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2011年9月 8日 (木)
東北の野菜や肉についての正しい考え方
中部大学の武田邦彦教授が大阪読売テレビのローカル番組「たかじんのそこまで言って委員会」に出演して東北地方の農産物について発言した内容が問題視されている。
武田氏は「一関には放射性物質が落ちている。子どもは東北の野菜や牛肉を食べたら健康を壊す」と発言したと報道されている。
武田氏の発言に、事実と異なる部分があるなら、武田氏は訂正するべきだが、この種の発言に対して、言葉狩りのような対応を示すことは正しくないと思う。
これは、原発事故発生当初から生じている問題で、私も本ブログで何度も取り上げてきた。事実無根の不安心理を煽る発言は当然のことながら示すべきではないが、低線量被曝と内部被曝のリスクに有無については、学術的にもまだ完全な回答は得られていない。大丈夫だとする説もあれば、低線量の被曝でも影響を受ける人が存在するとの説もある。
しかも、ヨウ素131やセシウム137、あるいはストロンチウム90、プルトニウム239などの子どもの健康への影響は10年ないし20年経たないとはっきりしないとの学術的な報告もある。住民への影響を考慮するに際して、これらの影響を慎重に吟味しようとする姿勢は称賛されこそすれ、避難の対象とするべきものでない。また、多くの放射性物質の半減期は長く、飛散した放射性物質の影響は長期に残存する。
消費者が絶対安全なものだけを摂取したいと考えるのは当然のことである。この消費者の姿勢を誰も非難することはできない。
他方、農林水産物の生産者が、原発事故による放射能放出によって、生産物が販売不能に陥ったり、販売が振るわずに価格が下落して、売上金額が減少することについて、心配したり、怒ったりすることも当然の反応である。
この農林水産物生産者に、出荷許可を出しているのだから頑張って売れと言い放って、何らの救済措置を取らないことは不当である。
武田教授の発言の基軸は、放射能汚染に対して、慎重のうえにも慎重を期すべきであるとの基本姿勢を示したものであり、個別事案について事実と異なる部分については、もしそのような部分があるなら訂正と謝罪が必要だが、基本姿勢そのものは間違ったものではない。
このような発言に伴い、安全を重視する消費者の行動が間違っているとの空気が醸成されることは不当である。このことは、原発放射能放出事故を発生させた責任が電力事業者にあるにもかかわらず、放射能汚染による被害の責任が安全を重視する消費者に転嫁されてしまうとの、根本的な誤りを生み出しかねない。
実際に、これまでの事実経過を振り返ってみても、政府の発言をそのまま信用するわけにはいかないのだ。「市場に流通する農林水産物は、絶対的安全を確保したものだけである」と政府は繰り返し発言してきたが、実際には、流通して、消費者がすでに摂取してしまった後で、牛肉にしても野菜にしても、規制基準値を超えるものが流通していたことが何度も判明している。
この点を踏まえれば、政府の示す「安全」は原発そのものの安全と同様に、「絶対安全」ではないのだ。
『週刊ダイヤモンド』2011年9月11号タイトルは
「汚れるコメ 食卓に迫る危機の正体」
週刊 ダイヤモンド 2011年 9/10号 [雑誌]
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2011/09/05
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である。28ページから63ページまで、巨大特集が組まれている。その冒頭には、
「放射能汚染への懸念から、安全性に疑念の目が向けられている」
との記述がある。
武田氏を糾弾するのなら、このような冷静な分析に基づく、リスクへの警告書も糾弾しなければならないことになる。放射能汚染の危険性を指摘する一切の発言、言論を封殺し、「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」を実行するのが、正しい姿勢とでも言うのだろうか。
