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ペテン師の周りにはペテン師が集まる:山口二郎の本音告白 菅が目指す社会とは
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/371.html
投稿者 やつがれ爺 日時 2011 年 6 月 07 日 22:33:25: gpL8WVywkRLLg
 


 6月2日の菅総理の「ヤメヤメ詐欺」による不信任案否決から中二日経っての6月5日、東京新聞の『本音のコラム』欄に、山口二郎が「嘘は方便」ならぬ「民主党という方便」の題名で、早々と勝利宣言の雄叫びを挙げている。まさに本音がほとばしり出た、貴重な証拠文書であるので、全文を引用する。(1)〜(5)は段落番号、投稿者の書加え

*****************************

 (1)政治の世界で最も重要なことは、敵と味方の識別である。新党をつくる覚悟もないのに野党の出した不信任案に賛同するなど、政党政治家の資格がないことを公言するようなものである。民主党は、このイロハをわきまえていない。
 (2)与党時代の自民党は権力を維持するための政党であった。その反動で、民主党は非自民の政治家が小選挙区を生き延びるための方便としての政党であった。その民主党は権力を取ると、与党の重みに耐えかねて、内部分裂を起こしそうになった。呉越同舟で荒波に漕ぎ出すのはやはり無理であった。
 (3)民主党に欠けているのは政策の方向を指し示す理念と、党としての物事を決める手続きである。今頃、こんな基本を論じるのはみっともない限りだが、民主党が国の統治を投げ出すわけにはいかない以上、ともかくも格好を整えなければならない。
 (4)理念はある意味で単純である。目の前にある災害、放射能汚染という不条理に取り組み、不幸を少しでも除去することだけで十分である。被災地の声に少しでも応える、原発事故について情報公開を徹底するという二つことだけを考えて民主党は行動すればよい。
 (5)手続きについて、政務三役以外の政治家に意味のある仕事を割り当てることが必要である。人間、忙しく働いていれば、邪心は起こらないものだ。(北海道大教授)」

*****************************

 まさしく<語るに落ちる>とはこのことである。理系の国立大学教授たちが国民をたぶらかして、「安全だ、メルトダウンはない、健康に影響ない」と繰り返し繰り返し国民に言い続けて、いち早く警告する者たちを排除し、国民が死の灰を体内に取り込むことを推奨する結果になったことにほくそ笑んだのと同様に、「民主主義だ、政党政治だ、市民のエネルギーだ」と騒ぎ立ててきた文系の国立大学教授が、ヒトラー・スターリンをはるかに凌ぐ、世界史上最悪のホロコースト内閣への延命が決まったとたんに、勝利の高揚感から、「政治は騙し合い、すべては方便」と本音を明かしたのである。これから一文一文、事細かに検討して、ペテン師の手口を詳しく辿ってゆこう。まどろっこしいと感じられる方もいらっしゃるであろうが、日本の国と国民をペテンにかける、きわめて大がかりな手口を暴くには致し方ないことと、ご勘弁願いたい。最後には、いくらなんでもと、誰しもビックリの結論へとたどり着くつもりである。

(1)まず驚かされるのが、「政治の世界で最も重要なことは、敵と味方の識別である」との断言である。まるで360年前の『リヴァイアサン』以前、日本では大河ドラマ、関ヶ原の戦い頃にまで引き戻されたかのようである。
ホッブスのいう自然状態、つまり政治が行われない、無政府状態では、「人は人に対して狼」であり、それこそ「敵と味方の識別」は最重要である。そんな無政府状態に耐えかねて、皆が自然権を放棄して政府をつくり、正義とルールをきめて、無法者を取り締まり、平和にのびのびと暮らせるようにするのが政治の世界である。
高校生でも知っている、このような民主主義のおさらいをひっくり返して、政治の世界は弱肉強食の「万人の万人に対する闘い」だと、21世紀の政治学の国立大学教授が宣うのであるから、開いた口がふさがらない。何もホッブスを持ち出すまでもない。

