な憶測が事実となってひとり歩きすると、実際のその人とはまったく異なった人物像が誕生してしまう。まして、相手の小沢一郎は、日本政界の一角に存在感をしめしている大物政治家だ。通常なら、「でたらめを言わないでくれ」と、名誉毀損で訴えられても文句の言えない誹謗中傷のたぐいではないのだろうか?
僕は、この対談を読み終えて、発言主である野中広務の人格と良識を疑うと同時に、このような発言を許して掲載した文藝春秋社の、出版人としての良識を疑った。
この雑誌がこの対談を大見出しをつけて掲載したという事実から推測すると、野中広務と文藝春秋社の両者の思惑が一致したのだろうが、その思惑の一致というのは、「小沢一郎に対しては、どのような憶測で非難してもかまわない」という思惑の一致だと考えるのが妥当だろう。
ことさらに小沢一郎の肩をもとうとは思わないが、率直な気持ち、こんな無根拠の中傷悪態に近い攻撃を受け、そんなゆがみにゆがんだ虚像が小沢一郎の実像みたいに広まっちゃ、小沢一郎は不憫だな、と、僕は思った。
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