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海江田氏が民主党代表選挙を制しました。首班指名により海江田首相が誕生するのは、ほぼ間違いないでしょう。小鳩グループの統一候補に海江田氏が選ばれたことについて、恨み・辛み・落胆も含めて喧しい議論があったようですが、これが小沢氏と鳩山氏の最終的な合意である以上、あえて私は、この選択を、ベストであると受け止めたいと思います。
結論となる選択肢が最終的には一つしか無い以上、その選択は、もはやベターでもグッドでもなく、ベストなのです。そしてこの選択は、来年9月の代表選に掛けられる大きな期待に向けての、大きな大きな第一歩となりうるものです。
海江田万里氏がベストであるということは、決して彼が100点満点であることを意味するものではありません。海江田氏には失礼な言い方かもしれませんが、100点満点中50点かもしれません。でも他の選択肢が50点未満であるとするならば、やはり50点の海江田氏がベストになるのです。
例えばある人は、西岡氏だったら60点だったと言うかもしれません。しかし、鳩山氏が疑問符を付けたということは、そのことが11点の減点となり、49点になったのかもしれません。あるいは原口氏だったら60点だったと言うかもしれません。しかし、小沢氏が疑問符を付けたということは、そのことが11点の減点となり、49点になったのかもしれません。唯一の評価の基準は、小鳩グループの中で、誰が前原に勝てるか、だったはずですから……。
仮に海江田氏が100点満点中50点だとしたら、私たちが100点に足りない50点の落差について、無いものねだりをしてもしようがないということです。足りない50点をあげつらって、海江田氏に、あるいは小沢氏に恨み言を言ってみても、何も始まりません。そういう人は、きれいさっぱりと小沢支持の旗を降ろして、いなくなればいいだけのことです。そういう人は、所詮、寄らば大樹の枝にぶらさがりたいと思っているだけなのですから……。
私たちがやるべきことは、はっきりしています。海江田氏に足りない50点を、どうしたら私たちが補えるか、そのことだけです。これこそ民主主義の原点ではないでしょうか。あえてジョン・F・ケネディの言葉を借りて言うならば、「小沢支持者のみなさん、海江田万里があなたに何をしてくれるかではなく、あなた方自身が、海江田万里に何ができるかを考えてください」ということです。「傍観者たるな、当事者たれ!」ということです。そういう意味で、天橋立の愚痴人間氏の8月26日の投稿は、実に当を得たものであると思います。
そこで海江田が先ずすべきことは、優秀なブレーンを集めることである。 ガムシャラにやっても相手を、国民を納得させるだけの理念を打ち出すことである。 それはブレーンの仕事である。
海江田に独裁者としての固陋な意思はなくても、誠実があればブレーン次第では首相としての政治が行なえる。
…… しかしながらブレーンに支えられた海江田であれば、(国会で泣き出す心情と)同じ心情が人を動かすことも出来る。
この場合、ブレーンに小沢を考えてはいけない。 ……
問題は、海江田を助けられる本物のブレーンがいるか、否かと言うことである。 小沢が選挙対策と同じ情熱で探してやるべきでもある。
海江田よ、己を過信することなく柔軟な姿勢で誠実に国政に当たれば予想外の成果を上げる可能性はある。
天橋立の愚痴人間さん、そして「国民の生活が第一」の実現を希求されている広範な★阿修羅♪読者のみなさん、打ってつけのブレーン候補がいます。K氏です。海江田万里氏は、約1ヶ月前の7月28日に、このK氏と差しで会っています。わずか20分弱の会談の別れ際、海江田氏はK氏に、「また何回も会って話そう」と声を掛けています。この会談でK氏が海江田氏に訴えた内容は、次のようなものでした。
ぜひ私に仕事をください。希望を言えば電力や公務員改革の仕事をやりたいですが、それでなければ仕事をやらないというわけじゃなくて、大臣が仕事をやらせてくれるというのであれば、何でもやります。
