http://www.asyura2.com/11/senkyo124/msg/758.html
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ジャーナリストの西谷文和さんが1月12日に橋下前知事を相手取ってWTCビル購入&庁舎移転に伴う税金投入問題で住民訴訟を提訴します。拍手を送りたいです。
1月3日の段階で委任状(原告になるという意思表示)が続々と到着、原告団も人数が多数になりそうです。
といっても現在では橋下前知事に対し直接返金を求めることは出来ず、松井知事に返させるよう求めることになるんだそうです。
ツイートによると
なぜ、橋下個人に請求できないかというと、全国でオンブズマン裁判が増えて、頭を抱えた政府が、「役職をおりた個人」に対しては、直接請求できなくするため法律を改悪したらしい。民主党政権は姑息だ。しかし見方を変えれば、松井知事にも裁判に出席してもらえるかもしれないので、いい方に解釈したい
とのこと。
橋下氏は市長に就任する前に、平松前市長の側近だった市職員を更迭したり、「(橋下氏の)民意という単語が僕の(認識)とは違う」「向こうが言っている二重行政が分からない」と発言した市職員に反省文を書かせて提出させたりと、いかんなく暴君ぶりを発揮しました。もうこれ、訴訟ものの不当処分です。
しかし大阪市労連はこの不当処分に対し抗議するどころか平身低頭で平謝り、最初から追従する実にふがいない姿勢を披露しました。
「権利のために闘うのは義務である」という有名な言葉の通り、権力者の不当な行為に対しては断固として闘わなければ、それは不正を追認し、のさばらせることに手を貸しているも同然です。
大阪市労連が橋下氏に追従するなら、橋下氏を常時躊躇させる存在はゼロに等しくなります。
これについて、広原盛明教授が批判されていますので、是非ご一読を。
◆広原盛明のつれづれ日記
橋下市長にひれ伏す大阪市労連委員長の卑屈さと惨めさ、(大阪ダブル選挙の分析、その7)
http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20120107/1325905807
大阪市労連はああでしたが、市民が立ち上がってくれたのが嬉しいです。
でも、日本の裁判所は権力におもねり、絶句するような不当判決を出したがることが多いので、WTC裁判の行方は決して油断出来ません。私は日本の裁判所を信頼していません。
もしこの裁判で橋下氏が勝てば、彼を訴えた2つの裁判で彼は連勝するわけですから、司法は彼をまたまたつけあがらせることになるという危険も伴います。
でも闘う手立てを尽くすことをやめてはいけないと思うのです。(どうか最高裁で竹内行夫氏にあたりませんように!)
では、西谷さんのブログからお持ち帰りさせていただきましょう。
◆イラクの子どもを救う会ブログ
橋下前知事に対して、住民訴訟を始めます
(引用開始)
脱原発の学習会で、「(脱原発を決めた)ドイツと日本の違いは何でしょうか?」との質問が出た。おそらく、それは「責任の取り方が違ったからだ」と思ったからそう答えた。
ナチスの犯罪を謝罪し、犠牲になったユダヤの人々にちゃんと補償をしたのがドイツの戦後。一方、日本は「一億総懺悔」で、「過ちは繰り返しませんから」と石碑に刻む。何という曖昧さ、そして主語のない文章!
今回の原発事故もそうだ。「がんばろう福島」「負けないっぺ福島」。そんな標語で生活は補償されるのか?流された家は帰ってくるのか?ローンは、仕事は…。
町に掛ける看板は「東電よ、きちんと補償せよ」「政府は責任を持って故郷を復興させよ」であるべきではないか。
エジプトやリビアで、独裁者を打倒する若者たちの運動を目の当たりにしてきた。彼らは独裁者に偏る富、理不尽な格差、政治的自由などを求めて、街頭に繰り出し、デモをして、とうとうその独裁者を打倒してしまった。
つまり中東の若者たちは敵を見誤らなかった。貧困層と中間層が団結し、「生活を苦しめている本当の敵」に向かっていった。
一方、日本はどうだったか?
