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2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発
はじめに
12日1号機の水素爆発、14日の3号機における水素爆発、15日2号機のサプレッションチェンバー爆発。これら相次ぐ事故によって、福島第一原発から今まで放出されてきた放射性物質の大部分は15日までに放出されてきたものであるかのように東電・政府は発表しています。
ところが、もっとも重要な放射能汚染は3月21日に起きていることは、あまり一般には知られていません。その汚染源が3月20日-21日にかけての3号機格納容器内爆発であること、それは再臨界事故である可能性が高いこと、そしてこの事実を東電・政府は当然知りながら、隠蔽していること―これがほぼ「事実」であると断定できるだけの判断材料がすでに揃いました。
ちなみに、こうした結論の大部分は、実のところ、以前に私が、3/24までに出したものです。それについてはTwitterで当時連続ツイートして、その成果をTogetterにまとめました(http://togetter.com/li/115299)。ただし、このとき私は、気象に関する知識とデータがなかったため、絶対的な確信を得るまでには至りませんでした。
最近になって、他のブログで、気象方面からのアプローチで、まったく同じ結論を出している人が複数出てきました。また最近になって、東電が修正データを発表したため、それを検討することができました。その結果、再臨界の可能性を含めて再検討できるようになり、また東電による印象操作にかんしてもより詳細に論じることができるようになったため、こうして新たにブログに記事をアップする次第です。
以下、論証が極めて長いので、概要として、結論だけ箇条書きで記しておきます。
- 3/21に関東地方を襲ったフォールアウトは、大気圏核実験が全盛期だった過去50年間の総量に匹敵する莫大なものであった。
- この放射性物質は、よく言われるように、3/15までに福島第一原発から放出された放射性物質が雨によって落ちてきたものでは決してなく、直前に放出されたものである。
- その汚染源は明らかに3号機であり、おそらく福島第一原発最大の事故であった。
- パラメータを分析すると、3号機では、3/20-21に圧力容器設計圧力を大幅に超える圧力が記録され、また格納容器内の爆発的事象によって圧力容器・格納容器とも大破したことが明らかである。
- その事故は再臨界を伴う可能性が否定できない。
- この異常事態を受けて、放射性物質の放出を防ぐために、1000トンを超える放水が行われた。
- 3/21に行われた海水サンプリング調査・土壌採取などは、3号機格納容器内爆発という事態を受けたものである。
- 3/21の3号機原子炉建屋から出た煙は、原子炉が破損した物理的な帰結であるが、東電は当然それを認めることができない。
- 東電・政府はこうした最悪の事態を知りながら隠蔽している。
- 東電は、こうした事態を隠匿するため、データの間引きや悪質な印象操作をいくつも行っている痕跡がある。
3月21日前後、関東地方を襲った放射性物質降下について
現在、様々な農作物や海産物などから放射性物質が検出され、内部被曝が懸念されておりますが、そのもっとも重要な被害は、主に関東地方に降りそそいだ3月21日の放射性物質降下(以下フォールアウトと呼びます)によってもたらされました。3月15日にも放射性物質が放出されたことはよく知られていますが、それは希ガスが主体であり、農作物や人体への被害は比較的軽微だと考えられるからです。それにたいし、21日のフォールアウトは、ヨウソ・セシウム・ストロンチウムなどが主だったと考えられています。
東大の早野先生(@hayano)のチームが作成したグラフがあります。
図1 全国の放射線量 3月15−5月2日
これを見れば全国、とりわけ関東地方で、まったく同型のグラフの動きが確認できます。15-16日に非常に大きなピークがありますが、それは直後に急降下しています。それに対して、21日にピークがありますが、それは漸近線を描いて下がっていっています。これらピークが福島第一原発由来のものだとすると、両者の違いに関する解釈は、論理的には二つありえます。一つは、21日以降、恒常的に福島第一原発から放射性物質が放出されている可能性です。もう一つは、21日に後者で放射性物質が地表に降下して、それが空間線量に影響を与えている可能性です。もちろん、この二つが複合していることも十分ありえるでしょう。
図2 日本分析センターにおける空間線量率(PDFより)
図3 東京都健康安全研究センターにおける放射線量と降下物
諸々の研究機関による核種分析により、15日と21日では、その主成分が異なることが判明しています。15日は、キセノン133など人体に軽微な影響しかない希ガスが主ですが、21日のフォールアウトでは、セシウムやヨウソ・テルルなどが主体であることが判明しています。15日に希ガスが多かったのは、原因が2号機のサプレッションチェンバーの破損であるため、放射性物質が一度水を通してから放出されたためであると考えられます。すなわち、事実上、ウェットベントをしたのと同じ効果があったのではないでしょうか。