そうです。K氏とは、まさに時の人、ご存知孤高の官僚、古賀茂明氏のことです。古賀氏は、官僚は国民の生活を第一に考えて、国民のために働くべきであって、省益や自らの利益の確保に奔走する官僚機構のために働くのではないという強い信念の持ち主であり、そのような言動を一貫して貫いているきわめて稀有な忠臣中の忠臣です。
歴史的な「政権交代」が、何の果実も得ることなく、見る見る内に「政権後退」していき、ついには菅政権に至って「政権崩壊」に至ったそのきっかけは、鳩山政権の初期の躓きにありました。民主党が脱官僚を掲げて政治主導を実現するためには、鳩山政権は、自民党の族議員と官僚といった政官の関係を一度ご破算にした上で、政治家と官僚の新たな関係を構築しなければならなかったのです。しかし鳩山政権は、官僚機構との関係を、そっくり「居抜き」のまま引き継いでしまったために、妥協につぐ妥協を余儀なくされてしまいました、つまり、仏を作って、魂を入れ損なったのです。
K氏こと古賀茂明氏は、その著『日本中枢の崩壊』の中で、この間の事情について、次のように書いています。
誕生直後の絶好機を逃した鳩山政権
脱官僚の最大の好機は、民主党政権が誕生した直後だった。「鉄は熱いうちに打て」のたとえのごとく、あのとき大胆な改革を実施していれば、成功した可能性が高い。
……
鳩山政権が誕生した頃は支持率も高く、この政権がずっと続くとみな考えていた。しかも、脱官僚を掲げて登場した政権だけに、役人は相当思い切ったことをやられると覚悟していた。
……
各人に目標を書かせ、期限をつけて評価する。なかには抵抗する次官もいるだろう。あるいは全員が談合してボイコットしようとするかもしれない。半減は無理だから一割にしてくれと泣きを入れてくる次官もいるに違いない。
しかし、目標を達成できなかった者は、話し合いのうえ、ばっさり切る。ここまで大胆にやれば、残って大事に扱われる者はむしろ、政権に恩義を感じる。
……
あのとき、総理と大臣が一枚岩になって、抜き打ちでこれをやれば、成功する確率はかなり高かったのではなかろうか。
ところが、鳩山政権がやったことは真逆(まぎゃく)だった。政権交代前、農水省の次官は、民主党のマニフェストに書かれていた農業政策を公然と批判していた。政権誕生後、お互いに政策論争をしたのならまだしも、農水の次官が掌を返して「誠心誠意やります」というと、赤松広隆(あかまつひろたか)農水相は即座に「ぜひ、一緒にやってくれ」と応じた。これでは完全に役人のご機嫌取りである。多くの国民はたいへん失望したであろう。
赤松大臣だけでなく、長妻昭(ながつまあきら)厚労相を除く大方の閣僚が、役人に擦り寄った。みなリスクを取れなかった。官僚に離反されてサボタージュされ、足元をすくわれると、大臣をクビになるという恐怖に勝てなかったのだろう。
初めて大臣に就任した方ばかりなので、その気持ちは分かるが、閣内が一致団結して意見を統一し、互いに支えながら脱官僚の方針を貫いていただきたかった。それができていれば、公務員制度改革も政治主導も一気に進展していたはずだ。民主党政権は絶好の機会を逃してしまった……。(『日本中枢の崩壊』古賀茂明著 講談社 pp188〜191抜粋)
この際ですから、未読の方はぜひ一度『日本中枢の崩壊』をお読みください。また既読の方も、もう一度あらためて目を通してみてください。私がこの小論で申し上げたいことはただ一つ、古賀茂明氏を海江田総理のブレーン、すなわち総理大臣付きの国家戦略スタッフのトップに据え、思いっきり仕事をさせることに尽きます。仮にこのことが実現したらどうなるのか、そのことも古賀氏は、上掲の著書の中ではっきりと具体的に書き記しています。
総理直結のスタッフが政治を変える
私の考える総理直結の国家戦略スタッフの在り方は次のようなものだ。
時の総理はスタッフの人数も人選もすべて自分の一存で決められる。何人入れるかも自由だし、政治家と官僚、あるいは民間人の登用も自由。その比率についても総理が独断で決められるといった具合に、総理が好きなようにチームを編成できる。
……