 今の日本で、「最も重要なことは、敵と味方の識別である」ような世界がどこにあるであろうか。ひょっとして、アウトローの世界はそうかもしれないが、それでも、彼らの世界には、旗印として「義理と人情」、「愛国正義」などが厳然として高く掲げられており、公然と反すれば、制裁を受けるなり、排除されるであろう。どんな社会であれ、「最も重要なことは、敵と味方の識別である」ような社会は存在しないのである。
 山口二郎は、「建前でなく、本音のことだ、どこの世界も、本音では、足の引っ張り合いで、裏切ったり、裏切られたりなんだ、だからいつも油断せずに敵と味方を、その都度識別しなければ、蹴落とされるのだ」と言いたいのであろう。
 誠にお寒い、それこそアウトローにも劣る本音、世界観である。「政党政治,政党政治」と騒ぎ立てながら、何一つ政党政治が分かっていない、とんだ食わせ者である。
 
 政党とは、志を同じくする者の集まり、「味方」の集団である。別の志をもつ者は別の政党に集う「敵」であるから、政党政治では「敵と味方の識別」ははっきりしており、そんな後ろ向きの下らぬことに注意力を向ける必要はなく、敵も味方も、自分たちの志の実現に向かって、全力を尽くすことができるのである。
 ところが、日本では、同じ政党のなかで、志の実現に邁進する味方を快く思わず、隙あらばと、寝首をかくことに最大限の注意を傾け、支えるふりをして足を引っ張る、志のない輩が多く紛れ込んでいる。こうした連中にとっては、志、つまりマニフェストは、自分たちが権力の頂点に登りつめるまでの単なる方便に過ぎず、いわば、味方と国民をペテンにかける撒き餌なのである。したがって、こういう連中にとっては、政党政治なぞくそ食らえ、マニフェストなぞくそ食らえ、「政治の世界で最も重要なことは、敵と味方の識別である」のが、常識なのである。
 各政党がそれぞれ志、マニフェストを掲げて、選挙で国民の支持を競い合い、支持を得た多数派政党がマニフェストの実現に尽力し、成果を上げればまた選挙で支持を得て、政権を担当し、成果が上がらなければ、支持を失って下野する。これが主権在民ということであり、政党政治、代表制民主主義のイロハである。
 ところが、志のないペテン師連中に取ってのイロハとは、「新党をつくる覚悟もないのに野党の出した不信任案に賛同するなど、政党政治家の資格がないことを公言するようなものである。民主党は、このイロハをわきまえていない」ということになる。
ここには二重のペテンがある。まず、今の菅政権は昨年の7月に、すでに国民との約束事となっていたそれまでのマニフェストを弊履のごとく投げ捨てて、突如「消費税増税」を叫んで、自らも「政権選択」と位置づけた参議院選挙に打って出たが、ものの見事に大敗を喫した。この時点で、菅内閣は国民の信頼を失ったのであり、総辞職しなければならなかったのである。ところが、政党政治のイロハを踏みにじって、居座ってしまったのである。これは「政党政治家の資格がないことを公言するようなもの」であるどころか、「政党政治家の資格がないことを」実行した、政治犯罪に他ならない。菅内閣が日本国を統治する正当性は、0,00000001%も、0,01マイクロ%もないのである。

 つぎに、「新党をつくる覚悟もないのに野党の出した不信任案に賛同するなど」と、不信任案否決で鬼の首でも取ったかのようなはしゃぎぶりであるが、これこそ、東北の被災者の方々の控え目で我慢強い忍耐と、民主党議員のお目出度くも場違いな惻隠の情を手玉にとって、延命を画策したペテンの成功をひけらかす、動かし難い証拠である。

 ペテンの種明かしはいっそう熱が入る。
(2)「与党時代の自民党は権力を維持するための政党であった。その反動で、民主党は非自民の政治家が小選挙区を生き延びるための方便としての政党であった。」
 自民党には、色濃くそのような特徴があったことは確かであるが、それでも国民の思いを取り入れる側面もそなえており、国民から批判を浴びた総理は取り替えることができた政党であった。参議院選で大敗しながら居座った安部総理も、一月余りで退陣し、菅総理のように、一年もそれ以上も平気で居座り続けるような、政治犯罪続行総理はいないのである。「自分を客観的に見られるんです」と言って、さっさと退陣した福田総理の曇りのない鏡は、菅が主になった時に、首相公邸からマクベス夫人伸子の手によって、処分されたのであろう。
 
