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国歌「君が代」は、改正したら良い。(エトピリカのささやき)
http://www.asyura2.com/11/senkyo124/msg/549.html
投稿者 元引籠り 日時 2012 年 1 月 09 日 10:29:47: dkOnWN./sADdA
 

昨年の大晦日、NHKBSで「なでしこジャパン」のワールドカップ戦を観ていた。
あの感動をもう一度。

予選から決勝戦まで、7試合だったか。
試合の始めに両国の国歌が流れる。国旗も映る。

7回日本の国歌「君が代」を聞いた。そして、心の中で歌っていた。
その度に、最初の出だしで、口ごもる。

『君〜が〜代〜は』
ここのところである。

中学生の頃だった。
社会科の先生に質問した。
「先生!君が代の君は、誰のことなのですか?」

先生は、一瞬、躊躇し答えた。
「君とは、国民の皆の事を指しているのだよ」
私はまた質問した。
「君という言葉は、複数を指すものではないと思います。辞書にもそうあります」
先生が答えた。
「戦前は、君は天皇を指していたが、戦後は、君は国民の事を指すのだよ」
私は言った。
「同じ君が、なぜ戦前と戦後で意味が変わるのです」
先生が表情を変えず言う。
「それは戦後、民主主義国家になったからだよ。だから、そう深く考えなくて、君を国民として置き換えて歌うのだよ。君が代は、国民の代は、という意味なのだよ」

私は先生の論理は、へ理屈であると分かったが、それ以上質問するのを止めた。
今でも、このシーンが記憶されている。

「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔のむすまで」
この歌詞は、和漢朗詠集にある。
和漢朗詠集は、藤原公任撰の歌集とある。1018年頃成立したものと言う。

千年前の歌詞が「君が代」となっている。
明治政府が国歌に採用したのだ。今から150年程前の事である。

一国民の考えに過ぎないが、
主権在民の民主主義国家・日本である。
「君」を「国民」とか「日本」とかに改正する必要がありそうだ。

「我が日本、千代に八千代に――」(これだと字余りになるな)
「我が祖国、千代に八千代に――」(これだと歌えるかな)

「我が祖国日本は、千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで、****」
と置き換えてみたが、やはり無理がある。
これだと、祖国日本が能動的な働きに欠けるようだ。

じっと佇み、千年、万年間、どこかの庭の石となっている。
我が祖国の躍動感が感じられない。

「君」を「国民」に置き換えるだけでは、国歌の体をなさないようだ。
何も千年前の和歌を国歌の歌詞にする必要はなくなっている、と思うのだ。

この記事は、思想とかイデオロギーとかは皆無である。
素朴に、そう感じそう思ったのだ。

http://plaza.rakuten.co.jp/botokkusuman/diary/201201050000/  

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コメント
 
01. 2012年1月09日 10:51:39 : ATmcqOmQdM

http://kknanking.web.infoseek.co.jp/mondai/gyakusatu.html
千代田区の不動産王である将軍様一家のCMソング「君が代」の陰鬱な愚劣さと対極にあるのが、若く明るく未来に繋がる希望の歌がKARAやAKB48の歌うたであるナ。
日の丸などというボロ切れを振り回し、悪酔いしそうな陰鬱君が代をがなるなどという病人が増加している、
狂った時代がクルクルパアを生み出し続けているのだ。

http://esashib.web.infoseek.co.jp/aegis12.htm
カチューシャ 外しながら
君がふいに振り返って
風の中で 微笑むだけで
なぜか何も 言えなくなるよ
こんな 想っているのに…
カチューシャ 外しながら
長い髪をほどくように
いつのまにか大人になって
僕の手には届かないくらい
もっと 好きになるよ
Everyday!
http://www2.tky.3web.ne.jp/~norin/toritsukyosei.html

どーでもいいが、極右マスコミと極右評論家の雅子叩きは最早病気の域だな。
http://www.youtube.com/watch?v=knyILz-Fi3I

1990年・平成二年に帰国した彼女は、外務省北米二課に所属し、半導体の市場開放、外国人弁護士への門戸開放問題などを担当していた。
しかし、やがて強く請われて千代田区に広大な屋敷を構える「神聖」財閥の長男と1993年6月に結婚し2001年の暮に長女を産んだ。
だが、彼女は2003年末以来、精神的なストレス(適応障害)と診断されて長期療養中である。
2007年12月28日午後8時半前、彼女は中央区銀座の3つ星フレンチレストラン「ロオジエ」で、ペットのイヌ「ピッピとまり」の獣医師夫婦と4時間ほど食事をした。
以後の原理右翼・極右マスコミによるこの夫婦に対する凄まじい人格攻撃は世界中に知れ渡った。軍需財閥のPR行事に厳粛さを塗りたくるためには夜のザギンでのフレンチ定食は似合わないというのが攻撃の理由だったらしいが、、。
http://esashib.web.infoseek.co.jp/kenpo05.htm


02. 2012年1月09日 11:15:06 : VakF4nKSH2

日本は天皇制の立憲君主制国家だ。

だから「君が代」の「君」が天皇だったとしても何の問題もない。

日本の事実をうたっているだけのこと。

これに異常にアレルギー反応をするのは、精神がおかしいのではないか?