さて、21日のフォールアウトは想像を絶するものだったことが、直後から判明しています。文部科学省は、毎日の全国各地のヨウソ131とセシウム137のフォールアウトを「環境放射能水準調査結果(定時降下物)」として発表していますが(http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1305495.htm)、その3月20-21日、21-22日のデータは以下の通りです。
図4(PDF) 図5(PDF)
定時降下物20日9時-21日9時 定時降下物20日9時-21日9時
上記のデータから3月19日9時から3月26日9時までの積算フォールアウトの表を作成してみました。
I-131(MBq/km^2) | Cs-137(MBq/km^2) | |
山形県(山形市) | 68532 | 7860 |
茨城県(ひたちなか市) | 208130 | 25790 |
栃木県(宇都宮市) | 55710 | 992 |
群馬県(前橋市) | 21306 | 1173 |
埼玉県(さいたま市) | 67517 | 2973 |
千葉県(市原市) | 45294 | 3593 |
東京都(新宿区) | 84333 | 6409 |
神奈川県(茅ヶ崎市) | 5556 | 440 |
特筆すべきは、ひたちなか市と新宿の値です。MBq/km2 はBq/m2 に換算可能なので、ひたちなか市では1平方メートルあたり20万ベクレル以上のヨウソ131が、25000ベクレル以上のセシウム137が地表に降り積もったと考えられます。新宿では同じく、ヨウソ131が約85000ベクレル、セシウム137が6400ベクレルです。そして、これら大部分が、20日から23日までの3日間に降りそそいでいるのです。
これは、どの程度の値なのでしょうか。
また、一瀬昌嗣・神戸高専准教授(サイエンスメディアセンター 核実験フォールアウトとの比較)によれば、「1963年6月に、日本に降った最大のフォールアウトのセシウム137の放射能は、550Bq/m2」であり、「Cs-137で比べると最も多かった1963年の1年間に東京で1935 Bq/m2、1957年4月〜2009年3月の合計では7095 Bq/m2」です。大気圏核実験が頻繁に行われていた(チェルノブイリ事故の影響も含む)過去50年間と、ほとんど同量のCsセシウム137が、たかだか3/21-3/23の2日間で降り積もったことになります。なお、広島原爆の黒い雨のCs-137の土壌沈着量は、最大で493 Bq/m2であったと論じられています。
マーチン・トンデル氏のスウェーデンにおけるチェルノブイリ事故調査によると、1平方メートルあたりのセシウム137の汚染が10万ベクレルで、ガン発生率が11%あがるとの結果が提出されています。http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/tyt2004/tondel.pdf これに照らし合わせると、くだんのフォールアウトによるひたちなか市での発がんリスク増加は、3%弱であると考えることができるでしょう。
ただし、重要なことは、発がんリスクは放射性障害のごく一部にしかすぎず、心疾患、脳溢血、消化器疾患、呼吸器疾患など様々なリスクが確認されており、またもっとも典型的な兆候は、「原爆ぶらぶら病」や「湾岸戦争症候群」に見られるような不定愁訴であることです。発がんリスクはあくまで健康被害の一つの指標にしか過ぎず、内部被曝によって表れる様々な症状を、発がんリスクへと還元するかのような統計は、住民たちの実際の健康障害を著しく低く見せる効果があることに、私たちは留意する必要があります。
3月20-21日の放射性プルームの動き
3月21日前後に関東を襲った甚大なフォールアウトが福島第一原発由来のものだとして、それは何号機からいつ発生したものでしょうか?
東大の早野龍五先生などは、主な放射性物質の放出は3月15日までに発生しており、21日の降雨とともに上空の放射性物質が降下してきた、という説を以前提唱しました(ガジェット通信「3月15日に福島原発より大量放出。以降、大気への大量放出は起きていない」)。
そして、同様の説が、現在もまたメディアや一般人の大部分が信じており、それゆえ、21日前後のフォールアウトについて「いまだ発表されていない大事故が起こったのではないか」という点の追求は不十分であったと言わざるをえません。それは、Twitter上で最大権威となった早野先生の影響もあるでしょうし、またテレビ映像で爆発として目に見えた(結論を先取りすれば、それゆえ東電が隠蔽することが不可能であった)事故が15日までに集中していたこと、がもう一つの原因でしょう。
ところが、早野先生の説は、看過できない欠陥を何個も抱えており、議論としては維持不可能である、と私はこれまでずっと考えてきました。(以下の考察は、主にkenkenさんのブログ「3/21 柏市を汚染した放射能プルームについて」を参考にさせていただいており、また、図10と図12を拝借いたしました。この場を借りて感謝申し上げます。)