 そして、山口二郎の見立てによれば、「民主党は非自民の政治家が小選挙区を生き延びるための方便としての政党であった。」
 民主党の支持者や議員はこんなことを言われて、黙っているのか。方便としての政党!!政党はなんと、嘘と並ぶ方便でしかない!!これが民主主義を宣う、政治学者の政党認識である!!
 政治家たる者は、選挙に生き抜いて権力の頂点に登りつめるという目的を慎重に隠し続けて、党の幹部や国民の前ではぺこぺこして従順なふりをし、次第に取り入れられて幹部の仲間入りを果たす。そして、志を同じくする味方と信じて、重い責任を分かち合う仲間の結束を守るふりをしながら、密かに「敵と味方の識別」をしてゆき、「敵」が油断して隙を見せた瞬間に、裏切ってペテンに掛け、権力を奪取する。権力を取りさえすれば、自分の属する政党にもマニフェストにももはや縛られることはない。政党内の「敵」は、政治資金とポストを渡さず、文句をつければ規律で締め付ければいいし、すり寄ってくる「味方」は、政治資金とポストを潤沢に振り分けて、蜜の味を十分に味わわせて、ペテン師仲間に引き入れればいい。民主党内の菅の「味方」たちは、このように考えていたのである。
 
 そして、小沢一郎の宰領の下で、民主党は衆議院選挙に大勝し、ついに政権の座に着くことになる。二年足らず前のことである。
「その民主党は権力を取ると、与党の重みに耐えかねて、内部分裂を起こしそうになった。呉越同舟で荒波に漕ぎ出すのはやはり無理であった。」
 それは無理に決まっている。一方は、マニフェストは国民との約束だ、今こそ実現に全力で取り組もうとする正統民主党。もう一方は、マニフェストなぞペテンの撒き餌だ、権力の座に着いたからには、民主党内で味方のふりをしながら、マニフェスト実現に苦労する「敵」の足を引っ張って、寝首をかく好機をのがさないようにしようと、虎視眈々の方便民主党。したがって、「与党の重みに耐えかねて」だけでなく、身内からの足の引っ張りにも晒された正統民主党と、マニフェストはうまくゆかない方が好都合だと、ことあるごとに「内部分裂」を画策した方便民主党との、「呉越同舟」がうまくゆくはずもない。こうして一年前、顔の面がもっとも分厚い菅を親分とするペテン師集団、方便民主党が、目論見通りに政権を奪取したのである。

 だが、マニフェストはペテンの撒き餌だとは、いくら何でも明言するわけにはゆかない。そこで、ペテン師山口二郎の本領発揮である。
 (3)「民主党に欠けているのは政策の方向を指し示す理念と、党としての物事を決める手続きである。今頃、こんな基本を論じるのはみっともない限りだが、民主党が国の統治を投げ出すわけにはいかない以上、ともかくも格好を整えなければならない。」
 まず、マニフェストとは言えないので、理念と言い替える。そして、「民主党に欠けているのは…理念」だというのである。しかし、「政策の方向を指し示す理念」とは、マニフェスト以外の何物でもない。正統民主党には立派な理念、マニフェストがある。
 「国民の生活第一」、「国民の命を守ろう」で、国民はこのマニフェストへ大きな支持を与え、今でも忘れていないのである。したがって、「民主党に欠けている」という時の「民主党」とは、ペテン師集団の方便民主党のことで、もともと方便民主党に欠けているのは理念であり、マニフェストである。正確に言えば、理念、マニフェストが欠けているからこそ、方便民主党なのである。
 
 もう一つ欠けているのは「党としての物事を決める手続き」だそうである。「政治の世界で最も重要な」マニフェストと、党の手続きという、些細なみみっちいことを同列に並べるところにも、ペテン師らしさが表れているのであるが、この手続きとは何を指すのかは、最後のお楽しみである。