週刊ダイヤモンドが指摘するのは、コメの安全性検査の手法に疑問があり、その手法が恣意的であるということだ。特集では、「穴だらけの検査手法」とのタイトルの下に、問題点を図示している。
当然のことながら全粒検査ではなく、サンプルとしてピックアップした地点でのみ検査が実施される。いわゆるホットスポットなどの重点調査区域では15ヘクタールに1点だが、その他の調査区域では、1市町村当たり7地点でしか検査は行われない。しかし、ホットスポットのすべてが掌握されていないのだから、本当は検査しなければならないのに、検査されない箇所は無数に存在するだろう。
また、同特集は他県産のコメ袋が福島県に続々と集められている現実も伝えている。コメ袋の空き袋は産地・銘柄偽装の道具としてよく知られているとの記述もある。
私たちが目を皿のようにして警戒しなければならない最大の理由は、政府に、農林水産物をできるだけ安全なものとして取り扱いたいという、強い誘因が存在していることにある。農林水産物が安全基準を下回り、流通不能になることは、そのまま、政府と東電の原子力損害賠償の対象になる。
原発事故発生直後から、政府の避難勧告措置は後手に回り、小出しに終始した。本当に安全を第一に考えれば、まず避難エリアを過大に設定し、現実が明かになるに連れて、避難エリアを段階的に縮小する手法が取られるはずだ。
ところが、現実には、その時点の情報での最小限度に避難エリアを抑制したから、何度も避難エリアを拡大してゆかねばならなくなったのである。
その理由は、ただひとつ。政府の財政支出を抑制したいことだけにあった。つまり、政府は国民の生命、健康を犠牲にしてでも、財政支出を抑制する行動を、現実に採用してきたのである。
その行動原理が突然変わるわけがない。だから、政府の言葉としての「安全」は信用できないのだ。専門家の間でも意見が分かれているが、これまでの研究実績などを勘案して、信用の置けそうな人物を見定めて、各個人が独自に判断をしているのが現状である。
そのなかで、武田邦彦氏の精力的な情報発信を高く評価する国民が多数存在するのは事実である。武田教授の発言内容は政府の説明と食い違う部分が多いが、それでも、各種情報のなかから取捨選択して、武田教授の発言内容に一定の信頼を置いている人は多いと思われる。
なかには、武田教授の指摘は、過剰な警戒論だと判断する人もいるだろう。専門家のなかでも、低線量被曝のリスクは小さいとか、むしろ健康にプラスだとさえ主張する研究者もいるのだから、それは当然のことだ。
ただ、学術的に統一した解が明確に示されていない以上、各個人が誰の主張に依存して判断し、行動するのかは、結局、各個人に委ねる以外に道はない。
ミクロ経済学ではリスクに対する意識に個人差があることを前提に理論を構築する。安全を好むものをリスク回避者、危険を好むものをリスク選好者と呼んで区別するのだ。もちろん、すべての個人がマイナス1とプラス1のどちらかに分類されるのではなく、プラス1からマイナス1まで、まんべんなく人のリスク選好度は散らばっている。
安全を重視する人=リスクを回避したい人が存在して当然なのだ。もちろん、事実を正確に把握して、合理的な理由に基づいてリスクを指摘する必要はあるが、リスクが存在するかもしれないものを、絶対安全だと断言し、リスク重視の発言を封じることは正しくない。
放射能汚染で生産物を出荷できないために生じる損害が、東電と政府によって完全に補償されることが何よりも大事なことなのだ。消費者がリスク回避を強めると、生産者が迷惑を蒙るから、リスクを回避する行動を取るなとする姿勢は、政府と東電の責任を消費者に転嫁する結果につながる。
リスクを回避する消費者が加害者で生産者が被害者だとする図式は絶対の間違いであることを正しく認識しなければならない。リスクを回避する消費者と、生産物が売れなくて困る生産者は、どちらも原発事故の被害者なのだ。
本稿を書き終えてから発見したが、「カナダde日本語」の美爾依さんが、「武田邦彦氏の「汚染された農産物を流通させるべきではない」との主張を支持する」とのタイトルで記事を掲載されていた。ぜひ、ご一読賜りたい。
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