戦略スタッフの一人ひとりに付与される権限は形式的にはさほど強くはないが、いったん総理の指示が下れば、事実上なんでもできる。その事項に関する、実質的に大きな権限を持てる。
しかし、大きな権限を与えることができるのはあくまでも総理だけであって、官房長官や官房副長官は、総理から頼まれない限り国家戦略スタッフには直接指示できない。
……
私のシステムなら、総理が予め、戦略スタッフの一人の指令に従うよう、各省庁にお触れを出しておき、総理の命を受けた戦略スタッフの幹部が指揮を執るといったやり方も事実上、可能になる。
……
戦略スタッフ創設が法的に確立されれば、総理の座に就く政治家もいやでも、予めどのようなチームを編成するのか考えておかなければならない。新総理は、マスコミから「どのような人を国家戦略スタッフに起用するのか」という質問が真っ先に飛ぶので、総理になる前からチームを準備しておく必要がある。安倍氏や民主党(鳩山・菅)政権のような過ちも起きない。そして、新総理就任と同時に、政治主導による政策提言が活発に行われるようになるはずだ。(同上 pp212〜214 抜粋)
海江田総理は、マスコミから、「どのような人を国家戦略スタッフに起用するのか」という質問が飛んできたときには、おもむろに一呼吸も二呼吸もおいて、たったひと言、次のように答えればいいのです。
私は仙谷由人前内閣官房長副長官が、「優秀な人だけに、将来が傷つくことが残念だ」と、その才能を惜しんでいただいた私の経産省大臣時の官房付きとして、直接の部下でありました古賀茂明くんを、国家戦略スタッフの責任者として起用し、国家戦略スタッフの人事構成を含め、全てを任せる所存であります。
政治主導の確立は、政権交代の一丁目1番地です。民主党政権は、2度にわたってこの一丁目1番地で躓いてきたのです。それにしても7月28日に「また何回も会って話そう」と、厄介払いのごとく古賀氏をあしらったつもりの海江田氏が、1ヶ月後に総理大臣になるということは、ご本人も100%は信じていなかったに違いありません。
政治主導に失敗した内閣の中で、経産相の立場にいた海江田氏にとっては、ひょっとしたらいろいろなしがらみがあって、心ならずも古賀氏を邪険にあしらわざるをえなかったのかもしれません。それにしても今回は、海江田氏がその経産省のトップの座から離れ、あらためて総理大臣として、古賀氏に言った「また何回も会って話そう」という約束手形を落とさざるをえない立場に立ったわけです。実に「縁は異なもの、味なもの」ではありませんか。
海江田氏の「民主党代表選にあたっての政見」には、政治主導、脱官僚、公務員制度改革に係る次のような文言が散見されます。
・ 政権交代が目指した「政治主導」「地域主権」「絆の社会」を実行する。
・ 一般会計・特別会計を一体的に徹底改革する。
・ 独立行政法人や公益法人、特殊会社についてゼロベースで見直す。
・ 天下り問題等を含む公務員制度改革を断行する。
・ 政治主導確立法等の成立を目指す。
・ 審議会の整理合理化とメンバーの総入れ替えを行う。
これらは全て、本来であれば2年前の政権交代時に、直ちに着手しなければならなかった必須の課題であったはずです。しかもこれらの改革は、断行するのに特段のお金がかかる改革ではありません。本気で脱官僚をやる気があればできることであり、これらをやるかやらないかは、まさに新政権の試金石であったのです。そして今なお、今まさに、海江田総理の真偽を量る試金石として、目の前に立ちはだかってもいるのです。海江田総理のやる気が本気であるのであれば、まずは全てに先駆けて、直ちに思い切って古賀氏を起用することです。
もちろん、海江田氏が古賀氏を国家戦略スタッフのトップに据えることが、どんなに大変なことであるかは、想像に難くありません。しかしこれこそ政治主導の一丁目1番地であって、民主党海江田政権が、本気で「国民の生活が第一」のマニフェストの実現に向かう気があるのであれば、古賀氏の起用は、きわめて的を射た的確な大英断であるということが言えるのではないでしょうか。
