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2011年9月26日 (月)
西松・陸山会事件被告は判決と関わりなく完全無実
2009年から2010年にかけて吹き荒れた、民主党元代表小沢一郎氏に対する人物破壊工作=CHARACTER ASSASSINATIONの主要部分をなす、小沢一郎元代表の秘書に対する公判の第一審判決が9月26日午後1時半に開廷される東京地裁の判決公判で示される。
誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀
著者:カレル・ヴァン・ウォルフレン
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2004年10月から2005年1月にかけて売買契約が交わされ、不動産登記が行われた東京都世田谷区の不動産取引にかかる政治資金収支報告書への記載に間違いがあったとされたこと、および、小沢氏の政治資金管理団体が西松建設と関わりのある政治団体から受けた政治献金について、寄附行為者の名称を誤って記載したのではないか、ということが「犯罪」として取り扱われ、裁判が行われてきた。
裁判所が示す判決について、あれこれ論評が示されることになるが、日本の警察・検察・裁判所の現状を踏まえる限り、このような政治的背景を強く有する事案についての評価は、裁判所の判断と離れて行う必要がある。
つまり、日本の警察・検察・裁判所は信頼するに値しないという事実を、すべての市民が認識する必要があるのだ。
裁判所が適正な判断を示す場合は良いが、裁判所が適正な判断を示すかどうかは、ひとえに、裁判官の属性に委ねられている。
日本国憲法第76条には、
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」
との条文があるが、問題はこの条文が実現するための制度が確立されていない点にある。
現実はむしろ逆である。裁判官の任用および10年ごとの再任用、昇進、昇格、勤務地、その他処遇のすべてを、「最高裁事務総局」が握っているのだ。通常の裁判官は、この最高裁事務総局に逆らえない。だから、歪んだ判決が示されることになる。
問題は、この最高裁事務総局にある。最高裁事務総局が裁判官の独立性を担保するために、他の権力機関、すなわち、行政府や立法府からの不当な圧力を遮断し、文字通り、個々の裁判官が良心に従って職権を行い、憲法及び法律にのみ拘束されるための防御壁として機能するなら、憲法第76条の規定の精神が生かされることになる。
ところが、現実には最高裁事務総局は、逆に裁判官の独立性を歪める働きをしているのだ。ここに最大の問題がある。
この問題を抉り出した名著が、前千葉大学法経学部教授新藤宗幸氏による『司法官僚』〈岩波新書〉である。
司法官僚―裁判所の権力者たち (岩波新書)
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新藤氏は最高裁事務総局が法務官僚と一体化している現実、および、最高裁事務総局が判例を誘導するための研修会を開催してきた事実などを鋭く指摘する。
一言で表現するなら、最高裁事務総局は司法の独立性を重んじるのではなく、時の権力の側を常に見る側面を強く有しているのであり、この点に最大の問題がある。つまり、政治的背景を背負う問題については、裁判所の示す判断に政治的影響が色濃く反映されることになるのだ。
最近では長銀や日債銀の粉飾決算事件の事実認定等が最高裁で覆された。防衛医大教授の痴漢事件については、逆転無罪が言い渡された。砂川事件では第一審で米軍の日本駐留を憲法違反であるとの判断が示されたが、米国の圧力などを背景に最高裁が差し戻しの判断を示し、第一審の判断が覆された。
八幡製鐵による政治献金の是非をめぐる裁判でも、第一審で政治献金を違法とする判決が示されたが、高裁、最高裁が判断を覆し、企業献金を判例が容認する契機になった。この点について元最高裁長官が、政治的な判断から司法の違憲立法審査権発動を躊躇したものであったとの趣旨の発言をのちに国会で陳述している。
2006年3月に小沢一郎氏が民主党代表に就任して以来、マスメディアを通じて小沢氏に対する激しい攻撃が展開され続けてきた。その理由は、米国、官僚、大資本が支配する日本政治の構造を小沢氏が破壊するリスクが高いと判定されたことにあると思われる。
自民党との大連立構想、日銀幹部人事、民主党代表選などのあらゆる機会を通じて、小沢氏の影響力を排除しようとの工作活動が展開されたと判断できる。
2009年3月の大久保隆規氏逮捕、2010年1月の石川知裕氏、池田光智氏、および大久保氏の逮捕は、このような流れのなかで発生した政治事件である。
本日の判決公判でどのような判断が示されるのかは定かでない。適正に無罪判決が示されるべきことは当然だが、日本の裁判所の腐敗した現状を踏まえれば、楽観視ばかりはしていられない。
重要なことは、争われている事案の詳細な内容を市民が正確に知り、裁判所の判断とは別個に、適正な判断を市民が共有することだ。
裁判所が有罪とする事案のなかに、実は完全な冤罪が数多く含まれている。
裁判所が無罪とする事案のなかに、実は完全な犯罪が含まれていることも決して少なくない。
裁判所の判断とは別に、適正な判断を持つことが重要であり、本当の正しい判断とは異なる判断を裁判所が示す場合には、その背景を考察することが重要である。
小沢一郎氏の人物破壊工作の一環として取り上げられている今回の二つの事案について、「犯罪」の名に該当する内容は皆無である。これは、裁判所がいかなる判断を示したところで、変わらぬ真実=真理である。このことを私たち市民は確実に認識し、その判断共有しておかねばならない。
裁判所の判断を絶対視してはならないのだ。裁判所の判断を相対化することが不可欠である。
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