年収700万円の「隣の公務員」に対して、年収200万円の非正規労働者が「怠けている」「リストラされないのは不公平」「ダメなヤツはクビを切れ」と、その怒りを向けた。
しかし怒りの矛先が向かうべきだったのは、「株式の投資で年間何十億円もの所得を得ている人々」「内部留保を溜め込みながら、労働者のクビを切り捨ててきた大企業経営者」「そんな富裕層から献金をもらって当選してきた政治家たち」ではなかったか。
日本の株式所得に掛けられる税金はわずか10%だ。そして新富裕層は株や証券の投資で、巨額の富を築いている。
ではなぜそこから税金を取らないのか?ちなみにフランスは株の所得に30%課税している。なぜ毎日の生活がギリギリの人々が消費税を10%も取られようとしている時に、この株式所得への極めて低い課税率が問題にならないのか?
本来なら、非正規雇用の労働者と公務員が連帯して、「富裕層からもっと税金を取れ」と言うべきなのに、なぜ「底辺同士で」争っているのか?
橋下新市長は一部で「ハーメルンの笛吹き男」と言われている。笛の音に釣られて洞窟に閉じ込められた子どもたち。
この場合、確かに笛吹き男には罪がある。しかし「だまされてついていった子どもたち」に罪はないのか?
「だまされるな、この王様は裸だ!」と叫ぶ子どもになろう。
私はこの笛吹き男、いや大阪新市長を相手取って、WTCビル購入と庁舎移転の問題について、来年早々から裁判をすることになる。WTCビルへの府庁舎移転に伴う巨額の税金支出に関して、橋下徹前知事の責任を明らかにし、彼にそのお金を支払ってもらおうという裁判である。
提訴は1月12日になる予定だ。
(引用終了・太字は私)
太字の部分は私も何度かブログで主張してきたことでもあり、激しく同意。何度でも繰り返し言いたいです。
「ひとつになろう日本」「絆」という言葉の乱発は、庶民に自助努力を促して、結局本当の責任者である政府と東電に対する国民的な責任追及を薄める恐れがあります。
必要なのは、本当の敵、本当の責任者に向かって、庶民が連帯して対峙することです。
「仮想敵」「スケープゴート」をしたてあげ庶民の憎悪をそちらに向かせてガス抜きさせるのは、「分断して統治せよ」を実行するために支配者が使う古典的な常套手段。いつまでこんな古い見え見えの手にひっかかっているのですか日本人は。
西谷さんは一連のツイートでも、とても大事なことを指摘されていると思うので、これまたお持ち帰りさせていただきます。
私は橋下徹という人物そのものには、ほとんど何の恐怖も感じない。怖いと思うのは、なぜ大阪府民がこの「しょーもない」人物を、あれほど支持したのか、ということだ。
おそらく、橋下的なもの、が求められている時代になった。それは何故か?を考えなければいけない。彼はよく「敵を作って、それを叩く劇場型」と言われる。でもその指摘は「一部正しいが、全部ではない」と思う。彼は「敵を作って叩いている内に、本当に、その敵を憎くなってしまう
続き) コントロールができない人なのだ。だから彼の行動に裏があるのでは?と思う人がいるが、彼は「素でやっている」のだと思う。例えば児童文学館。彼は児童文学館をつぶすために、全精力をそそいだ。周囲は「何であれほど、廃館にしたいのか?」といぶかしがった。でも彼は「あの時点で
児童文学館と、学芸員が憎かった」のだ。ただそれだけ。単純な話。しかし周囲は、そうは思わない。何か背景にあるのでは?と考える。しかしそうではない。だから恐ろしい。背後に何か意図があれば、それが透けて見えることがある。彼は「素」でそれが行える。 WTCでもそうだ。
今日、弁護士から「何で彼はそんなにこだわって庁舎をWTCに移したかったのでしょうか?」と尋ねられた。わからない。ただ橋下のやっていることを総合的に判断すると、ただ、府議会議員の中で「WTCへの庁舎移転に反対するヤツら」に対して、「白か黒か」をつけたかった、のであろう。
つまり、彼は「勝つか負けるか」で、勝負してきた。彼に抵抗する人々は全て敵、なのだ。児童文学館も、教育基本条例も、WTCも、話し合いには一切応じない。イヤなら選挙で勝負しましょう。勝てば民意でしょう?