03. 2012年1月09日 11:54:55 : Jqg9Js4qqY
天皇は国民の総意に基づいて今の地位が確保されている。
総意がなくなれば、廃棄処分だと思う。

民主主義国家において、民衆が物事を決め、民衆の繁栄を願うのが当然だ。
その民衆を差し置いて、天皇だけの繁栄を願う、明治の絶対王政時代に
できた君が代がこの国の国家であることが異常だと思う。

せめて歌詞を替えて「民が代」にするべきだ。


04. 2012年1月09日 12:01:36 : Jqg9Js4qqY
そして、天皇の存続の根拠も怪しい。
国民の総意がその根拠だが、廃止を望む人々も少なからず存在し
そうした場合、総意にはならず、この根拠は喪失する。

その意味で、今の、天皇の存続は憲法違反で違法状態といえる。

この国の誰も責任を取らずの無責任状態は、こうした天皇の制度の弊害では
ないかと思う。
何があっても、全く責任を取らなかった最高権力者が、永遠に免罪され続ける
現状にあっては、それ以下のTOPも大手を振って無責任がまかり通る
無責任極まりない国家の形成となっている。


05. 2012年1月09日 12:15:58 : VakF4nKSH2
>>04
>その意味で、今の、天皇の存続は憲法違反で違法状態といえる。

捏造だね。

今時そんなことを言うのは極左にさえいないだろう。

天皇制は、日本国憲法第1章できちんと規定されている。


06. 2012年1月09日 12:18:45 : VakF4nKSH2
>>03
>天皇は国民の総意に基づいて今の地位が確保されている。
総意がなくなれば、廃棄処分だと思う。

国民の総意で天皇制を廃止すること自体は、可能性としてはあるだろう。
国歌を変えたいのなら、その時に変えればいい。

現在の日本は立憲君主国であって、「君が代」が国歌であることに何の問題もない。



07. 2012年1月09日 12:38:19 : qoVHGfd6sY
反天皇、反君が代、反日の丸主義者は
重要な骨太のテーマであるので
どこかの政党にもぐりこんで
こそこそ主張するのではなく
これを党是として
政党を作り国民の総意にするよう頑張れ
そういう自由は現在の憲法でも保証されている
オレは決して応援はしないが
公務員の服務規程に反する行為は許さないが
これをテーマに主張する政党は
弾圧すべきでないと考える
社民も共産もテーマにしないから
きみらが頑張ればよい

08. 2012年1月09日 13:08:39 : uGHowbcSpR
>エトピリカのささやき<

この名前だけで北教組の一味であることバレバレ

>中学生の頃だった。
>社会科の先生に質問した。
>「先生!君が代の君は、誰のことなのですか?」

こんなバカな中学生など見たことがない。相当バカだったのですね。わからなければ自分でネットなり辞典で調べたら良い

頭の悪い日教組の組員は頭が悪いからすぐに洗脳されて、早速生徒に洗脳を試みる。輿石を最後の一花として今後日教組解体が確実に起きる。だって要らないから

今の小学生中学生は日教組の組員ほど馬鹿じゃないから洗脳される生徒はいませんが・・・・

しかし本当に日教組ってバカ それを支持母体とする民主党はバカの極致


09. 2012年1月09日 13:47:42 : SzSQU0fir2
まず、君が代の「君」は天皇である。
それを、「国民」だとか「日本」を指すとかという欺瞞は恥ずべき姿勢である。

ちなみに、日教組は頭は悪くない。むしろ頭は良い。偏差値秀才が多い。
ただ、悲しいかな精神が歪んでいるだけである。だから、おかしなことを言う。

また、子供達は洗脳などされない。おかしな先生と鼻で笑っているだけだ。

日教組はなくならない。でも、組合員からも、あまり支持されていないようだ。
若手は日教組をあからさまに軽蔑し、生理的にすら受け付けないらしい。
組合幹部は気がついていないフリをしているので、組織率が1%切っても
組合を存続させるだろう。

しかし、「君が代」を捨て去るか、守るかは、われわれ国民の意志による。

これから、どんどんアメリカナイズされていく中で、天皇制を時代遅れと勘違い
する層が増えるのではないだろうか?
「君が代って、暗くてノリが悪い。新国歌をつくろう。」という馬鹿が出ないと
良いのだが。


10. 2012年1月09日 14:06:27 : j8R62Ka8yk
国歌を改正するだなて 馬鹿げている!