一つは、直感的に言って、一週間近く前に放出された放射性物質からなる放射性プルーム(放射性雲)が、関東地方といったせいぜい数十キロー数百キロ圏内の上空を、大部分の放射性物質を落とさずに、また拡散せずに、漂い続けることが可能なのだろうか、というものです。たとえば、ドイツのシュピーゲル誌などが、オーストリア中央気象台による放射性物質拡散シミュレーションを掲載していますが、これをみると、放射性雲は偏西風に乗って時速数十キロで移動し、拡散しているように見えます。これは、他のシミュレーションでも同様です。
図6 オーストリア中央気象台 I-131拡散シミュレーション 3/15-3/18
また、早野先生は、日本分析センター(千葉)のデータ(本ブログ記事の図2)をもとに、「3月16日を最後に原子炉からの直接放出の証拠であるXe-133がほとんど見え」ないということを根拠に、それ以後の放出はなかったと言っていますが、よく拡大して見れば、他のグラフに隠れているだけで、確実にXe-133のピークは確認できます。
図7 3/18-3/20 空気中の核種 図8 3/20-3/22 空気中の核種
また、つくばの高エネルギー加速器研究機構で採取された「空気中の放射性物質の種類と濃度の測定結果」のグラフを抜粋しました。図7が第六回採取資料(2011年3月18日10:16〜3月20日9:55)で、図8が第七回採取資料(2011年3月20日10:00〜3月22日9:54)です。両者を比較すると、その組成が全く異なることがわかります。このことは、21日以降の空気中の放射能汚染が、それまでとは別の汚染源からもたらされたものであることを示唆しています。
早野先生は上記の図2の降雨量と放射性物質降下との相関関係に注目し、前者が後者の原因であったと論じています。確かに、原発事故後、21日で初めて広範囲の降雨があったことは確かです。ですが、この比較は、あまりにも時間軸を荒く見過ぎだと思います。じっさい、3月21日の雨のデータと、空間線量の上昇データとの時間データをより細かく調べれば、茨城県では雨が降る前に、放射線量が上昇していることが確認できます。
図9 3/21 4時の茨城県の雨雲 図10 3/21 茨城県の空間線量
これは、「3/21のフォールアウトは上空の放射性物質が雨によって落ちてきただけである」という説明とは相容れません。
図11 図12
また、3/21、全国的に雨雲は西から東に移動してきています(tenki.jp 3/21 雨雲の動き)。 もし、早野先生の説が正しければ、フォールアウトもまた西から東へと進んでいなければいけないはずです。ところが、図9 「茨城県東部 放射線モニターデータ解析」(理化学研究所仁科加速器研究センター専任研究員 板橋健太様作成)の3/21のデータを 茨城県の空間線量の増加を確認すると、疑いなく北(福島第一原発方面)から南南西へと、放射性プルームが移動していることが確認できます。また、先にご紹介したブログ「3/21 柏市を汚染した放射能プルームについて」によると、時速20-30kmで、「午前3時20分に大沼で観測された上昇が東海村、水戸、鉾田、つくば市へ伝播している」ことが確認できます(図12)。
さて、以下の論考は、chocovanillaさんのブログ【シリーズ 3月21日】による、気象学的な考察をおもに参考にさせていただきます。
国立情報学のページ「福島第一原発事故タイムライン(ドキュメンタリー)」によると、3月20日、福島第一原発の周辺の風向きは、朝10時から東風、夕方には南風になり、夜の10時から12時にかけて北風に反転したということです。
ちなみに福島第一原発から日立市大沼までの距離は106km、日立市大沼で放射線量が上がり始めたのが21日3時20分なので、そのとき風速20km-30kmで運ばれていたと仮定すると、その放射性プルームはちょうど福島第一原発を午後10時-12時に放出されたものであるということになり、ぴったり符合します。
3月21日の午前9時の天気図は以下の通りです。
図13 3/21 9:00の天気図
停滞前線沿いに上昇気流が発生し、放射性プルームは静岡にある低気圧の中心へと流れて停滞前線に沿って運ばれたと考えられます。
プルームは海を南下し、停滞前線に当たって進路を変えます。一部は上昇して、低気圧の中心近くで降雨し、大部分は前線に沿って移動して、柏東葛地域での雨で、地上へと落下し ホットスポットを形成したものと考えられます。進路に関わらず前線に沿ったとすれば、雨の振り出しが関東ではほぼ同時であった為、 非常に直線的な汚染が辻褄が合うのです。(chocovanillaさんのブログより)
福島第一原発3号機炉心で起こったこと パラメータ分析
さて、3月20日から21日にかけて、福島第一原発では何が起きたのでしょうか。これだけの莫大な汚染をもたらした事故が発生したとすれば、それが公式に発表されていないということはありうるのでしょうか。
3月20日の福島第一原発の動きは、私の手元にある3月21日発表の官邸発表資料(http://www.kantei.go.jp/saigai/201103211900genpatsu.pdf 削除済み)を見れば非常によくわかります。彼らはそのとき、3号機に注視していました。抜粋します。
20日 08:00 3号機に関し、炉内の温度が三百数十度になっており、炉圧が高くなっている。(原子炉の通常運転中は280-290℃)
14:30 3号機に関し、原子炉格納容器内が高めで推移していることから注視。
21:30 3号機に関し、緊急消防援助隊(東京消防庁)の消防車による連続放水(約1、137トン)を実施(-21日03:58)
