http://www.asyura2.com/11/test22/msg/278.html
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この度の三陸大津波原発巨大事故から二ヶ月も経ち、避難所の様子がテレビで取り上げられることもほとんどなくなった。天皇、皇后両陛下の膝をつかれての慰問、菅総理の「もうお帰り」見学と特訓・お膳立て訪問、「安全・大丈夫」政府与党幹部のこわごわ防護服立ち寄り、日本湮滅大罪犯の賠償値切り訪問、そのようなニュースの際に、その舞台として、避難所のなかも映し出されるくらいなものである。そんな映像からでも、今なお10万人以上のもの避難民の方々の大半が、畳もプライバシーもない体育館や公民館での集団収容生活を余儀なくされていることは見て取れるのである。
そしてこのような避難所がいかにひどいものであるか、その決定的なデータがたった一項目の調査によって明らかになった。5月19日付けの東京新聞は、<一人専有平方メートル / 難民キャンプ以下>の見出しで、次のように報じている。
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東日本大震災の被災地宮城県石巻赤十字病院が4月に石巻市内の避難所を調査し、避難者一人当たり専有面積が2平方b程度と、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が定める難民キャンプの設置基準(3,5平方b)を下回っているとして市に改善を申し入れていたことが18日分かった。
石巻市は「学校再開で避難所を公民館などに集約したという事情もあった。改善に努力している」と説明している。
UNHCRの「緊急事態のための手引書」(2007年版)は難民キャンプなどを設置する場合、緊急事態の初期でも一人当たり専有面積は最低3,5平方bを確保すべきだとしている。
石巻赤十字病院によると、4月中旬に市内の全避難所を実地調査。二畳程度(約3,3平方b)のスペースに避難者二人が寝起きするなど一人当たり専有面積2平方b程度の避難所をいくつも確認した。体育館に設けられて避難所に多かったという。
このため4月20日に石巻市の副市長に「国際基準から見ても問題だ」として住環境の改善を要請した。
当時は1万2千人ほどが市内の避難所で生活。今月13日時点の避難者は約8千人で、
同病院は「最近の調査では、もっともひどかった避難所も一人当たり3,5平方bほどになった。ただ、避難所には冷蔵庫もなく、今後は気温上昇による環境悪化に対応する必要がある」としている。
宮城県は避難者の負担を軽減するため、津波被害がなかった内陸部のホテルなどを確保して、避難所として無料で宿泊できるようにしている。しかし、職場や学校の都合などで地元を離れられない人が多く、石巻市からの利用者は約650人にとどまっているという。
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よくもまあ、こんなに大勢の人を堅い床の上に詰め込んだものだ、とかねてより思ってはいたが、まさか難民キャンプの基準以下とは思いも及ばなかった。不明を恥じるばかりである。石巻赤十字病院には、海外の被災地や難民キャンプへ、医療救護に駆けつけられた医師や看護師の方がいらっしゃるのであろうが、その経験から、「これはひどい、難民キャンプ以下ではないか」と直感され、全避難所の調査を実行されたのであろう。その感性と判断力、行動力は実に立派である。さらに、その調査の提案を握りつぶすことなく、市や県からの嫌がらせを覚悟で遂行し、申し入れを行った石巻赤十字病院の院長をはじめとする幹部の方々も、これまた立派である。
市や県はあれこれ言い訳をしているが、見苦しい。市や県の幹部連中は年中行事のように海外視察に出かけているはずである。その豊富な経験を全く活かすことができなかった責任を感じて、海外視察の公費、つまり税金を返還すべきであろう。その上で、なぜ活かすことができなかったか、そのわけをとくと反省すべきである。
