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正義と悪とが逆転した日本/司法は悪の味方を公然と行う事で「近代国家」の礎を捨て去っている。
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2011-09-21 23:56:08 :(晴れのち曇り、時々パリ)
近代社会とは、個々の<人権>が完全に認められた国民が、<民主主義>の基に、平和で安定した生活を営む事が、国家によって保証されている社会である。
信条を表現する自由。
意見を持つ自由。
意見を言う自由。
信条を発信出来る自由。
そのように、夫々の価値観を尊重される社会が、近代国家である。
そして、善悪は相対的な物であるとは言え、その判断は客観的に為されなければならない。
そして、その判断は一方的な偏った価値観だけに基ずく事が有ってはならない。
近代国家に於いては、主権は国民に有る。
社会の控除良俗に反しない道徳観と、正義に則った公徳心とに裏打ちされて、善悪の相対的判断をするシステムを「司法」という。
司法機関は公務員であり、公務員は国民に仕えるべき存在である。
つまり、正義は国民を守る為に、機能しなければならない。
元々「官僚」と言う物は、独善的になりがちである。
なぜなら、行政の執行機関であり、権力を現場で行使出来る立場で有る以上、自分達が権力であると、勘違いしやすいからだ。
あくまで「国家国民」の為の行政である事が原則である。
しかし、発展途上国や、独裁政権国家では、官僚は即権力そのもので有る事が多い。
そのような社会に有っては、国民の主権は否定され、政治信条は規制され、意見を言う自由は抑圧される。
何故なら、発展途上国の権力者は、国家を治める為の権力を個人の権力と混同し、自己の利益を優先する事ななってしまうため、国民の意志に反する政治を行う事が常であるからだ。
権力がそのように作用する以上、国民に自由を認めておく余裕は無くなってしまう。
かくして、国民は抑圧され、民主主義も産まれてこない。
独裁者を倒すまでは。
そして、独裁者を倒す行為が、別の独裁者を産むだけの結果になってしまっては、いつまでたっても「近代国家」にはなれない。
善悪は、相対的な物であるが、あくまで「国民に背を向けた」善と言う物は、あり得ない。
国民の為に、国民の主権の為に、作用する力が善であり、国家権力はそのような力を行使しなければならない。
勿論、ここで挙げた「独裁者」は、一個人である必要は無い。
組織としての独裁も、あり得るのだ。
一見、「民主主義国家」の衣を身に纏い、外見上「近代国家」の様相を呈しながら、政治と行政とが国民に背を向けた、「政治家と官僚」だけの利益に基づいて作用していれば、それは明らかに「独裁国家」と言えよう。
そして、政治と行政との「暴走」を防ぎ、暴走が為された際にはそれを改める為のシステムが、司法である。
司法制度が完備して、その役割を完全に果たしていれば、そこに「独裁政治」や「非近代国家」は存在し得ないことになる。
三権は分離独立されていなければならない。
真の「民主的近代国家」を標榜するのならば。
ましてや、第三国の利益の為に働く公務員や政治家が、国家の政治と行政とを牛耳っている等に至っては、まさに「主権国家」では無く、単なる「植民地」に過ぎない。
◆山本太郎氏らを佐賀地検に告発しました
↓
『京都党を真面目に考える会ブログ』
☆記事が削除されています。
(引用開始) このニュースを見て、私は大変な怒りを覚えました。少し前に同じようなことをやった在特会が摘発されたのは記憶に新しいところですが、本事件では捜査機関が捜査を着手したという報道もなされていないことから、7月14日に佐賀地検に告発状を郵送しました(7月22日に一部訂正した告発状と証拠も補充して再送しました)。 「告発状を速やかに受理し、同封致しました告発状副本に受理印を押印して、告発人住所地まで遅滞なくご返送頂きたくお願い申し上げます」という添え状を付けたのですが、未だに受理印を押印した副本は私のもとに届いておりませんので、告発状が受理されたかどうか不明です。 佐賀地検から一度電話がありましたが「あなたが告発状を提出されたことに間違いありませんか」「告発状は警察など他の捜査機関にも提出されていませんか」という事実確認のみで、「受理するかどうか検討中」とのことでした(ちなみに告発状は検察のみにしか提出していません)。 佐賀地検から電話があった日から既に約1ヶ月経ちましたが、未だに捜査が開始されたという報道はなされていません。やはり、私は腰が重い検察を動かすためには「地域政党京都党 代表村山祥栄」の名前で告発するのが一番ではないかと思料します。京都市とは一切関係ない事件ですが、わが党の代表に告発への協力を要請したいと思います。