 「今頃、こんな基本を論じるのはみっともない限りだが、民主党が国の統治を投げ出すわけにはいかない以上、ともかくも格好を整えなければならない。」
 方便民主党に欠けている理念、マニフェストという基本を、「今頃、論じるのはみっともない限りだが、」権力にしがみついていて、何一つ方針も覚悟もないペテン師の姿を、不信任案否決のために全世界に見せてしまったからには、方便「民主党が国の統治を投げ出すわけにはいかない以上、ともかくも格好を整えなければならない」というわけである。<方便民主党は国の統治を即刻投げ出せ>という、被災者はじめ、全国民、全国津々浦々にわだかまる怨嗟の声は、「格好を整え」さえすれば静まると、ペテン師らしい脳天気さである。

 さて、いよいよどう格好をつけるのか、ペテン師の仕上げが始まる。
(4)「理念はある意味で単純である。」
これでは期待する方が無理である。さすが、マニフェスト、理念はペテンの撒き餌としか考えない方便民主党の広報係だけあって、この男にとっては、「ある意味」どころか、あらゆる意味で「理念は単純である」。
政党政治、代表制民主主義の「政治の世界で最も重要なことは」マニフェスト、理念である。なぜなら、国民と政治家が出会う場はそこにしかないからであり、その他の場は、すべてマニフェスト、理念から派生した、二次的、三次的な場に過ぎないからである。こんな民主政治のイロハのイを、やつがれのごとき、半分認知症の老いぼれが、政治学の現役国立大学教授に語らねばならないとは、いかに日本の言論界が低劣であるかを如実に物語る、悲しい事実である。

 さて、「単純な」理念とは何であろうか。山口二郎の説明を聞こう。
「目の前にある災害、放射能汚染という不条理に取り組み、不幸を少しでも除去することだけで十分である。被災地の声に少しでも応える、原発事故について情報公開を徹底するという二つことだけを考えて民主党は行動すればよい。」
 泣きたくなるではないか。「少しでも除去する」、「少しでも応える」それで十分だというのである。確かに「単純である」、山口二郎の頭の中が単純なのと同じように。
「目の前にある災害、放射能汚染という不条理」という台詞は、聞いたことがあるがと、うろ覚えの記憶をよたよた辿ると、やつがれが批判の前段階で終わりにしてしまった、阿修羅の記事、「政治家の任務とは 山口二郎」の中にあった。

 (http://www.asyura2.com/11/senkyo112/msg/568.html

カミュの小説『ペスト』にふれて、「自然災害は不条理である。この不条理にどう立ち向かうかで、人間の値が量られる。」とある。
 自然災害が不条理というのは納得できるし、カミュもそう言っている。だが、「目の前にある災害、放射能汚染」を不条理と言うのは、納得できないし、カミュなら「おいおい、そうやってごまかすなよ、誠実さがないぞ」とたしなめるであろう。

 「目の前にある災害」とはいったい何を指しているのか、地震と大津波は3ヶ月ほど前のことで、目の前にあるのは、3万人にも上る死者・行方不明の方々の身内である、数十万人の被災者であり、住まいや仕事場を損壊ないしは全壊されてしまった、数百万人の被災者であり、まだ15%しか片づいていない瓦礫の山であり、堅い床の上でプライバシーもなく、雑魚寝を3ヶ月も続けている、10万人もの避難者であり、今も川で洗濯する避難者である。これがすべて「自然災害」なのか、そうではあるまい。明らかに「人災」、菅直人政治犯罪続行内閣が居座り続けているがために、迅速で効果ある対策が何一つ実行されることなく、放置されて生じている、「菅災」が大部分である。

 放射能汚染も明らかに人災である。地震と大津波で直ちにメルトダウンするような、危険な原発を6基も造って、稼働してきたのは、自民党内閣に責任があるとはいえ、事故後のデータを隠蔽し、「大丈夫だ、直ちに健康に影響はない」と繰り返しデマを流して、国民が死の灰に汚染されるがままに放置したのは、明白な「菅災」である。
 日本人の健康と命を、そして日本の美しい国土と海を、放射能汚染の犠牲に供する残忍悪辣な「菅災」を、カミュの言葉<不条理>でごまかす、これがペテン師のレトリックである。ペテン師が文豪や大思想家の意味深い、美しい言葉を持ち出す時こそ、警戒しなければならないのである。