何も難しいことではない。同じ避難所の光景を見て、一方は「これはひどい、アフリカやアフガニスタンと同じかそれ以下ではないか」と心配するのに対して、他方は「全員収容できた、内陸部のホテルも確保できた」と自己満足する。一方は治療という「仕事」の枠を超えて、何とかしたいと考えるのに対して、他方は避難者の救護という「仕事」をできるだけ狭くとらえ、法令・規則の枠内でつじつまが合いさえすればいい。一方は患者・避難者のことを第一に考え、他方は法令・規則、前例を逸脱しないことが第一で、避難者は二の次になる。要するに、自分の仕事を奥深いもの、尊いものと考えている者と、自分の仕事をつじつま合わせの薄っぺらなもの、奥行きのない張りぼてと考えている者との違いである。つまりは、必要とあらば、枠にとらわれず、あれこれ工夫できる者と、非常事態でも、何ら工夫しよう、人のためになろうとはしない者との違いである。
とはいえ、石巻赤十字病院の勇気ある行動で、たまたま石巻市と宮城県が問題になっただけであって、他の自治体の避難所でも、調査すれば、難民キャンプ以下の専有面積のところは多く見つかるであろう。実は、石巻や宮城県はずっとましであることが、現地を慰問と取材にまわった、「NPJ原発取材班 おしどりマコ・ケン」の報告で知ることができる。
http://www.news-pj.net/genpatsu/2011/oshidori-0514.html
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[NPJ 原発特別取材班] おしどりマコ・ケン 2011.5.14
宮城と南相馬の避難所の違い
〜一人っきりの子供がいます〜
(写真省略ー引用者)
宮城の避難所にて
2011年5月9〜11日、私たちはアコーディオンの coba 氏とともに宮城、福島の避難所へ慰問と取材にまわった。
9日夕方に宮城入り。夕食後の宮城県名取市民文化会館の避難所に伺う。
ここは津波により壊滅した閖上(ゆりあげ)地区の方々が避難しておられるところだ。
イギリスのBBCが、巨大な津波によって地図上から姿を消した町、として取り上げた閖上はかつては活気のある漁港の町であった。
ここの避難所には当初は 1000人ほどおられたが伺った5月9日は 200人程度にで減少したという。
仮設住宅の建設が進み、そこに移られた方が最も多いとのこと。
しかし仙台市の仮設住宅はなかなか申し込みづらい、なぜかというと、16年前の阪神淡路大震災のとき、仮設住宅で独居老人の孤独死があいついだ。
なので、地域のコミュニティを切断しないかたちでの仮設住居への申し込みがのぞましい、ということで10世帯!
まとめての申し込みしか受け付けないというのだ。
それが難しく、仙台市への申し込みは非常に少ないのであった。
調べてみると 「コミュニティ受付」 といった 10世帯単位のものが確かにある。
5月6日に10世帯から5世帯へと変更になっていた。
仙台市ではあまりにも仮設住宅が余っていたので変更せざるをえなかったのだろう。
しかし、5世帯、10世帯といった数を決めるのではなく、もう少し柔軟な対応をしてほしいものだ。
名取市民文化会館の避難所は非常に団結していた。
慰問も盛り上がり、飛び入りで民謡を歌う男性が二人出て、手拍子、掛け声を全員でというにぎやかさ。
私たちが終わったあと、子供たちに囲まれ、すぐに手を握り膝に座りという人懐っこさ。
その周りには大人たちが集まり、おしゃべりや針金作品のプレゼントで1時間半以上、あっという間にすぎた。
避難所のスタッフ(行政の他、文化会館のスタッフがそのまま避難所のスタッフになっている)に伺うと、
誰でも使えるパソコンのインターネットで津波の動画をみんなで見ているとのこと!
「あ、ここ俺んち!」
「この流されてるの多分、私の家!」
など、何度も何度も津波の動画を繰り返し見ているそうだ。
初めは夜泣きする子供も多かったが今ではこんなにタフになっている、とスタッフの方々も驚いておられた。
10日は閖上地区を横に通りながら河北新報へ。取材を受けたあと、FM仙台に飛び入り出演。
被災地のメディアとして自社もひび割れたり、壁が落ちたりしながらなんとか地域に密着した情報を出し続けようとされていた。
河北新報は3月12日にも新聞を発行している。
自社の印刷工場も被災しとても発行できる状態では無かったのだが、新潟で印刷して、電車も使えず、車で運んで何とか配ったそうである。
その新聞をロビーの掲示板に貼ってあるのだが、自立式の掲示板でその足には1つずつ10キロの重りが乗せてあった。
つまり、まだまだ揺れるので、相当な耐震補強が必要なのである。
そして夕食前の七ヶ浜国際村、その後、夕食後の七ヶ浜中央公民館へ。
両方とも宮城県宮城郡にある。
こちらの避難所も2ヶ所とも活気があった。
「住所教えて! 手紙書くから!」 と駆け寄ってくる子供たち。
「前は興業打つ仕事してたから、戻ったらあんたたち呼ぶから。」 と連絡先を聞いてくるおばさま!