7月11日に反原発団体が佐賀県庁に「突入」(マスコミの表現)した事件がありましたが、ご記憶にございますでしょうか?「突入」した人物の中に俳優の山本太郎氏がいたことで、大きく報道されました。
以下、告発状に記載した告発事実の全文です。
反原発団体の構成員・支持者である被告発人は平成23年7月11日、佐賀県庁前で玄海原発2・3号機の再稼働に反対する抗議活動を展開した。
被告発人は原発再開反対の請願書を佐賀県知事に渡すために佐賀県庁に立ち入ろうとしたが、管理権者である佐賀県は「庁舎管理の面から制限せざるを得ない」として県庁の正面玄関を含む多くの出入り口を封鎖する措置をとり、被告発人の県庁立ち入りを明白に拒否した。
こうした県庁の対応に反発した被告発人は県職員と押し問答の末、被告発人は管理権者の意思に反して県庁に侵入した。
県職員はバリケードを築いて被告発人の侵入を必死に防いだ。被告発人の中には警備員を羽交い絞めにする者もいた。
結局、被告発人は知事との面会はかなわず、県民ホールで原子力安全対策課の職員に請願書を手渡し、立ち去ることとなった。
このような被告発人の所為は憲法が保障する表現の自由から著しく逸脱するものであり、法治国家として是認できるものではない。県職員(とくに女性職員)の中には被告発人の本件所為に畏怖したであろうことは想像に難くない。
本件事件が発生してから相当な期間が経過しているが、未だに被告発人を被疑者とする捜査が行われているという報道はなされていない。従って、被告発人のような過激な者を野放しせず、厳重な処罰が行われるよう、速やかに捜査に着手することを求めるため、敢えて告発に踏み切った次第である。
(引用終了)
>被告発人は原発再開反対の請願書を佐賀県知事に渡すために佐賀県庁に立ち入ろうとしたが、管理権者である佐賀県は「庁舎管理の面から制限せざるを得ない」として県庁の正面玄関を含む多くの出入り口を封鎖する措置をとり、被告発人の県庁立ち入りを明白に拒否した。
この時点で、行政サービス機関としての「県庁」は、完全に住民に背を向けている。
つまり、民主主義近代国家の基本を否定した訳だ。
>結局、被告発人は知事との面会はかなわず、県民ホールで原子力安全対策課の職員に請願書を手渡し、立ち去ることとなった。
行政の長であり、本件(佐賀県に於ける原発推進に反対)における、最終的責任者が「住民の意思を否定している」以上、その時点で独裁者に成り下がっている。
>このような被告発人の所為は憲法が保障する表現の自由から著しく逸脱するものであり、法治国家として是認できるものではない。
このように、住民の意見の意見を封殺する行為が、「憲法の保証する表現の自由から著しく逸脱するもの」である。
正しく、佐賀県知事の行動こそが、法治国家として是認出来る物では無い。
この様に、主客逆転し、理論が完全に破綻している『告発状』を、「受理する司法」など、民主主義を否定し去っている以外の、何物でもない。
日本国民の子々孫々の命に関わり、日本の国土の保全に関わる重大な問題に関してこの様な、支離滅裂な「有る一個人」の告発なる行為を、深く考える事も無く、単純に「自分達の側」の利益を守らんとして、受理する司法など、存在しないに等しい物であると、断言する。
このような、政治と官僚とが一体となって、その彼等の「違法なる権力」を打ち破り、実権を国民の側に取り戻す事を訴えた政治家は、でっち上げの無実の罪で潰され様とする、彼等の力の標的になる。
しかし。
確たる信念で行動する人間は、強いのだ。
冤罪によって誣告されている政治家も、決して挫けない。
@yamamototaro0山本太郎俳優
「告発なう?(笑)何があっても覚悟してるよ。それが闘うって事でしょ。僕の事は自分で決着つけるから心配しないで。皆は不条理を押し付けられている人々に引き続き手を差し伸べて下さい。そしていまだ甘い汁を吸い続ける権力への監視も!m(_ _)m」
<政権>と<官僚>と<報道>とが一体となって、第三国の利益を背景に、「国民の為に行動する」人物を、告発したり、冤罪をなすり付けて「刑事被告人」に貶めたりするシステムの『日本国』と言う国が、如何に「発展途上国」で「独裁国」であるかの、明々白々なる証である。
私は、このような「独裁者達」こそを、告発したい。
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