35. 2012年1月20日 00:11:40
: UXYMEhdAec
13氏へ 私も参加しました。昨年10月にも参加しました。今回は、右翼の妨害もなく、スムーズに運んだ感がありました。参加者の人数に関しては、やはり今の現状では余程の現状の正確な理解と強い確信がないと、世の中全体がマスコミに煽られている只中を、同調せずに断固として、主張を貫くというのは、自分で進んでよほどの勉強をして、人の世の中の正しさに照らし合わせて、やっとこうした確信には至れないと思うのです。 みんな自分の心からの確信の言葉を持つに至らない人と思います。いや持っていても国の最深部の不正の追及などという高みにはなかなか確信は持てないのです。 私は、日本人が自主的に社会のこと国のこと、その中の個人のあり方等もっと勉強して欲しいと願います。 これからきっとこの流れは大きくなっていきます。日本人が生き残る道が多く残されていますか?いいえ、まともな考えの人達の中の協力関係の中にしか道はありません。ですから、あとでどっと増えてきます。必ず。 しかし、やはり、この種の勉強には得手不得手があろうと思います。日本国の真の独立と危機回避の本物の見識・プリンシプルが、今回のデモの中にあったことを疑いません。 このうねりが大きな流れうねりになったときには、それこそ嬉しいことですが、勉強しない人はやはり、おおよそのことは掴んでもそれより先のことは、哀しいかな進んで勉強しないように思うのです。そのときにしっかりとした考えを持ち人を教えられる人が急には増えないと言うことです。勿論合点がいく人達は進んで求めていくでしょう。 最初から小沢一郎支持者ではない人達にとっては、人の世のことも社会の成り立ちもしっかりと分かっていて、それでこそ、今回の小沢裁判には断固として、反対の主張が可能です。この不当さは、民主主義制度秩序に対しての不当さに向けられていると言う立場に立ってこそ強い正当性の拠点が確保できます。私はなんとなく 渋谷の町を行く人々みんなも気づき始めているように思いました。 デモ隊を見る目の中に、前回の奇異さよりも私は、国全体の声を代表しての抵抗をしてくれているという視線も感じたのです。実際に本当のところはまさにそうなのですし。 現代の若者が、自由な国の成立と維持には、どれほどに必死な死線を越えるほどの努力が必要なのか、皆目見当が付かない状態に置かれたままであると思います。 他人事のようです。 …ということはです。本当のまっとうな社会の日本の国の希望を手にしているのは一体だれなのか?ということです。 我々です。また我々のような人達です。途方もない思い違いの若者達への大変な教育係も引き受けざるを得ないと言うことです。思い違いの若者達は、日本の国の政治に関しても思い切り見当外れの見解を持っています。思い切りテレビの流行の価値観共有に打ち込んできた世代には、なんと言えば良いのでしょう。簡単に大人の否定を肯定する軽薄な流行の価値観の主張と共有を譲らない役立たず。 不当な権力への抵抗は、よりよい希望への接近のためです。 我々は過去の正義に責任や義理を負うのではない。 動機は、愚かな狡猾な人間達への憎しみでもない。そんな人間達を遙かに越えている新しい日本人なのです。 日本の未来の正義の責任へ数少ないながら、本物の先行投資をしているのです。 いずれ必ず必要とされる集いの核になります。 日本の未来に良い設計図や基本設計が出来るのは、誰もやりたがらない国の滅びをなんとか防ごうという建設的な主張による抵抗とたいして丈夫でもない自分の背中に、途方もなく重すぎる日本の国の重量を感じつつ希望の戦いの道を一歩一歩歩む者達だけです。前人未踏のルート開鑿です。 この思い、志が、胸の内に灯っている人々が、いつもこの希望の灯火≠守り、さらに確かなものにしていく努力を継続していてくれるならば、希望の火は、いつか遠くない日に、人々の国家再生の膨大な群れ達の真情を燎原の火のごとくに全国津々浦々に伝わり燃え上がらせるのです。でもそうした大仕事にはひとつひとつの地道な数多くの仕事が必要になります。国の中の様々な病巣に当たらなければならないでしょう。そしてひとつひとつに適切な対処を設けていくのです。 何事も愛する日本のためです。戦前は強制的でしたが、21世紀の日本人は自発的なのです。自発的ということは、大変に大変に高度です。 国家再生の巨大な炎となることを目的としているからこそのつぶやきと思われます。 ただの古き良き時代へのリバイバルとはちがって、二回りも三回りも大きな全く別の本物の世界建設が必要です。 それは、誰もが探し求めているものです。 一番近い人間は、不正の追及と、既成の不備への対応として、新しい制度あり方を探ろうとしている人間達ではありませんか? 古くなった物を新しい物に変える。 日本の未来作りの最前線の現場です。 もはや日本の将来像の創作者は、売国奴政治家官僚学者の中にはありません。彼等は目下つまらぬ考えに染まりきって日本国の破壊中ではありませんか? 破壊者と創造者と傍観者と。 このコントラスト私は渋谷の町を歩きながらはっきりと見ていました。 すでに現在の我々は、本心から、世界のどんな権威をも恐れずに自由に発言して自由に考え、意見を交換できる場も獲得している。以前はこんな自由など何処にもありませんでした。今日本のお手本は、外国ではありません。日本のお手本は日本です。我々です。我々のような日本人です。これから本物のお手本を作らねばなりません。幸いなことには我々はみんな自分の足で立つ人間です。強いですね。 聖書には、新しい葡萄酒は、新しい革袋に。という言葉があります。この言葉の本当の意味を知っていますか? 新しい葡萄酒というのは発酵≠キるそうです。そこで、新しい葡萄酒を入れる革袋の内部は膨張するのだそうです。その時に、古い革袋はその膨張に耐えきれずに、張り裂けてしまうと言うことなのです。新しい革袋は、新しい葡萄酒の発酵の膨張に十分に対応する柔軟性を持っているということなのです。しかし、古い葡萄酒と古い革袋の良さは否定はしていないのです。古い革袋は柔軟ではないのですね。私はこのたとえは決して、年齢のことを言っているとは思いません。でも発酵≠ヘ当人の思いとは別に時間が必要な物です。個人差もありますが。よりふくよかに、より純度高く、より精密に、より強く、より高く… こうした働きがある人達の向上心は無限と言うことですね。 人はひとりでは本当にどうしようもありません。人は人に発酵の酵母を知らずに受けているものだと思います。良い人達から良い酵母を受けて、自分も与えられるよい発酵の葡萄酒になりたいと考えます。こうした場から遠ざかることは良くないですね。 |