「負けませんよ! 見ててください!」
と力強く握手してくる若者たち。
そして、宮城の避難所ではどこも新聞が山積みされ、誰でも自由に使えるインターネットとしてパソコンも置かれ、お菓子や飲み物がテーブルに溢れていた。
特筆すべきは毎日新聞の 「希望新聞」
色味のない資料が山積みの長机の中で、カラフルでお正月版のような新聞は避難所でも人気があり目だっていた。
そしてどこの避難所でも山積みでおいてあった。
翌日、11日は宮城県亘理郡山元町役場へ。
ここは 「りんごラジオ」 という地域エフエムがある。
エフエム長岡(新潟県)の協力により、山元町災害臨時エフエム放送局 「りんごラジオ」 が開局されたのだ。
しかも震災から4日後に!
「りんごラジオ」 では、被災者や避難者、町外者に対し、必要としているタイムリーな情報の提供をつねに行っていた。
役場の中の長机に機器を並べただけ、マイクが2本あるだけのラジオ局であった。
しかし地域に非常に密着しており、つねに役場の最新情報を流し、地域をまわり帰ってきた方がそのまま情報を流す、
というコミュニケーションがとれた放送であった。
私たちが伺ったとき、たまたまリスナーの方がタケノコご飯の差し入れを持ってきてくださっていて、お相伴に預かったほどだ!
きゅうりの山葵(わさび)漬けの美味しかったこと!
山元町役場は古く、今にも倒壊しそうで、揺れるたびに、みんな一斉に外に出る、ということだが本当に活気が溢れていた。
「ボランティアセンター」というテントの看板が色とりどりにできていて、
近づいてよく見ると、ペットボトルのフタを集めて作っていたのだ。
りんごラジオに飛び入り出演したあと、山元町の山下中学校の避難所にも伺ったのだが、ここの校長先生も素晴らしく軽やかに動く方であった。
coba 氏と私たちの慰問を知るやいなや、生徒さんと避難所の方々を一気に集めてしまった。生徒さんは授業中にも関わらず。
「元気が出ることはどんどんやらないといけないんです!」
卒業式や入学式を避難所となっている体育館で行い、地域の方々にも参加して頂いたことでも知られる方だ。
避難所に帰ってきた小学生たち、一人一人の名前を呼びながら、「早くおいで、今から楽しいよ!」 と走っていかれた。
帰りに中学の校章が入った金太郎飴を頂いた。校長がポケットマネーで作ったそうだ。
これを何かあるたび、会う人ごとに配り、「山下中学をナメちゃいけませんよ!」と言うそうだ!
なんと軽やかなことか!
