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「七万人もの人々が自宅を離れて彷徨っているときに、国会はいったい、何をやっているのですか!!」
「憂う」という言葉を、たとえば僕などは気軽に使うことがあるが、その心根の底の浅さ、軽さを恥じ入るほどの、熱誠あふれる発言である。
電力会社に札束漬けにされ、学者の良心をドブに捨て去ったようなヤカラや、「パニック」を恐れ、国民の命より「統治」を優先させるような政権が、根拠もなく「安全です」「大丈夫です」と触れまわった結果、想像もできないほどの多くの内部被曝者を生んだかもしれない。
そのことへの忸怩たる思いがダイレクトに伝わってくる。
チェルノブイリという、人類にとって痛恨の惨禍を教訓とし、営々と自分たちが取り組んできたことを、肝心のときに何ら用いようとしない政府。
その無念さ、悔しさは、察するに余りある。
「ひとつになろうニッポン」というお題目を高々と掲げる記者クラブメディアは、どうしてこの魂の発言を報道しないのか。
「ひとつになる」ということは、この破滅的な原発事故による放射能汚染から、どう子供たちを守るべきか、国じゅうの叡智を結集するということではないか。
他国の鉄道事故の責任問題など、その国の民衆やメディアの追及にまかせておいたらどうなのか。
わが国の未来を背負う子供たちをどう守るか、そのことを真剣に考えることこそが、「憂国の情」というものだろう。
政権にしがみつくことだけで頭が一杯の総理に、先天的に欠けているのが、この「憂国の情」であるという事実は、わがニッポン国最大の不幸である。
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