「必ずしも古賀氏でなくても……」という意見があるかもしれません。しかしこの間の古賀氏の言動を見るならば、彼に匹敵する信念と実行力をもつ上級官僚は、古今東西、彼を措いては一人もいないと確信します。しかもその古賀氏が、何と何と、直属の部下として、やることもなく手持ち無沙汰でいるのです。客観的に考えるなら、これは海江田氏にとって、ありえない奇跡が目の前にあるということではないでしょうか。なんという幸運! 何という巡り合わせ! ここ一番の海江田氏の決断が、近未来の日本の運命を決定するとまで言っても、決して過言ではないのではないでしょうか。
改めて言うまでもありませんが、脱官僚・政治主導を実現する戦いは、総理と官僚との激烈な全面戦争です。小沢氏が言う、「命にでも代えてでも」戦い抜く覚悟が必須です。敵も文字通り命懸けなのですから……。しかしながら海江田氏が、大英断よろしく、古賀氏を国家戦略スタッフのトップに起用することをひと言宣言するならば、それだけでもう、財務省・経産省をはじめ、全ての省庁の高級官僚たちが、衝撃のあまり、まるで睾丸を万力で潰されでもしたように、ショック死をするかもしれません。そしてそのとき私たちは、「官僚に丸め込まれた泣き虫海江田」とは似ても似つかぬ、歴史に名を残す不世出の名宰相を仰ぎ見ることになれるのかもしれません。
古賀氏を国家戦略スタッフのトップに起用することは、海江田総理が実践するべき帝王学の格好の家庭教師としても期待できるものと思われます。上掲の著書から引用してみましょう。
日本を変えるのは総理のリーダーシップだけ
……
これからの政治に一番重要なのはリーダーシップだとよくいわれる。私も総理のリーダーシップこそがこの国を変えると思っている。
菅総理は「最小不幸社会」といった。「最小」と「不幸」。ネガティブな言葉を重ねたメッセージが若者にどう響いたか。「元気を出してがんばろう」とはならない。
……
リーダーシップと一口にいっても、様々な要素があるが、とくに今後、国のトップに求められるのは、国民を説得する力だ。
……
そのためには、まず、いっていることは終始一貫していなければだめだ。理屈が通っているだけでも人は説得できない。……
ぶれない、一貫性がある、これらが重要だ。
第二に公平であるという信頼感。組合だとか、郵便局だとか、農協だとか、医師会だとか、あるいは電力業界といった特定のグループに肩入れし、あるいは遠慮するということが国民に伝わった段階で、もうだめだ。
三つ目に大事なのは、地位にこだわらないということ。私心がないということ。身を投げ出してやっていることが伝われば良し。逆に地位に恋々(れんれん)としているとなれば、国民は聞く耳を持たなくなる。(pp352〜355 抜粋)
古賀氏が総理に帝王学を解く……そんなことを認めたら、「国民の生活が第一」ではなく、マニフェストが「古賀の私見が第一」になる危険性があるのでは、という懸念があるかもしれない。これについて古賀氏はこう言っています。
政権に弓を引こうなどという気持ちは毛頭ない。むしろ、逆だ。政権が短期間で交代し、猫の目のように変わる状況になると、霞が関の守旧派の思う壺(つぼ)になる。どんな政権であれ、じっくり腰を落ち着けて、公務員制度改革、そして新たな日本創造に邁進していただきたいと願っている。
……
官僚は政権の指示に従って、余計な口を挟まず、実務をこなしていればいいのだという意見が一般的だ。私のように、現役官僚でありながら政権の政策を批判するのはもってのほかだということになる。しかし、私は唯々諾々(いいだくだく)と従うだけが官僚の仕事ではないと思っている。むろん、最終的には政治の判断に委ねなければならないが、その過程で閣僚とわれわれ官僚が政策論争を繰り広げるのは、決して悪いことではないはずだ。
もちろん、自分の担当であれば、組織としての枠組みのなかで意見をいうことになるが、たまたまそのとき自分の担当でないことについて個人としての立場で意見を述べることは許されると思う。国民の一人として、国民のみなさんと同じ立場で様々な考え方や選択肢を議論させてもらうことにより、それに参加する人たちに議論の材料を提供することができる。その結果、政府の政策が最適化され、国民の利益につながるのなら、おおいに議論をすべきだろう。