*****
宮城県の避難所はどこも活気にあふれ、慰問にもノリノリで、物資も情報も行き渡っている。夜泣きしていた子供たちも、自分の家が津波で流される動画をみなで見ることができるほども、つらい経験に向き合い始めている。まだまだ問題はあるにせよ、宮城県は復興への意欲に満ちていると言っていいのかもしれない。
だが、福島県にはいると、状況が一変する。
*****
雰囲気の違う南相馬
そして、福島県南相馬市へと向かう。
まず訪れたのは南相馬市民文化会館 「ゆめはっと」
ここは自衛隊の基地となっていた。
遺体の捜索をされる部隊が寝泊りをしていた。
南相馬市文化事業団の事務局長に話を伺う。
「南相馬は地獄です。4重苦の地獄です。」
震災、津波、原発事故、風評被害。
この事務局長が福島原発と言わず、「東京電力福島原発」 と呼ぶことに、深い意味を感じた。
風評被害というのは、本当に物資が入ってこない、人が近づいてこない、ということだ。
5月11日の時点で確かに空間線量は、福島市や郡山市より南相馬市のほうが低い。
だがコンパスで同心円状に線引きした30キロ圏内ということで、3月の時点から物資がほとんど来ないのだ。
あと、気になることも聞いた。
仮設住宅は建設してるのだが、そこに入居希望をせず、ズルズルと避難所にいたり、ヤケになり逆切れする方も多い、とのこと。
「仮設住宅に入ると、自分で生活せねばならないでしょう、避難所にいると三度のご飯は出てくるわけで…」
本当か。今まで伺った、宮城の避難所と全く雰囲気が違う。
しかし、南相馬市原町区原町第二中学校、同石神第一小学校の2ヶ所の避難所を訪れて、少しずつわかってきた。
まず、物資が圧倒的に少ない。
今まで見た、あふれんばかりのお菓子などどこにもない。
訪れた11日から初めて、暖かいご飯とおかず、というメニューになったとのことで、それまでの献立表を見せて頂いたら
*オニギリ、バナナ、牛乳
*オニギリ、ヨーグルト、ジュース
こんなメニューなのだ。それが2ヶ月も続いていたということか。
新聞もやっと届くようになったのは1週間前から、とのこと。
そして、宮城の避難所で溢れんばかりにあった毎日の 「希望新聞」 は無かった。ここにこそ希望が欲しかった。
目はうつろ、暗い顔で足をひきずるように動く避難所の方々。
事務局長の話を聞く顔も上の空で無反応だ。
果たして、私たちを楽しんで頂けるのか!?
渾身で舞台をし、本当に笑って、楽しんで頂けた。
「2ヶ月ぶりに歌ったり笑ったりしたよ!」
そう声をかけて頂いた。
宮城の避難所では今まで、どんな有名人が来たか喜んで話し、専用のサイン帳を持つ方々も多かったというのに!
その後、石神第二中学で避難所の方々とお話をした。
というより、ほぼ、一人の子供と遊んでいたのだが。
そのうち、事務局長が言っていた言葉の意味がわかってきた。
南相馬は絶望しているのだ。
家を仕事を無くしても、故郷を復興しようという気持ちにやっとなれた宮城の方々。
南相馬は違う。
家を仕事を、そして故郷まで無くしたのだ!
物資は無く、国から見捨てられ、人も来ず、差別されている、という気持ち。
それは本当に人を自暴自棄にさせる。
また、そうはいっても放射線量が高いため、若い方や子供もほとんどいないのだ。
しかし。
私たちおしどりが今回一番衝撃的な出会いがここであった。
福島第一原発から23キロしか離れていない石神第二小学校の避難所に、2歳児がいたのだ!!
この子はおしどりの舞台が終わったあと、ひっついて離れなった。
どこの避難所でも子供は人懐っこく、くっついてくるのだが、この子は違った。
笑ってはしゃいだかと思うと全身を密着させ、じっとしている。
他に子供はおらず、あまり仲良くなりすぎると、後の別れがつらい、と思い、
何度も少しずつフェードアウトしようとしたが、すぐに見つかり、結局ほとんどひっついていた。
この子にはおじいさまがおり、少しずつ話を伺った。
あまりおつらそうなので、無理に聞き出そうとはせず、アコーディオン
coba 氏がお聞きしたことと総合すると。
この子の父母は恐らく津波で亡くなったということ。
「ちょっといないんだよね」
こういう言い方しかなさらないが、周りの方から少し聞いたのだ。
おじいさまとおばあさまと、この子とで、一旦、新潟の長岡の避難所に
移ったとのこと。
しかし、そこでおばあさまも亡くなって。
そして、この子が
「南相馬の子に近づいたらダメ!」 と言われ続け差別を受けたとのこと。
(それには、小さい子の親御さんは放射線被曝に、より神経質に気を使わなければいけない、という背景もあるのだろうが!)
最終的に、また、おじいさまとこの子とで、南相馬の避難所に戻ってきたとのこと。
この子は本当に愛くるしいかわいい女の子で、でも、天然パーマの髪の毛はボサボサで毛玉もできていた。
服が湿っていたので聞いたら
「遊んでたら雨に濡れたの」
南相馬の雨に!!
誰かこの子を守ってくれる人はいないのだろうか?
