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2012.01.11 “絶対君主”にひれ伏す“家臣”の労働組合、(ハシズムの分析、その5)
〜関西から(48)〜
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
新春早々(1月4日)、朝日新聞の夕刊写真を見て驚いた。大阪市労働組合連合会(市労連)の中村委員長が、傲然として突っ立っている橋下市長の前で頭を擦り付けんばかりの最敬礼をしているではないか。「平身低頭」とはまさにこのことだろう。まるで“絶対君主”に対する“家臣”(召使)のような卑屈な態度だ。
昼間のラジオニュースで市労連が勤務時間中の組合員の選挙活動について市長に謝罪したことを知っていたが、委員長個人がわざわざ市長室に出向き、マスメディアの前でこんな惨めな写真を撮らせたことは知らなかった。きっと橋下市長が「格好の宣伝場面」になると見て、マスメディアを総動員してその瞬間を待ち構えていたのだろう。
夜のテレビニュースで改めてその場面を見たが、こちらの方は写真以上にリアルだった。市労連委員長は直立不動で謝罪の言葉を述べ、庁内組合事務所の使用継続を要請したのに対して、橋下市長の方は組合の政治活動を激しく攻撃し、庁舎からの組合事務所退去を高圧的に要求するなど言いたい放題だった。これをボクシングの場面でいえば、組合が「棒立ち」状態で一方的に殴られ放しになっていたに等しい。
しかも、最後の場面が傑作だった(というよりは、余りにも惨めだった)。市労連委員長が「今後の話し合いはマスコミのいないところで」(裏取引の意味か?)と追従笑いを浮かべて持ちかけたが、市長には「それは出来ない」と一蹴され、おまけに別れ際に握手をしようとしてにべもなく拒否された。市役所一家体制のなかで長年当局と慣れ合ってきた労組幹部(ダラ幹)の体質が余すところなく暴露された瞬間だった。
橋下氏が大阪府知事に就任した時、対する大阪府職労の態度はもっと毅然としたものだった。職員の待遇問題に関する交渉では深夜まで一歩も引かず(結果的には賃下げされたが)、労組幹部のみならず組合員個人も知事の主張に対して公開の席上で堂々と反論するなど、労働組合の正当な権利を主張する態度を崩さなかった。それにくらべて、市労連委員長のこの卑屈で惨めな態度はいったいなにゆえなのか。
大阪市労連は、長年にわたる解同(部落解放同盟)との“根がらみの癒着”によって、組合内部には現在においても外部に公表できないような数々の深刻な問題点を抱えている。本来ならば組合として自浄能力を発揮すべきところだが、悲しいことに組合中枢部と解同との「太いパイプ」の存在によって事態を解消できず、これまで自浄能力の発揮など望むべくもなかった。
また、大阪ではこのような解同との癒着や組合の腐敗に対する市民の監視の目が著しく弱かったことも事態の解決を遅らせてきた一因だ。大阪市政を監視する数多くの市民団体があるにもかかわらず、なぜか解同問題(だけ)は避けて通る傾向があったことは否定できない。行政や組合とは直接関係のない市民団体の間でさえ、解同問題を真っ向から批判するパワーに不足していたのである。
この点、京都市職労も同様の問題を抱えていたことは間違いない。しかし、弁護士・研究者・ライターなどを中心とする外部の市民団体、「市民ウォッチャー」の飽くなき追求活動と行政訴訟活動を通してその実態が次第に明らかになり、市民世論の批判の高まりのなかで市職労自身が漸く自らの問題として取り組むようになった。関西の自治体においては、解同問題はそれほど重たい課題なのだ。
解同問題に対する京都の取り組みの中でも、特筆されるのは1990年に創刊された月刊誌『ねっとわーく京都』の存在だろう(私も現在コラムニストとして参加している)。同誌は2012年1月現在で277号を数えるが、その20年有余のバックナンバーを繰ってみると、同誌がどれだけ解同問題の追求と事実解明に熱意を注いできたかがよくわかる。
同誌は、京都だけにとどまらず全国的にも多くの固定読者を持っている。同誌の記事や論説が、解同問題に悩む全国自治体の同和行政担当者の得難い情報源になってきたからだ。しかし、京都と目の鼻の先の大阪では、『ねっとわーく京都』の問題提起に学ぶことはそれほど多くなかった。そのツケが今頃になって回ってきたのである。
今後、橋下市長は組合を「主敵=抵抗勢力」に位置づけ、組合攻撃を機軸にして市役所解体作業を進めるだろう。「解同問題=労働組合問題」とのレッテルを張り、当局・議会・労働組合がもたれ合って隠蔽してきた数々の不正を暴露することで市民の怒りを誘い、容赦なく組合潰しに取りかかるに違いない。
だが注意しなければならないのは、橋下市長は大阪市政を立て直すために解同問題を解決しようとするのではなく、府市統合という「大阪都構想」の野望を実現するための“宣伝手段”として解同問題を利用しようとしていることだ。それはちょうど暴力団の不正受給を口実にして、生活保護制度の縮小をもくろむ福祉解体行政の構図にも似ている。
市労連はこれから高い授業料を払うことになるだろう。だが市労連幹部にはまだこの事態が正確に理解されていないらしい。だから、市労連委員長のように市長室にノコノコ出かけて行って下手に出れば、何とか事態を切り抜けられるとでも思っているのだろう。当局との裏取引が有効だった時代はもうとっくの昔に終わっているというのに。
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