 さて、「不条理に取り組み、不幸を少しでも除去することだけで十分である。」
いかに被災者を馬鹿にしきっているか、これほどよく分かる文章は珍しい。貴重な証言である。地震、大津波、原発巨大事故によって、いったん不幸のどん底にたたき落とされ、さらに加えて、菅直人政治犯罪続行内閣によって無策のまま放置されるという、何百万、何千万にも上る被災者の方々が呻吟している二重どん底の不幸に対して、そんな不幸は、「少しでも除去」すれば十分だというのである。つまり、震災対策は申しわけ程度で十分、ごくごく一部の人にでも手を差し伸べてあればよく、体育館や公民館で何ヶ月も雑魚寝が続いていようと、大津波から生き延びた被災者が、長期にわたる避難生活の疲労やストレス、医者不足で次々と亡くなろうと、義援金の大半が被災者にいつまでも届けられてなかろうと、そんなことは菅内閣の取り組むべき仕事ではない、ということである。

 開いた口がふさがらず、書き続ける気も失せてしまうが、カミュの言葉に息を継いで、続けねばならない。山口二郎がカミュの小説『ペスト』に言及した、さきの阿修羅の記事では、「この不条理にどう立ち向かうかで、人間の値が量られる」という、カミュの言葉がきちんと引用されていた。山口二郎は一月ほど前に自ら引用したこの意味深い言葉を、もうすっかり忘れ去ったのであろう。目先の損得しか考えないペテン師には、どんな立派な言葉も心の奥底に届くことはなく、目先のレトリックに使用すれば、もう用済みなのである。だが、学のあるところをひけらかそうとして、読み込むこともできない現代文学の古典をペテンのレトリックに使用した者には、その古典自身が鉄槌を下すのである。不条理に立ち向かうには、「少しでも十分」だとするような人間の値は、<誠実>の正反対であり、カミュがもっとも唾棄する人間であり、ペテン師である。

 原発巨大事故についても同様である。
「被災地の声に少しでも応える、原発事故について情報公開を徹底すると言う二つことだけを考えて民主党は行動すればよい。」
 前半の「被災地の声に少しでも応える」については、今見たとおりである。後半の「原発事故について情報公開を徹底する」もまた、唖然とせざるを得ない。情報公開についてだけ述べて、3ヶ月近くも毎日毎日、広島型原爆一発分の死の灰を垂れ流し続けている、巨大事故の大本のメルトダウン原発をどうするのかには、何一つふれてないからである。手品師は、ことさら目の前で人目を惹きつけておいて、もっとも隠したい手品の種をそれとなく準備するのであるが、ペテン師のやり方も同じである。今話題の問題を強調して、一番隠しておきたい大問題から人々の注意を逸らすのである。
 情報公開は、国際社会の圧力で否が応でも進めねばならないことで、菅直人政治犯罪継続内閣も二ヶ月以上も前の原子炉の深刻なデータを少しずつ、それとなく漏らし始めたところである。だが、菅総理の初動対応の重大犯罪情報を公開するつもりは全くないのは明らかである。だから「原発事故について」であって、<原発事故とその対応について>ではないのである。

 そして、国民の注意を最大限他の方へ逸らしてしまって、もっとも隠しておきたいのが、4基ものメルトダウン原発である。これら原発の封じ込めに向けて、不退転の覚悟と決意で立ち向かい、日本の英知と国力と気概のすべてを傾注して、一刻も早く成功へと導くことがなければ、日本は壊滅であり、何千万人もの日本人が、それも日本の未来を担ってもらわねばならない、何百万人もの日本の子供たちがまず最初の犠牲者となって、癌地獄の阿鼻叫喚に飲み込まれてゆくのである。やつがれは以前(5月1日)、阿修羅に「『こんな手があったのか!』ヒトラー・スターリンも驚く、完全無血の無時限爆弾ホロコースト!」という記事を投稿して

http://www.asyura2.com/11/senkyo112/msg/492.html)、

菅内閣の原発巨大事故対応は、銃声も爆撃も用いることのない、全く新しいホロコーストで、それも世界史上最悪の犠牲者をもたらすことになる、と警鐘を鳴らしたが、デマかせいぜい杞憂としか扱われなかったようである。
 本当にデマとなってしまったのであれば、こんなうれしいことはないのであるが、一ヶ月が経って、やつがれの杞憂は現実の危惧となったようである。菅内閣は延命し、跡目争いにも、メルトダウン原発の封じ込めは一切焦点にはなっていないからである。太平洋戦争での敗戦をはるかに上回る国難であるのに、政治家もマスゴミも、またインターネットも、みみっちい目先の異同をあれこれ論じるだけに終始しているのである。