15:55 3号機に関し、灰色の煙が噴出(調査中) 16:49 3号機の煙に関し、煙量に変更はないが、灰色から白色に変化 18:02 3号機に煙に関し、沈静化を確認
事実関係だけ述べるならば、20日午前から午後まで3号機格納容器内の圧力が非常に高まり、その後圧力低下を受けて、21時半から1000トン以上の放水を行った。これは、同時期の他号機への放水が軒並み100トン以下であることを考えれば、異常な量と言えるでしょう。そして翌日午後3時に、原子炉建屋から煙が出始めました。
さて、当時のメディアでは、3号機についてどのように報道されていたでしょうか?実は、このときドライベントを行う予定でした。3月22日の毎日新聞は次のように報道しています。
3号機では20日、格納容器内の圧力が急に高まり、東電は一時、容器内の水蒸気を直接、大気中に放出する「ドライベント」と呼ばれる方法での排気を検討した。・・・3号機はその後、格納容器内の圧力が下がったため、ドライベントは見送られた。
もしその通りだとして、なぜ圧力は低下したのでしょうか?そして、本当にドライベントは見送られたのでしょうか?これが1つ目の謎です。
もうひとつの謎は、翌21日に3号機原子炉建屋から放出された煙についてです。東電は、おおむね次のように釈明していました。「煙については調査中です。どこから出てるのかはわかりません。放射線レベルから見て、問題はないです。でも、念のため、作業をいったん中断して、作業員全員を退避させました」。そして、私が知る限りにおいて、その点について今まで一切の説明はありません。
しかし、なぜ何週間・何カ月たっても、煙の原因がわからないのでしょうか?これが火事である可能性が仮にあるのだとすれば、本来、すぐにでも消化活動を行わなければ、以後の復旧作業に差し支えるのではないでしょうか?なぜ、彼らはこの煙を放置したままでいられたのでしょうか?
実は、5月16日に東電は3号機パラメータの膨大な修正資料を提出しました(http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/f1/images/11051612_level_pr_data_3u-j.pdf)。その結果、以前よりも詳細で正確な分析が可能となっています。このデータから、圧力容器内の原子炉圧力(A)をグラフ化したものがこれです。
図14 3号機原子炉圧力(A)の動き
3月21日の未明に、著しく異常な事態が発生していることが見てとれます。具体的には、それまで0.1MPa前後を推移していたのに、突然21日1時25分には8.968MPaを、1時45分に11.571MPaを、2時30分に10.774MPaを記録し、その後4時には0.2MPaまで下がっています。
さて、以上の数字が突出しすぎているため、細かい動きがほとんどわからなくなってしまっていることを踏まえて、もっと細かいグラフを出します。
図15 3号機原子炉圧力(A)(B)および格納容器圧力(ゲージ圧に換算)
まず、19日未明に格納容器圧力と原子炉圧力(B)ともに大幅に下がっているのが確認できます。このときに、何が起きたのかははっきりわかりませんが、その後格納容器・圧力容器とも圧力が上昇したことから、両者とも健全性が保たれていると思われるため、おそらく、この時点でベントを行ったのではないかと推測できます。実際、図16を見れば、格納容器の圧力低下とともに、格納容器内の放射線量が低下していることが確認できます。
図16 格納容器圧力と格納容器内放射線量の比較
しかし、18日に格納容器内放射線量が54.4Sv/hから105Sv/hまで急増していること、その後おそらくはベントとともに急落し、その後上昇をする、これは何を意味しているのでしょうか?単なるメルトダウンでは、ここまでの放射線量の増減を説明することは困難ではないでしょうか。ここで再臨界が発生していた可能性を指摘することは可能かも知れません。実際、図8で示した、筑波における空気中の核種分析で見られたテルルやテクネチウム99m(半減期6時間)などは、そうした可能性を示唆しているようにも思われます。また、既出の官邸資料によれば、20日の午前8時に炉内の温度が、通常運転時よりも高い三百数十度を記録したことも、これを裏付けています。
圧力変化の分析を続けましょう。3月19日のお昼ぐらいから、圧力容器・格納容器ともに上昇を続けています。また格納容器内放射線量のデータは19日の大部分が抜けているのですが、20日に入ったあたりから急上昇を続け、この三つのパラメータは20日午前4時にピークを迎えます。その後、圧力容器・格納容器圧力は緩やかに下降していきますが、格納容器内放射線量はほぼ一定水準を保ったままです。このときの圧力低下が、何かしらの爆発的事象なのか、それともベントなのかははっきりとは判明しませんが、おそらくは何らかの形で放射性物質が漏れており、それが図1の、茨城県の20日12時前後の小さなピークと対応していると考えられます。
その後、9-11時前後に不可解な微増減がありますが、それから15時ぐらいまで、格納容器圧力・圧力容器圧力ともに漸減していっています。このとき、原子炉水位が上昇していることから、注水作業が行われたことが推測でき、圧陸低下はその結果だと考えると、この時点まで圧力容器・格納容器の健全性が保たれていたと考えるのが妥当でしょう。