ところが、自分より強い人々(例えば石原)などにはコビを売る。スネ夫のように。石原に対しては絶対に「勝負しましょう」とは言わない。それは経験的に分かっている。おそらく関西財界とも決死の勝負はしない。ただ「囲われた安全範囲の中だけ」で勝負する。メディアは、彼にとって、「安全な池」
池の中で泳ぎながら、強さを誇示する。外洋では泳げない。そんなスネ夫が橋下であるが、有権者の視野も狭くて、「池の中でバタフライする橋下」に拍手を送る。彼は決して外洋には出れないのに。
おそらく彼は今「怖くて仕方がない」のだと思う。次から次へと目立つことをしなければ飽きられてしまう。「飽きられるのが怖い」のだ、だから次々と敵を作る。今は大阪市役所の労組だ。おそらく大阪市役所の労組は根性なしなので、すぐに(すでに)撃沈する。撃沈したら、次の標的を探さないといけない
市役所と労組を撃沈すれば、生活保護者かもしれない。生活保護者の次は…。おそらく標的にするタマがなくなる。その時に、彼は国政に出るか、タイミングが悪ければ、大阪市役所の何かを的にして、アドバルーンを揚げるだろう。つまり「自転車操業」。結局は彼自身の野望のために、周囲の関係者が疲弊
問題は有権者の方にある、こんな彼の手法に、もっと早く気づかねばならない。もちろん既成政党には愛想が尽きているだろう、しかし彼のような人物に行政を任せれば、彼が去った後ぺんぺん草も生えないほどに共同体は破壊される。教育もそうだ。これを元に戻すだけで数年はかかる
だからここで止めないといけない。裁判を始めたのもそのためだ。まだまだ彼の催眠術にかかっている人は多い。でも覚めてみれば、怨嗟の声がわき上がる。間違いなく、彼は大阪府民の生活を踏み台にして、国政に駆け上がろうとしている。ナチスも「一度ヒットラーにまかせてみてもいいのでは」
ドイツ国民がそう思った。背景には第一次世界大戦の過重な賠償があった。しかしまかせてみたら、権力を持たれて、取り戻せないのだ。彼はよく「これは権力闘争ですから」という。まかせてみたら、とことんまでいく。戻らないのだ。だから今止めないといけない。
最後に、有権者が「おまかせ主義」なのが一番の問題。アラブの春も、オキュパイ運動も外国では、自分が立ち上がる。日本では「誰かリーダーシップがある人」にまかせる。これが橋下をつけあがらせている。「この国を変えるのは俺だ」と。違う、一人ひとりの国民が変えなければならない。
自民党から共産党まで「私にまかせて」「入れて」とお願いしてきた。違う。「お前が考えろ!」と突き放すべきだった。だから既成政党に魅力を感じない。労働組合もそう。自分たちだけ、非正規労働者を守ってこなかったツケが出てきて、そこを橋下につかれている。
おそらく自民党から共産党、労組幹部は猛省しなければならない。しかし彼らは団塊の世代で、すでに退職しているか、現役を退いている。でも年金生活者になっても、地域で底上げ運動はできるはず。地域に帰れば何もしないのはダメ。団塊の世代のみなさん、あなたにも責任あるのです。
随所に共感を覚えますが、エントリーも長くなってきたのでこの部分だけをもう一度強調したいです。
アラブの春も、オキュパイ運動も外国では、自分が立ち上がる。日本では「誰かリーダーシップがある人」にまかせる。これが橋下をつけあがらせている。「この国を変えるのは俺だ」と。違う、一人ひとりの国民が変えなければならない。
自立した「個」を持ち、「個」がきちんと自己主張をし、同時に他の「個」も尊重するという本来の個人主義は、「横並び、協調性、目立たぬ事」を子どもの頃から無意識のうちにすり込まれる日本社会ではまだ成熟しきれていないのだと思います。
個人主義が未発達なぶん余計「誰かエライ人におまかせ」が高じがちですし、それはポピュリスト、ファシストにとって実に扱いやすくつけ込みやすい性質です。
一人一人が立ち上がり
連帯して
真の敵を見極めて、抗議し、要求することによってしか
敵を退場させてこの生きづらい社会を変えることはできないのだと
何度でも言いたいと思います。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-840.html
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