いまなら、まだ日本再生の可能性は残されている。なんとかみんなで力を合わせて、この難局を乗り切り、この愛すべき国、日本を再生させたい。若い人たちが希望を持って活躍できる舞台を作りたい。どうにもならなくなった日本を自分の子供にバトンタッチすることだけは、なんとしても避けたい。
それを誰かに委ねるのではなく、いかなる立場であれ私自身も携わる機会を与えられたら、と思う。むろん、私の力など微々たるものだが、できることであれば、心を同じくする人たちと一緒にこの国を没落の淵から救う活動に身を投じたい。(同上 pp376〜378 抜粋)
古賀氏が海江田総理を蔑ろにし、「国民の生活が第一」の政策を、「古賀の私見が第一」にすり替えていくことなど、ありえないということは、古賀氏の文章に漲っています。
ところで古賀氏が一年半以上に渡って窓際に放置されてきた原因をつくったのは、紛れもなく霞が関の圧力に屈した元仙谷行政刷新大臣です。その仙谷氏が、2010年10月15日の参議院予算委員会の席上で、参考人として出席を求められていた古賀氏に質問を行った小野次郎議員を公然と恫喝したのです。古賀氏の上掲の著書の「第一章 暗転した官僚人生」は、次のような文章で始まっています。
官房長官の恫喝に至る物語
「さっきの古賀さんの上司として、一言先ほどのお話に私から話をさせていただきます」
「私は、小野(おの)議員の今回の、今回の、古賀さんをこういうところに、現時点の彼の職務、彼の行っている行政と関係のないこういう場に呼び出す、こういうやり方ははなはだ彼の将来を傷つけると思います……優秀な人であるだけに大変残念に思います」
二〇一〇年一〇月一五日の参議院予算委員会、仙谷由人(せんごくよしと)官房長官のしわがれた声が議場に響いた。と、その瞬間、「何をいってるんだ。(参考人の)出席は委員会が決めたことだ!」「恫喝だ!」という怒声が飛び交い、議場は騒然となった。
その後、繰り返しテレビでほうえいされることとなったこの場面。私は、驚き、困惑して事態を見守っているしかなかった。
この日の朝、私は出張先の四国から急遽(きゅうきょ)、呼び戻された。午後の予算委員会の小野次郎(じろう)議員の質疑に出席を求められたからだ。どうして、このような事態に立ち至ったのか」。実は長い物語がある……。(同上 pp49)
古賀氏を長期間にわたって窓際に座らせるようにした張本人が、代表選において野田氏や前原氏を陰で操った仙谷氏である以上、その古賀氏を登用し、仕事をさせるのは、海江田氏の義務でもあるはずです。
代表選の5人の候補は、全員揃って政策の筆頭に、大震災と原発事故からの復興を挙げていましたが、原子力安全・保安院を傘下に抱える経産省大臣の海江田氏を含めて、誰一人として肝心要の東京電力に関する処理策について、具体的な方針を表明した候補者はいませんでした。海江田氏の「政見」のUに掲げた9項目の基本政策のうち、復興に関連する1項と2項は次のとおりです。
1. 震災復興〜国家的責任としての早期復興〜
・ 最優先課題として位置づけ、適材適所の人材配置と十分な予算措置を行う。
・ 福島第一原発の廃炉処理と放射性物質除染は国の責任により行う。
・ 被災者の生活再建に万全を期す。
・ 震災の教訓から危機管理体制を再構築する。
・ 党原発PT第一次報告書を着実に実行する。
・ 建設国債・無利子国債などにより、増税なき復興財源を捻出する。
2. 原発・エネルギー政策〜エネルギー政策の抜本的改訂〜
・ 2020年代初頭までに、原発への依存度を20%以下に引き下げる。
・ 自然エネルギーを成長産業と捉えて育成し、2020年代初頭までに総発電量の20%に引き上げる。
・ 原則、新規建設は凍結し、40年以内に原発ゼロをめざす。
・ 原子力安全委員会の改組とメンバーの刷新を速やかに行う。