その後、15時から格納容器圧力・圧力容器圧力ともに急降下しています。この前後の敷地内の放射線量はほとんど公開されていないのですが、唯一公開されている事務本館北の放射線量の数値が、14時までの2.5mSv前後から15時前後に3.3mSvまで急増したことから、このときに一度目、格納容器内の爆発など、なんらかの形で格納容器の健全性を損なう出来事があったことは想像に難くありません。そのとき、ちょうど西風が吹いており、また夕方になって南風に変わったため、20日19時以降西に110km離れた山形市でフォールアウトが発生し、また北の秋田市でも午後9時ごろ、わずかに放射線量が増大したものと考えれば、完璧につじつまがあいます。
図17 東北地方の空間線量
その後、21時半から翌21日の3時58分まで、1000トンを超える莫大な量の放水作業を、3号機に向けて行っています。そして、その放水と、原子炉圧力(A)が11.5Mpaを超える異常値が検出された時間は、完全に重なっています。これは、どのように解釈できるでしょうか?もし、この異常値が実際の圧力容器内の圧力を反映していたのだとすれば、これは明らかに異常な事態です。というのは、福島第一原発の圧力容器の設計圧力は8.61MPa(=87.9kg/cm2g)なので、大幅に超過しており、圧力容器がこの時点で大破した可能性は高いと思われます。そして、圧力容器における異常な圧力上昇という事態に対処するために、東電は莫大な放水を行ったということになります。
あるいは、原子炉圧力計の異常値は、放水の結果であるという可能性も全否定はできません。すなわち、圧力計になんらかの形で水が当たり、それが異常値を引き起こした可能性です。この仮定のもとでは、この時点ですでに圧力容器が破損していたということになるでしょうし、さらに、破損していなければなぜ東電が莫大な放水を行ったのか、説明が困難となります。しかし、この可能性は論理的には否定できないものの、あまり考えられないことです。というのは、データ採取は放水を一時的に中断したときにしか可能ではないだろうと推測できるからです。
図18 3号機格納容器圧力(ゲージ圧に変換)(東電修正前データで作成)
ともあれ、放水終了後も圧力は低下し続け、格納容器圧力は21日15時までにほぼ大気圧と一致し、その後6月21日現在まで、ずっと大気圧と平衡を保ちつづけています。このことから、3月20日に格納容器が完全に損壊したと断定できます。
また圧力容器内圧力も、3月21日以降ほぼ平衡を保っております。原子炉圧力計(A)と(B)の値の違いを解釈することは、非専門家である私には困難ですが、その後(A)が安定して下がりつづけて(B)と一致し、現在は-0.1MPa前後で平衡を保っていることから、圧力容器も健全性を保っていないことが見てとれます。
いずれにしても、20日15時から翌日4時までの間に、3号機で相当に異常な事象が発生したことは疑いようがありません。そして、これが、おそらくは福島第一原発最大の事故であり、20日の山形のフォールアウトと、翌21日の関東地方のフォールアウトの汚染源であったことも確実です。
ただ、午後20時から翌日の1時25分までのパラメータが、5時間半にわたって完全に欠如していることが問題です。現在わかっている範囲では、午前1時45分から4時までの原子炉圧力(A)の低下が、図12での日立市大沼の午前4時のピークをもたらしたと考えるのは、両者の距離が100km以上離れていることから考えると、非常に困難が伴います。むしろそれは、午前6時過ぎの二つ目のピークと対応していると考えるほうが自然でしょう。ならば、3号機からの主要な放射性物質の放出は、20日午後11時から翌0時半ぐらいまでに発生したと考えなければ、関東地方の放射性プルームの最大のピークと符合しなくなります。ところが、何度も言いますが、ちょうど放水中のためか、その時間帯のデータが欠落しているのです。
このあたり、具体的に何が起きたのか、そして再臨界はあったのか、原子炉の専門家による分析と、(もし存在するならば)東電・政府からのさらなるデータの発表を待ちたいところです。
20-21日にかけての東電・政府の対応
3号機の異常にたいして、東電・政府はどのように対応したのでしょうか。彼らは、こうした異常事態を知らなかったのでしょうか、それとも、異常を知っていたのでしょうか。もし、当時把握していたのなら、事故を知っていて隠蔽していたことになります。
3月20日の格納容器・圧力容器圧力の上昇、そして格納容器CAMSの上昇を受けて、東電・政府がドライベントをする予定であったことは、すでに述べたとおりです。しかし、彼らの発表によれば、圧力が低下したため、ドライベントを行う必要がなくなった、とのことでした。この圧力低下がどの時点のことを意味しているのか、定かではありません。ともあれ、私たちの分析が正しければ、3/19の未明と3/20の午前4時に、二回ベントを行っているはずです。もし、発表内容と整合性を保って理解しようとするならば、これらはドライベントではなく、ウェットベントであり、それゆえ特段の釈明を必要としないと彼らが考えたのではないか、という推測がなりたちえます。
ところで、私たちはこの文脈で、3/20 11:30に発表された首相官邸の声明「東北、関東の方へ――雨が降っても、健康に影響はありません。」を解釈することが可能でしょう。