 山口二郎は原発事故に対して、方便民主党の行動は情報公開だけだと明言している。つまり、メルトダウン原発は放置、放射能汚染も放置、子供をはじめとする健康被害も放置、汚染食料、汚染水道水、汚染穀物、汚染水産物も一切放置、何一つ対策を取らなくてもよい、との明白な宣告である。いくら何でも、といぶかる向きは、どうか山口二郎の本文を今一度読み直していただきたい。それ以外の読み方はできないとお分かりであろう。

 ようやく最後のお楽しみにたどり着いたようである。
(5)「手続きについて、政務三役以外の政治家に意味のある仕事を割り当てることが必要である。人間、忙しく働いていれば、邪心は起こらないものだ。」
これは単なる仕事の割り振りで、なぜこれが「党としての物事を決める手続き」なのか、さっぱり分からないのであるが、山口二郎が言いたいことはよく表れている。邪心、つまりは菅総理に反対したり、盾突いたり、菅降ろしを企てたりする「邪心」は、暇だから生まれる。だから、重要な決定に参与する政務三役は方便民主党で固めるから、それ以外の、指令を受けて忙しく立ち働く、現場に近い仕事はすべて、正統民主党の奴らに割り振って、上から無理難題を押し付けて、総理に楯突こうなんて「邪心」を起こさせないようにするのだ、というのである。なるほど、こうすれば、「党としての物事を決める」ことは、上意下達で容易になり、小沢一郎を除名することも、楯突く者をどんな処分に処することも意のままである。
 「党としての物事を決める手続き」とは、民主主義の旗を掲げる山口二郎によれば、下の者はただ上からの指令のままに忙しく働くだけで、一切ものも言えない上意下達の徹底である。それでもなお、反対意見を抱く不届き者は速やかに処分して、党員は皆、上の者の顔色をうかがって行動するようにならねばならない。
これでお分かりであろう。「民主主義だ、政党政治だ、市民のエネルギーだ」と長年にわたってあちこちで叫び続けて来た山口二郎が、密かにあこがれていた党組織のあり方のモデルは、スターリンの共産党であり、金正日の朝鮮労働党である。したがって、菅内閣と方便民主党が目指す社会は、旧ソ連社会であり、北朝鮮社会である。被災者救済にも、震災復興にも有害無益の、コンピュータ監視法案を急ぎ上程して、強行採決しようとする、目論見は、このためだったのである。

 ところで、6月6日の東京新聞の「首相の一日」によれば、山口二郎の「民主党という方便」の題名での、勝利宣言の雄叫びが掲載された5日の午前、「11時27分、東京・永田町のザ・キャピトルホテル東急。日本料理店「水簾」で斎藤勁国対委員長代理、山口二郎北大教授と食事。」とある。菅総理直々のねぎらいの宴席はさぞ豪華であり、勝利の美酒もさぞ美味しかったことであろうし、気の置けないペテン師仲間内で、話もさぞ弾んだことであろう。「次はコンピュータ監視法案で、最後の仕上げだ、それまではあれこれ目くらましを仕掛けて、総理の座を死守するぞ」、と意気も大いに上がったことであろう。
 2011年6月5日は、ホロコーストと密告社会への仕上げに拍車がかかった日として、歴史に残るであろう。


 なお、菅内閣の原発巨大事故対応が行き着く先については、上記の拙稿「『こんな手があったのか!』ヒトラー・スターリンも驚く、完全無血の無時限爆弾ホロコースト!」を
 http://www.asyura2.com/11/senkyo112/msg/492.html

 震災対策の基本については、拙稿「Re:政治家の任務とは 山口二郎 政治学者の任務とは」を、
 http://www.asyura2.com/11/senkyo112/msg/580.html

それぞれご高覧いただければ幸いである。           (終わり)
                                

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