誰もいなかった。
おじいさまはもうこれ以上ムリ、というくらい傷ついて年老いておられた。
まわりの方々も老人が多かった。
青年は自分以外の家族を流され、どこにも行けず、南相馬にいるだけだった。
「だっていないもん」
「いないからね」
この子がふと言った二言は、恐らく、パパとママのことではなかろうか。
私たちが立ち上がるたび、
「どこ行くの! どこ行くの!」 と絶叫したこの子。
「どこも行かないよ、まだ遊べるよ」 と言い続けても帰る時間はせまる。
とうとう帰る時間になり、
「どこ行くの! どこ行くの!」という問いに
おうちに帰るとは、とても言えない。なので
「お仕事に行ってくるの」 と言うと
「帰ってくる!? 帰ってくる!?」 と絶叫する。
この子!
「絶対、絶対、帰ってくる。絶対また遊ぼう!」
そう言って、絶叫するこの子を後にした。
子供はたったひとりだけ〜石上第一小にて 撮影:遠藤 敬
お願いします。
この子を誰か助けてください。
【続報】 2011.5.15
恋のジャーナル(おしどり♀マコリーヌ) ブログ
★ 「この子」 の現況
NPJにおしどりの記事を載せて頂き、たくさんの反響を頂きありがとう存じます。
現在、「この子」 はおじいさまと2人でいわき市に移っておられます。
しかし、いわき市の避難所も段々人数が少なくなり、今月いっぱいで閉まるところも多い、とのこと。
いわき市のどちらに移られたかお聞きしましたら、おじいさまの弟さんのところだそうです。
私の連絡先をお伝えして、現在、弟さんにご連絡を取っていただいて、あちらからのご連絡待ちです。
たくさんの方々にあの子のことを心配して頂いて本当にありがとう存じます。
まだ、避難所にはたくさん残っておられました。
他の南相馬の避難所も同じような状況かと思います。
誰も人が近づかない避難所の状況をどうぞ知ってください。
※編集部注 :
この2歳児を記事上、実名にするか、匿名にするか、NPJで相当議論を重ねましたが、
非科学的な差別を受ける可能性に鑑み、匿名とすることにしました。
もし、本当に差別をする人がいるなら、そのエネルギーを避難できないままの多くの子供たちを救うように政府に要求することに振り向けてほしい。この子もそう願っているはずです。
*****
南相馬市は市長の「兵糧攻め」放送で、世界的に知れ渡り、桜井市長は『ニューズウィーク』で「世界の100人」にも選ばれている。やつがれは、世界中からの支援声援を受けて、市長の下に全市民が一つになり、復興の意欲に燃えていると思っていたが、宮城県とのこの違いは何としたことなのか。物資も乏しく食事もおにぎりに冷たい牛乳やジュース、新聞も二ヶ月近くも届かず、訪れる人もなく、タレントの慰問もない。二ヶ月も笑ったことがなく、目もうつろで、復興の意欲どころか、生活意欲すら失って、ただ三度の食事をかき込むだけの、避難所の人々。
これはもう、時々テレビで見る、アフガニスタンやアフリカ最貧国の難民キャンプの姿そっくりではないか!しかも両親を失い、たどり着いた避難所では祖母を失い、差別され、再び故郷に、遊び相手一人ない避難所に、戻ってきた2歳の幼女!テレビドラマであっても、「嘘っぽい」と片づけられるであろう話が、21世紀の文明国、世界第三位の経済大国日本の現実なのだ!
のどの奥に突き上げるものを静めながら、今こそよく考えねばならない。まず、なぜ宮城県とこれほども違うのか? なぜ「風評被害」が南相馬を地獄に陥れるのか?
