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福島第1原発の事故現場の状況とは――。陸上自衛隊は2011年7月9日、福島県南相馬市の馬事公苑内で、第102特殊武器防護隊の菱沼和則隊長と中央特殊武器防護隊の岩熊真司隊長のインタビューを実施した。 3月17日、福島第1原発の事故後初めて自衛隊が地上放水を行った際、現地で指揮を執った菱沼隊長は、被曝した隊員の除染時「ヨウ素はなかなか落ちなかった」と語った。
「ヨウ素がなかなか落ちないというのを肌で感じた」
――福島第1原発への放水で困難だったことは?
菱沼隊長: 当時はまだ、携帯電話があまり繋がらなかった状況。無線も中継地点が立ち上がっていなかったので届かない。連絡手段がなかなか取れなかったのが困った。放水にあたっては、日頃一緒に訓練をしている隊員たちではない人達の集まりだった。正式に命令をもらったのは17日の朝。(福島県いわき市の)四倉パーキングに集まった集成部隊だったので、意思の疎通を図れるのだろうかということが心配したというか苦労した。
意思疎通を図るために、とにかく作業単純化をしようと。そうすることで意志疎通が希薄な人たちでも、うまくいくんじゃないかなと思った。だから作業を単純化して迅速に行動するように務めた。
――今回の特殊任務での教訓は?
菱沼隊長: 放水作業もそうだが、除染作業も我々はやっている。(3号機の爆発で被曝した自衛隊員を除染した時に)ヨウ素がなかなか落ちないというのを肌で感じた。「ヨウ素はこういうものだから、洗うということを徹底しないといけない」ということ。それから、タイベックス(防護服)を脱ぐとほとんど放射線の反応がない。だから「しっかりとタイベックスを着よう。マスクをしっかり付けよう」という基本的なこと徹底することが大事だ。
「爆発は想定していなかった」
一方、中央特殊武器防護隊の岩熊隊長は3月14日、福島第1原発3号機へ冷却水補給のため隊員とともに出動した。この時に岩熊隊長らは3号機の水素爆発に遭遇し、4名の隊員が負傷した。岩熊隊長は「爆発については、まったく想定してなかった」と語った。
――現場に入った時の状況と気持ちは?
岩熊隊長: すでに1号機の水素爆破があって、「放射能に汚染された地域である」ということは知らされていた。そのための準備はして入った。放射線汚染地域の中の活動で若干緊張した状況での活動だった。その時に私が6名の隊員をひき連れて入ったわけだが、これまでに放射線に対する防護、放射線の中での活動というものは十分訓練していたことだったので「今まで訓練した範疇(はんちゅう)で、われわれの出来ることを精一杯やろう」という気持ちで現場に入った。
――爆発当時の状況は?
岩熊隊長: 給水点を示されたので、そこで給水活動を実施しようとした時に爆発が起こった。我々は放射線や化学兵器に対する訓練の他、自衛官の基礎訓練として、爆発等に対して自分の身を守る訓練を十分に実施していた。それぞれ(の隊員)が車等に身を隠しながら、まず身の安全を確保した。その状況を確認して、爆発、爆風、そして瓦礫等が降ってくる状況が収まってから、隊員の体の安全を確認。そこは強い放射線汚染地域と化していたので、そこを早く離脱して、次の任務に就くなりしようと考えた。
――爆発は想定していたか?
岩熊隊長: 爆発については、実はまったく想定してなかった。被曝については、被曝管理であるとか、それから(隊員)各人が被曝に対する知識を十分に持っているので、覚悟をしていた範疇だ。爆発について想定はしてなかったが、そういうことが起きた瞬間、瞬時に(座席の下に隠れるなど)自分の身を守るという動作を隊員がとってくれたので、幸いにして怪我は少なく、もうすでに隊員はみんな任務に復帰している。そういった意味では、基本通りの動作ができた隊員を誇りに思う。怪我をさせてしまったということについては、私の責任であるので、申しわけないと思っている。
(山下真史)
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