この声明を読んで誰もが変だと思うのは、健康には何ら影響がないと言いながら、「雨がやんでから外出」「雨に濡れないようにする」「雨にぬれても心配はないが・・・念のために流水でよく洗う」ことを東北・関東の国民に勧め、そうしなくても「健康に影響」は出ないと言っていることです。表面だけ読めば、言ってることめちゃくちゃですね(笑)。この声明のメタメッセージは、「健康に被害があることは官邸としては立場上言えないけれども、できるだけ雨に当たらないようにしてください」ということのように思われます。
この声明が、3号機での異常事態の進行にあわせて発表されました。これが、ドライベントを前提としたものなのか、それともドライベントが不可能であることから、格納容器内での爆発的事象の回避が不可能であると彼らが考えたために発表したものなのか、そこは定かではありません。実際のところ、判断するための材料の一つは、午前4時半から10時までのパラメータの詳細な動きがわかれば、ウェットベントに限界があったのかどうかなど、もう少し具体的な判断材料がはっきりするのですが、この間ちょうど5時間以上も、データが欠落しています。そして、官邸資料には
08:00 3号機に関し、炉内の温度が三百数十度になっており、炉圧が高くなっている
と記述があります。これは、この時点でデータ採取がなされていた証拠であり、そのデータを(未発表の温度データも含めて)未だ東電は発表していないということになります。だとすれば、この午前8時時点でも、隠蔽せざるを得ない異常な事態がすでに発生していた、という推測が可能かもしれません。
そして、午前9:55から11:00にかけて、4回もデータ採取を行っています。そして、この時、原子炉圧力のパラメータが、二つとも、微増源を繰り返しているのが気になります。
図19 3/20 原子炉圧力の推移詳細
これは想像に過ぎませんが、10-11時の間にドライベントを試みたが、それが失敗に終わったことを示しているのかもしれません。その時点で、格納容器内の爆発的事象は時間の問題となったため、11時30分に官邸が「雨に濡れないように」という主旨の声明を出した、このように考えることもできるのではないでしょうか。
図20 東電修正後パラメータ抜粋
その後おそらく、15時から圧力容器圧力・格納容器圧力は急降下を始めます。15時で0.155Mpaあった原子炉圧力(A)は、19:40には0.095Mpaに、格納容器圧力は0.189MPaから0.124MPaにまで下降しました。先に述べたように、この時点で格納容器に損傷があったと考えるのが妥当ならば、おそらくは格納容器内で爆発があったのではないかと推測できます。
21時30分からの1000トンの放水は、この圧力低下を受けて行われたものでしょうか?爆発的事象が15時前後であると推定するなら、これは遅すぎる対応である気もします。しかし、19:40分から3回、10分刻みで測定していることを考慮すると、彼らはこのときに初めて、圧力低下が注水の結果ではなく、格納容器・圧力容器の破損が原因であると気づいたのかもしれません。(パラメータの値だけではなく、データ測定の頻度や欠落もまた、重要なメタデータです。)あるいは、発表されていないデータで、20時以降に原子炉圧力計(A)が急激に上昇し、それが放水のきっかけになったという可能性も否定はできません。
いずれにしても、事実として確実に言えることは、21時30分から翌3時58分まで、異例の長時間にわたって1000トン以上の放水が行われたこと、このときすでに格納容器が破損していたこと、そして放水の間、原子炉圧力計(A)が11MPaを超える異常値を示したことです。この放水には、2つの意味があったと考えられます。一つは、格納容器・圧力容器の温度低下・圧力低下を目的としていたということ。もう一つは、放水によって、放射性物質の空気中への飛散をできる限り抑えようとした、という目的です。
21日4:00にデータ採取を行ったところ、原子炉圧力計(A)は、ほぼ正常値である0.202MPaまで下がっています。この間隔の短さからすると、3:58の放水終了後すぐにデータ採取を行ったというよりは、むしろ放水を一時中断してパラメータを測定したところ、ほぼ正常値まで下がっていたため、それをもって放水終了とした、と推測する方が妥当でしょう。すなわち、この時点までに圧力容器が完全に損壊し、圧力容器内の放射性物質放出は止んだ、と東電は判断したのではないかと思われます。
ところで、海江田経産相が、東京消防庁に対して長時間の放水を強要し、「速やかにやらなければ処分する」と恫喝まがいのことを言ったとして、21日に石原都知事が菅首相に抗議を行った、と報道されています(読売新聞 22日)。ちなみに、21日の官邸資料によれば東京消防庁が長時間放水を行ったのは、19日の14:05-翌3:40と、いま私たちが問題にしている20日21:30-翌3:58の二回なので、この発言が、どちらの放水の時に行われたのかは判然としません。読売新聞によれば、13時間連続放水と言われているため、19日に開始した放水の方と解釈できます。
ところが、より情報ソースに近い猪瀬副都知事のブログ記事「福島原発の放水活動で東京消防報告。今後の教訓にしたいこと。」には、次のような記述があります。