それは、福島県と日本政府の陰湿な差別、いじめが働いているからに他ならない。「兵糧攻め」の実情を世界に発信したので、<やむにやまれぬ窮状からの訴え>、<上に立つ責任ある自分たちが見過ごしていたことの指摘>と受け止めるのではなく、感情的に「メンツを潰された」としか受け取ることのできない福島県と政府は、放射能汚染の実態に合わせて、きめ細かく避難地域の再設定を行うことをサボって、地図上に同心円を描くだけの、いい加減な線引きを押し通したのである。
普通の人や運送業者は、放射能汚染の実態は分からないから、線引きを目安に行動するしかない。福島県や政府に尋ねても、「個別に教えるわけにはゆきません、ホームページを見てください」で終わりである。新聞社やテレビ局は、本来なら、一番困っていそうなところへ出かけて、実情を報道しなければならないが、そんな「社会の木鐸」は、今の日本では望むべくもない。結果、南相馬は陸の孤島状態が続き、「メンツを潰された」福島県と政府は、「ざまを見ろ」と何食わぬ顔で快哉を叫び、「俺たちに従わないと、こうなるのだぞ」と周囲の見せしめにもできるのである。南相馬の避難民、住民がいくら困ろうと、むしろ困れば困るほど、それだけ大成功なのである。
そうであれば、福島県幹部と日本政府高官は、先ほど、石巻赤十字病院の人たちと比べた、石巻市や宮城県の幹部よりも、もう一段も二段も、桁違いに悪質だということになる。悪意から、困っている人々を故意にいじめて、自分の権力に酔っているからである。
「法令・規則、前例を逸脱しないことが第一で、避難者は二の次になる」どころか、避難者は人質で、法令・規則、前例を利用して、自分に従わない者に対していじめ、差別を進んでやるからである。
「自分の仕事をつじつま合わせの薄っぺらなもの、奥行きのない張りぼてと考えている」どころか、自分の仕事には薄っぺらでも中身なぞないと考えて、ただ権力を振り回して、国民や県民を困らせれば、満足だからである。
だから、「非常事態でも、何ら工夫しよう、人のためになろうとはしない」どころか、
非常事態こそは、権力を振り回す好機と考え、国民、県民を困らせ、痛めつけ、塗炭の苦しみに突き落として、ご満悦なのである。
被災地から来た子供が、いじめに遭うのも、もとはといえば、原子力について、正しい科学的知識を学校教育で教えてこなかったからである。放射能の怖さを、きちんと知らしてこなかったからである。放射能の体内被曝の怖さを知っていれば、雨や風向きに気をつけて、傘を差し、マスクをするであろうが、被災地から来た子供を遠巻きにすることの無意味さは、誰にでも分かるのである。あろうことか、インチキ宗教である、原発安全教を政府が義務教育で教え、テレビ広告で宣伝し、インチキ宗教の説教師である大学教授が言いふらしてきたため、隅々にまで迷信のはびこる、非文明国に転落したのである。
アフガニスタンやアフリカ最貧国並みの避難所、およそ文明国とは思えない劣悪な避難生活の長期化、原発安全教の迷信にとらわれた国民の教養程度、このような日本にしている責任は、菅総理をはじめとする政府高官と佐藤福島県知事にあるのだから、直ちに総退場すべきである。
そして、その後を継ぐ者は、誰であれ、次の二つの課題を成し遂げねばならない。それは、まず、日本はもはや三流、四流の非文明国であるので、サミットに加わる資格はない。虚礼に大金を費やす余裕はない。そんなお金はすべて被災者の支援と国土の除洗に使わねばならない。「こんな状態ですので、今後日本はサミットにはでられません」と申し出れば、反対する国はない。どの国も、放射能垂れ流しを、一刻も早く封じ込めくれと望んでいるし、それが世界中に迷惑をかけ続けている日本にとって、一番の国際貢献である。
次に、自国内の原発のために、はからずも核の要塞列島となった日本を侵略する国はないので、アメリカ軍にはお引き取りをしていただいて、思いやり予算で至れり尽くせりの、アメリカ軍人の住宅に、全避難民と、これから疎開が予想される、幼児、子供とその家族、若者たちに住んでもらう。沖縄は幸い、国内では放射能汚染をもっとも免れているし、一基の原発もない。これから苦難の多い日本再生を担ってもらわねばならない、若い世代が暮らすには、最適の地である。
国民から、また海外から寄せられた2000億円にも上る義援金がまだたった1割しか配布されてないとのことである。実におかしなことである。菅総理以下の政府高官と佐藤福島県知事は、自分たちのものではない義援金を、国と県から見捨てられ、差別を受けて苦境にある、被災者に直ちに全額配布して、総退場すべきである。
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