あなたの心は歪んでいます


11. 2012年1月09日 14:07:25 : oXjyYrHR4I
「さくら」が国歌に相応しい。
「君が代」は、宮中の式典にのみ使えば良い。

12. 2012年1月09日 15:01:13 : VakF4nKSH2

以上つまり結論としては、日本は立憲君主国であり、「君が代」はそれに合致した国歌となっており、何の問題もない。

そういう結論ですね。



13. パルタ 2012年1月09日 15:28:56 : BeExvDE2jO5d2 : KWEa32Be12
日本 立憲君主国 皇室という政治的な権限を持たない象徴的な家族がいる
この国を動かしているのは無論資本家と官僚である
この二つの支配者はしばしばカネ、利権、予算の問題で対立する
国民的利害なるものは大阪でも東北でもしばしば分裂する
日本に限らず、統合できないものを統合する為にどこでも何かシンボルのようなものを作る事にしている
日本では今の所「日の丸」と「君が代」、「皇室」をシンボルにしている
皇室がない国では大統領職が代わりを務める
取り合えず、昔から慣例でそういう仕来たりになっている

14. 2012年1月09日 15:44:16 : SzSQU0fir2
>>13
貴方の仰る意味で、「首相公選制」は危険ではないでしょうか?
いわば公選首相を大統領とみなせば、公選首相が元首となり、皇室は不要という
ことになりませんか?
どなたか、詳しいかた教えてください。ちょっとした疑問がわいたものですから。

15. 2012年1月09日 16:28:59 : BnPQDnro5g
<変わらぬウタ(君が代)>

かつてこのウタのもとで
東半球に及ぼした 
血と涙と炎の歴史に
フタをしたがる者が
昔と変わらぬ 
このウタを歌わせる

故なく虫ケラのように屠られ
ゴミのように捨てられた
無数の命の墓標に
フタをしたがる者が
昔と変わらぬ
このウタを歌わせる

あたりまえの教訓の
あたりまえの人間の
あたりまえの心の痛みに
フタをしたがる者が
昔と変わらぬ
このウタを歌わせる

近頃居心地よい右傾の城で
同じ仲間と群れ集い
頭でしか知らぬ 不都合な史実のすべてに
フタをしたがる者が
昔と変わらぬ
このウタを歌わせる

その変わらぬウタの国で
ウタより新しい憲法が
どうにも気に食わぬと
しきりに変えたがる者が
昔と変わらぬ
このウタを歌わせる
 


16. 2012年1月09日 16:34:29 : Jqg9Js4qqY
>>05
君はバカだな。
極左なんていまどきいるのかな。
あのナベツネでも戦前は共産党員だぞ、戦後の軟い共産党員より硬派だが
結局は、今は保守本流だろう、そうした輩が今のこの国を牛耳っている。
極左、極右のレッテルなんて意味がないよ。

>天皇制は、日本国憲法第1章できちんと規定されている。

そうだ、規定されているよ、総意とな。でも今は総意ではない、一割以上は
否定している。そうなれば、根底が崩れる訳だから、憲法に違反している
ことには間違いないだろうな。

天皇そのものが違憲で、非合法な組織といえる。


17. 2012年1月09日 17:06:56 : nmELZEwhMI
違憲なんて重大事案なのに

誰も裁判までもっていかない不思議

一割の根拠も脳内妄想だし
ただ喚いて暇潰したいだけだろw


18. 2012年1月09日 18:21:00 : Tu4keNkLmg
敵を殺し旗を地に染めよ、 フランス国歌

ロケット弾が爆発してもまだ我が旗は立っている アメリカ国歌

よりはましか。

ポーランドの真ん中からフランス東部、ここがドイツ ドイツ国歌
ただしこの歌詞はまずいということで今は1,2番を歌わず3番を歌う。


19. 2012年1月09日 18:31:06 : VakF4nKSH2
>>16
>そうだ、規定されているよ、総意とな。でも今は総意ではない、一割以上は
否定している。そうなれば、根底が崩れる訳だから、憲法に違反している
ことには間違いないだろうな。

そこが君の間違いなのだよ。

「総意」とは集団の個々全員の意思だけとは限らない。

『組織または団体の比較多数または一定機関の意思により総意と表現する場合もある』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E6%84%8F

さらに具体的に、

『多数決の進化
二者択一
集団を構成する人員すべてが、二つの案の中から、他方よりふさわしい(もしくは自分に有利に働く)と思う方の案に投票し、最も多くの票を獲得した案をその集団の総意として決定するという方法。』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%95%B0%E6%B1%BA


つまり、国民の過半数の意思を国民の「総意」とみなす場合もある。

翻って、憲法の中では「総意」の定義はない。
したがって、「一割以上は否定している」のが事実だとしても、それをもって憲法違反とは断定できないのだ。

以上から、君の「憲法に違反している」という決めつけは間違っているということになるね。

おわかりかな?