○ 本部は原発の現場より20km離れたところに前線指揮所が設置されている。
(中略)
○ 現場を知らない本部の人達から、東京消防庁が現場で判断した方針を変更するよう度々要求された。
・放水は当初4時間の予定だった。その後状況を勘案し、必要に応じ再度放水することにしていた。しかし、連続して7時間放水し続けるよう執拗に要求された。結果として、7時間放水することになったが、そのため2台ある放水塔車のうち1台がディーゼルエンジンの焼き付きにより使用不能となった。
・東京消防庁にて海から放水塔車までの給水ホースの設置ルートを800メートルの最短距離で、設定していたが、遠回りにするように執拗に要求された。
・「俺たちの指示に従えないのなら、お前らやめさせてやる」の発言もあった。
○ 職員の命を預かる隊長としては、現場をわかっていない人達に職員の命を預けるわけにはいかない。
当初4時間の予定であった放水が、連続7時間の放水になったと副都知事は述べているわけですが、それは20日21:30に放水を開始しながら、翌1:25、1:45、2:30、4:00とパラメータ測定を行いながら、原子炉圧力計(A)がほぼ正常値に戻るまで放水を続けたという私たちの想像と、ほぼ一致します。ならば、逆に言えば、放水塔車のディーゼルエンジンを破壊し、また経産大臣が直々に現場作業員に対して恫喝を行いながらも、それでもなお放水を行わねばならない深刻な事情があった、そしてそれについて、東京消防庁や東京都には知らされていない、という推測が成り立つでしょう。
逆に、ごく常識的に考えて、東電・政府は東京消防庁の現場の職員に、今3号機のパラメータと炉心で進行していると思われる事態を説明する必要がないため、現場の作業員としては「現場をわかってない人たちに不可解で、かつ実行に無理がある指示をされた」という憤りを感じることは必然です。
ともあれ、この、おそらくは確度が高いと思われる推測が意味するものは、非常に大きい。なぜなら、このとき東電ばかりでなく、経産大臣をはじめとした菅政権の中枢部分が、3号機で起きていた異常事態を周知していたということを意味しているからです。
さて、3/21の14:30に、事故後初めての海水サンプリング調査を東電は実施したことは、みなさんご記憶の通りです。東電の発表によると、その調査によって基準値を大幅に上回るI-131、Cs-134、Cs-137が検出されました。
図21 東電発表 3/21 海水サンプリング核種分析
なぜ、この時期になって初めて東電は海水サンプリング調査を行ったのか。それは、3号機からの放射性物質の放出を防ぐために放水した大量の水の一部が、おそらく海に流れ込んだからだ、と考えれば辻褄が合います。
また、3月27日の時事通信によると、21・22日に東電は福島第一原発敷地内の土壌を採取して、プルトニウムの検出検査を行ったことも、20日にMOX燃料を使用している3号機の格納容器内で爆発があったと考えると符合します。そして実際に、28日の東電の発表によると、プルトニウム238、239、240が検出されました(3月29日 読売新聞)。これも、3号機格納容器が爆発したことの有力な証拠になるでしょう。
3号機の話に戻ると、21日15時から灰色の煙が放出されていることが確認されました。23日の官邸資料(削除済み)から引用します。
15:55 3号機に関し、灰色の煙が噴出(調査中)
16:49 3号機の煙に関し、煙量に変更はないが、灰色から白色に変化
18:02 3号機に煙に関し、沈静化を確認
図22 3/21 3号機の煙の様子 共同通信 東京電力提供
また、この煙について、sponichiの記事では次のように書かれています。
東京電力によると、21日午後3時55分ごろ、3号機の原子炉建屋屋上の南東側から煙が上がっているとの連絡があった。煙は黒色で、時折灰色に変わりながら減少。6時ごろに収まった。煙の発生場所は使用済み燃料プールの上側。放水作業のため正門近くにいた東京消防庁の部隊は約20キロ離れた指揮本部に退避。安全が確認されるまで放水活動を中止する。東電の作業員も避難し、復旧へ向けた作業は1日程度足踏みする見通しとなった。
原子炉の構造を考えれば、使用済み燃料プール上側ということは、原子炉の上側ということになります。そして、この煙がどういうものかははっきりとはわかりませんが、官邸資料にあるように、灰色から白色に変化したということは、水蒸気が混じっているであろうことは推測できます。
さて、この煙は、以前に述べたように、非常に謎が多いものです。まず第一に、なぜ煙の原因は現在まで特定できなかったのか。第二に、なぜ東電は消火活動を行わなかったのか。しかも、放水活動を行う準備ができている東京消防庁の部隊が、現場付近にいるにも関わらず。第三に、「3号機の原子炉圧力容器および原子炉格納容器のパラメータ、周辺環境のモニタリング値に大きな変動」はみられない(東電発表より)としながらも、なぜ作業員は退避したのか。さらに東京消防庁の部隊は、なぜ煙が出ているのを見ながらも、20kmも退避したのか。
こうしたことを総合すると、この煙が通常の火事では決してないということを、東電が熟知していたということを示唆している、としか私には思えません。
