http://www.asyura2.com/11/senkyo124/msg/817.html
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検察は自分の利害ではなく、「自分たちのメンツ」のために渋々この戦いを続行している、という田中良紹氏の考えは一考に値する。→『政治家の金銭感覚』田中良紹の「国会探検」http://www.asyura2.com/11/senkyo124/msg/671.html
何から何まで金丸氏の場合と同一ではないにしろ、両方ともに小沢氏が登場する。同一人物の意志が働いている可能性はあるのだ。
検察は自分たちが不起訴にした段階で勝負はついているのに、盛り上げすぎた国民世論に逆に煽られて、小沢氏を起訴しないわけにはいかなくなった。そのために「起訴補助機関」として整備してあった検察審査会を使ったのではないか。起訴議決は何としても出してもらわなければならなかったし、議決書の体裁も整えてやらねばならなかった(田代報告書のことだ)。金丸氏のように、再捜査をやって自分たちで起訴をするほどの時間と金が尽きたのであろう。
という推論に立てば、当然まえの段階で検察は小沢氏に「手打ち」を持ちかけたはずである。なぜなら小沢氏を起訴すべき証拠がないのだから。その「手打ち」を小沢氏側が蹴ったので、しからば証拠不十分でも起訴できる「検察審査会」に任せよう、ということになったと考えればどうなるか。
「手打ち」の条件とはどのようなものであったのだろう。虚偽記載の共謀では政治資金規正法違反では公民権停止になってしまうから、小沢氏が呑むはずはない。4億円の不正授受でもだめだ。もっと軽い罪状であるはずだ。石川被告が政治資金収支報告書に間違いの記載をしたことへの監督不行き届き、ぐらいか? 実際は間違ってさえいなかったのだが。いずれにしても分からない。どうせ当事者は言わないだろう。
金丸氏と検察のやり取りの流れで推論するとこの様になるが、それでは「いつ」相談を持ちかけたのか? 最初の参考人聴取の時は、すでに告発されていたはずだ。起訴するかしないかは検察の胸三寸である。たとえ小沢氏が「証拠もないのに、起訴するならしてみろ!」と言ったとしても、検察は「証拠がなくても検察審査会がありますよ」と言える立場にあるし、検察審査会ならそれができる。告発人が審査申立てをすればいいだけだ。しかし結局この会談は破談になった、のだろう。そして・・・。
もうひとつ疑問は、検察はこの戦いを最終的にどこまでやり続けるつもりなのかである。小沢氏が完全に失脚するまでか? それとも「検察のメンツ」がかろうじて保たれる範囲までか? 前の金丸氏の場合と決定的に異なるのは、テレビや新聞の表のメディアのほかにネットによる個人の意見の発信がきわめて容易になったことである。
しかもネット内に終始せずに、週刊誌や実際の行動にまで動いていく。つまり表の世界にもどんどん滲出し始めているのだ。たいていの人は「公式発表」には眉に唾をつけて接するようになったし、新聞は「教科書」ではなく「間違い探し」のパズルになってしまった。
しかし、もはや検察のメンツが保たれる範囲などという玉虫色の決着などでは、小沢氏側も承知はするまい。「行くところまで行く」でないと風評被害は払拭できない、と小沢氏は考えているのではないだろうか。途中でシャンシャンをやれば、喜ぶのは劣勢の側だけだ。
国民が小沢氏を「悪人」だと見ている限り、検察側もいかに不利であろうと戦闘を止めるわけにはいかない。途中で降りれば国民の叱責がまた押し寄せる、と考えているのであろうし。「自縄自縛」検察もマスコミも自らが作り出したイメージに、反対に縛られているのだ。それにしても低次元の争いだ。しかし誰が検察の耳に「小沢氏をやれ!」と吹き込んだのか?
その泥仕合にちゃっかり乗って、9月14日に起訴議決を出させてしまった者もいる。「漁夫の利」ともいうが、こういう小ずるい奴が一番許せない。
私は2年にも及ぶ小沢氏の追求劇を一本のシナリオで演じられていると考えてきたが、上記のようなスッタモンダのドタバタ劇とみれば「さもありなん」と納得できる。ところで、そろそろ幕を閉めようぜ。日本はこんな観劇に時間を費やしている場合ではないだろう。
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