東京電力にどう対処するのか。このことについては全く触れていません。これでは画竜点睛を欠く というものです。福島原発事故への対処について、経産大臣であった海江田氏は、東電主導から政治主導を唱えてはいるものの、その東電への対処については、ひと言も言及がありません。「さわらぬ神にたたりなし」ということなのでしょうか。その「さわらぬ神」へのあるべき対処について、古賀氏はこう言っています。
私は過去に電気事業関係のポストに就いた経験のある同僚から、「東電は自分たちが日本で一番偉いと思い込んでいる」という話を何回か聞いたことがある。その理由は後にも書くが、主に、東電が経済界では断トツの力を持つ日本最大の調達企業であること、他の電力会社とともに自民党の有力な政治家をほぼその影響下に置いていること、全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)という組合を動かせば民主党もいうことを聞くという自信を持っていること(電力総連会長から連合会長を務めた笹森清(ささもりきよし)氏は菅政権の内閣特別顧問)、巨額の広告料でテレビ局や新聞などに対する支配を確立していること、学界に対しても直接間接の研究支援などで絶大な影響力を持っていること、などによるものである。
簡単にいえば、誰も東電には逆らえないのである。
テレビ局の報道も、福島原発の事故が発生した当初は、東電を批判する論調ではなかった。経営幹部の影響下にある軟弱なプロデューサーは、東電批判につながる内容になると、直ちに批判色をなくすよう現場に強力な命令を下したという。(同上 pp31〜32)
序章で述べた通り、私は、「東京電力の国有化」や「政府が資本注入」などと騒がれ始めた四月上旬、東京電力の処理策として私案をまとめ、経済産業省官房幹部はじめ関係者に送付した。この試案を基礎にブラッシュアップした論文を『エコノミスト』誌に投稿する予定だった。しかし、直前に官房に止められた。
……
もちろん、提言の内容はまだまだ荒削りだったが、とにかく東京電力や銀行などの脅しに負けて、政府がおかしなほうに行かないようにと思って作ったものだ。
そのなかには、発送電分離をはじめとする長期的な電力規制緩和の問題から、一般によく知られた電力業界を取り巻く政官業の癒着のみならず、学界、労働組合、そしてマスコミまで巻き込んだ電力分野の構造的癒着への対応などまで含まれている。
その後、私が指摘した問題は概ね議論のテーブルに載ってきたようにも見える。
しかし一方で、銀行と電力業界が一体となった政官界への根回しが功を奏し、東電で金儲けをした株主や銀行の責任を問わず、また経産省や原子力安全・保安院の現・旧幹部の責任も不問にしたまま、原発事故による巨額の補償負担を、料金値上げや増税で国民に押しつけようという案も有力になっている。
そんな理不尽なことは許されない。(同 pp359〜360 抜粋)
古賀氏の「東京電力の処理策」については、『日本中枢の崩壊』の補論に掲載されている「改訂版」をぜひお読みいただきたいところですが、古賀氏がこの「処理策」を書いた時点において、経産大臣であった海江田氏にとって、この「処理策」は、直接的には文字通り海江田氏に宛てて書かれた熱烈なラブレターであったということができるでしょう。
海江田氏が大英断をもって古賀氏を起用し、とりわけこの「東京電力の処理策」が陽の目を見るように対処するならば、首相としての海江田氏の政策の、文字通りの目玉、すなわち「画竜点睛」となるに違いありません。
小沢一郎氏の政治手腕に未来を託す志を共有するみなさん、ここは海江田氏に、早急に、古賀氏と「また何回も会って話そう」という約束手形を落としてもらい、古賀氏に最もふさわしい仕事をさせるべく、ありとあらゆる手段を通して、追い込みをかけるオピニオンを形成していこうではありませんか!
「山雨来たらんと欲して風楼に満つ」(さんうきたらんとほっしてかぜろうにみつ)。海江田氏が口ずさんだ漢詩です。ここはぜひ、「能吏来たらんと欲すれば風官邸に満つ」といきたいものです。
檀 公善
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