では、反対方向から推論してみましょう。私たちは、すでに3号機格納容器と圧力容器が破損していることを、パラメータから確認しました。その時の原子炉内の温度は発表されていないものの、原子力安全・保安院のデータによると、3月23日4:00の圧力容器底部の温度は253度もあり、かつ内部に水分が存在するため、多かれ少なかれ原子炉から水蒸気が放出されることは物理的に必然です。
逆に言えば、東電はこの煙を決して原子炉から放出されたものと認めることができません。なぜなら、それを認めたならば、圧力容器も格納容器も破損していることを認めざるをえないからです。だから、長期間にわたって「原因不明」とみなしながら、消火活動も行わずに放置した。しかし、この煙が放射性物質を大量に含んでいることが明らかなため、作業員を退避させた。このように推測すれば、東電の行動は、非常に納得がいくものとなります
※ちなみに、なぜ煙が当初灰色で、その後白色に変わったのか、この問題に関しては、専門家の見解を仰ぎたいところですが、フランスのIRSNは、これはコアコンクリート反応であったという見解を提出しています。(http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2792610/7005562)
東京電力の隠蔽工作・印象操作について
今まで、3月20-21日にかけての関東地方のフォールアウトが直前の3号機から放出されたものであるという仮説について、気象やプラントパラメータ、東電・政府の行動など様々な角度から検証してきました。その結果、3号機格納容器内で爆発的事象が発生したことは疑いようがなく、さらにそれが再臨界を伴っていた可能性まで示唆されました。
そうだとすれば、東電・政府はこの極めてシビアな事故を、現在に至るまで隠蔽し続けていたことになります。いかにして、このようなことが可能だったのでしょうか。おそらく、この問いをいま、直截的な形で、メディアや研究者たちに向けることは、さほど生産的なことではないでしょう。ただ、東電がこの事態をどのように隠蔽してきたのか、その印象操作の一端を簡単に見せておくことは、私たちにとって非常に有意義なことだと思います。そのことを通じて、私たちが今後、情報操作に惑わされないような教訓を得ることができるからです。
まず、前節最後に述べた、3号機の煙の話です。21日15:55分-18時までの煙の発生前後で、「3号機の原子炉圧力容器および原子炉格納容器のパラメータ、周辺環境のモニタリング値に大きな変動」はみられない(東電発表)と東電が述べたため、これが異常な事象の兆候である、とは一般に受け止められなかったきらいがあります。
図23 東電発表修正パラメータ抜粋 右がD/W圧力(絶対圧)、その左の二つが原子炉圧力(ゲージ圧)
ところが、実際のパラメータを見ればわかるのですが、煙が出始めた時点では、すでに格納容器圧力も圧力容器圧力も、ほとんど大気圧と平衡になっており、それゆえ両方とも破損していたことが確実だったのです。これでは煙がでても、原子炉パラメータに「大きな変動」が見られるはずがありません。当然、東電はこのことを知っていたはずです。
また、東電発表のパラメータを、修正前と修正後を比較すると、データを間引きすることでどのような印象を東電が作ろうとしてきたのかも見て取ることができます。
図24 格納容器内放射線量 修正前(赤線) 修正後(青線)
たとえば、3号機格納容器内CAMS(A)(=放射線量)のグラフですが、修正前は赤の点で断続的にのみ発表されていました。これだけ見ると、順調に放射線量が下がっていったかのように見えます。ところが、修正後のパラメータをグラフにしてみると、そのグラフの直前に放射線量が急増しており、その後18-20日までの間に乱高下していたことがわかるのです。
また、修正後パラメータで設計圧力を大幅に超える115MPaを記録した原子炉圧力(A)(図14参照)に至っては、修正前はデータそのものが公表されていませんでした。
図25 修正前原子炉圧力(A) (3/21発表官邸資料)
では、東電による修正後のパラメータには問題がないのでしょうか。私たちは、すでにそれに関しても、存在するはずのパラメータが発表されていない、として疑念を唱えましたが、一つ決定的な印象操作が見られます。修正資料の1ページ目のグラフをお見せします。
図26 東電修正資料1ページ目、3号機水位・圧力にかんするパラメータ
このグラフには、3/21未明の原子炉圧力(A)の異常値が表示されていません。
なぜ、このようなことが可能だったのでしょうか。この答えは、3/21未明の異常値が、8.968, 11.571, 10.774と、すべて縦軸(右側)の最大値8MPaを大幅に超えていたことにあります。逆に言えば、東電は、この異常値をグラフに残さないために、わざとグラフの最大値を8MPaに設定したと疑るのは、決して不穏当なことではないでしょう。逆に、最大値をもっと小さく取れば、21日の推移がより具体的に見えることになるでしょう。つまり、8Mpaという最大値は、21日の事態をもっとも小さく見せることができる値です。これは、決して偶然ではない、すなわち、東電は、パラメータを精査せずグラフだけ見た人に、20-21日に特別な緊急事態が起こったという印象を与えないために恣意的な操作を行った、と言って差し支えないと思います。
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