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一昨日の報道ステーション(1/15、10:00〜)を見た。
橋下徹氏を主役に立てた、座談会が行われていた。
昨年の大阪首長選は、まったく他山の石だった。各立候補者の主張や、とくに橋下氏の大阪都構想、「独裁者」発言の真意など、政治的な話題のひとつと聞いているだけで、詳しい内容は知りたくもなかった。どうせ低レベルの政治家が、人気取りのために喋っているだけだろう、というわけだ。
しかし対談相手に向かって、口汚く言葉を投げ返す橋下節が面白く、期待しないで見始めた報道ステーションに最後まで付き合った。
橋下氏の政策の全体像が理解できたわけではない。だが、どうやら、座談のあちこちで、行政の「無駄をはぶく」と発言していたから、現代の欧米に流行る行政改革、すなわち公共事業の廃止と民間移譲の推進を、政治戦略の基本のひとつにしているらしい。こうした政治戦略を「新自由主義」ともいうようだ。民間の大手業者、とくに金融資本にたいして、資本の論理=「儲けるための活動」障壁を排除し、かつ最大限に保障する戦略だから「自由主義」の一種であり、公共資本(自国民から集めた税)の簒奪を合法的に認める点で、欧米の考え方としては「新しい」とみなせるのだとか。
しかしながら我が国では明治以来、「殖産興業」としてよく知られた、お馴染みの経済戦略である。後発資本主義国として出発した国家にとって、「富国強兵」とともに、止むをえない経済・政治戦略だったのだ。現代の「殖産興業」は、IMFや世界銀行から融資を受けたアフリカなどの新興国が、必死に試みる成長戦略でもある。また、違法に行われた公共資本の簒奪は、ソ連からロシアへの暴力的な経済移行に身近な例がみられるだろう。
大阪首長選で橋下氏は、市と府の水道局が2つあることを、省くべき無駄だと争点にしたようだが、新自由主義からは、ある意味で当然の着想だったかもしれない。しかし水道局を、民間に移譲するべきとは主張しなかったようだ。2つの水道局をそれぞれ別の民間企業に移譲すれば、企業努力によって安価で最良の水質が保障され、しかも府や市の財政削減につながる、と考えるのが「新自由主義」である。この点で橋下氏は、何か怪しげな考え方をしているのではないかとも推測できる。
教育問題に話題が移るにつれ、こうした橋下氏への疑問は膨らむ一方だった。かれは教育委員会を「クソ教育委員会」とか、「バカ教育委員会」とか呼ぶ。こちら自身も、都道府県の教育委員会の存在にとどまらず、文科省と教育政策そのものに疑問を持っている。教科書検定など、日本の知的レベルをあげるために廃止するべきだとすら考えている。しかし、「クソ・・・」「バカ・・・」といった言葉づかいを正当と受容する価値意識は、何を意味しているだろう。それとも、何も意味していないのか。
その疑問への解答は、やがて後半部分でわかりかけてくる。大阪府の教育委員会と教育は府知事の方針に従うべきだ、と橋下氏は述べた。「クソ・・・」、「バカ・・・」と、テレビ・カメラの前で発言する人物に、公選されないから教育関係者は従うべきであると。ここに、橋下氏という人物の基本構造が浮かび上がってきた。
このような精神構造は、ひとことで表現できる。
モンスター・ペアレンツ。
そう。かれは政治、経済、教育など、あらゆる面においてモンスター・ペアレンツのひとりなのである。この精神構造の一面が、長引く不況と裏切られた政治改革を背景に、大阪住民の憤懣を集約しえた。ここに「橋下徹」というメタファーの役割がある。とすれば、大阪の人々は、もう一度ならず苦しむ必要がある。なぜなら、モンスター・ペアレンツに欠けたものは、構築力だからである。かれらは何も構築できない。そこに気づいたとき、大阪の住民に第二、第三の苦しみが始まるだろう。
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