20. 2012年1月09日 18:32:50 : eJcwQUA9aU
日本人は混血児であり、何処の馬の骨かわからない。
ただ、天皇家は継体天皇まで祖先を遡ることができる。
つまり、1500年以上の家系である。

21. 2012年1月09日 18:56:11 : esmsVHFkrM

日本国の国歌として君が代はふさわしくなく、新しい国歌を制定すべきだと考える。新しい国歌としては「ふるさと」を提案する。

以下、理由を述べる。

現憲法下における日本国が立憲君主国であるという主張が見られるが、それは誤りである。

立憲君主国というのは憲法によってその統治権が制限された君主制であるので、その前提として君主国である必要がある。憲法によって制限される対象の君主の主権、統治権が存在する必要がある。その意味で、日本国は君主国ではない。主権は国民に存し、天皇は一切の統治権を保有しない。

まず、主権については、憲法前文ならびに第1条において国民に主権が存することをはっきりと規定している。

天皇そのものについては、日本国憲法第1条において「象徴」と定義されており「主権者」でも「統治者」でもない。また、第4条において天皇は明示的に「国政に関する権能を有しない」者であると規定されている。

憲法上天皇に許された権限は、第6条の任命権と第7条の「国事行為」のみと限定的に列挙されているが、そのうち第7条の「国事行為」は「認証」」、「接受」という形式的・儀礼的行為でしかない。さらに、その第6条で、任命権は「国会の指名」、「内閣の指名」に基づくものとされ、第7条の「国事行為」は「内閣の助言と承認」によるものとされている。しかも、第3条は、天皇の「国事行為」は「内閣の助言と承認を必要」とするとし、その責任を内閣が負うとまで規定して、天皇に一切の政治的決定権がないことを明記している。したがって、天皇の憲法上の権限はまったく形式的、儀礼的なものでしかない。

したがって、憲法上天皇には、主権はおろか、統治権、国政に関する権能すら与えられていない。このようなものは、政治学的に君主ではない。したがって、日本は立憲君主国ではなく民主的共和国である。

それ故、戦後一貫して戦前体制への復帰を画策し実行してきた自民党=官僚利権政府も、この明白な憲法を無視することはできず、「立憲君主制と言っても差し支えないであろう」との内閣法制局の見解に止まり、立憲君主国であると断定できないでいる。

日本が立憲であろうが、専制であろうが、君主国でないことは明らかなので、その国歌が君主の統治の永遠を願う内容であるのはまったくふさわしくない。特にその戦前の君主国がこの歌の理念の下にアジア各国を侵略し、国内においてもこの君主制に反対する多くの日本人を迫害、殺害したのは記憶に新しいところで、この意味からも君が代を国歌として維持するのはまったく正しくない。現にこの国歌を歌いたくないという日本人は多く、国歌斉唱を巡って政治紛争、訴訟まで起こる事態に至っているのは大きな問題である。

民主主義国家においては思想信条の自由が憲法によって保障されているから、国内にさまざまなイデオロギーが存在するのは自然で、その意味で、そのイデオロギーが国家設立の理念であったりして国民のあいだでゆるぎないコンセンサスがある場合(例えばフランス)を除いて民主主義国家の国歌に特定のイデオロギー(例えば君主制)を鼓舞するような歌を選ぶのは間違いである。その場合必ず政治紛争が発生する。日本はまさにこれに該当する。その意味で、あるべき国歌はイデオロギーに中立で、みなが抵抗なく歌える歌であるべきである。

そこで、日本国の新しい国歌として「ふるさと」を提案する。「ふるさと」は、日本人の心象風景を叙情的に歌った歌であり、日本人が共有する自らの民族像を美しく表現している。

以下、「ふるさと」の歌詞を引用する。

兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき ふるさと

如何(いか)にいます 父母
恙(つつが) 無しや友垣(ともがき)
雨に風につけても
思い出ずる ふるさと

志(こころざし)を 果たして
いつの日にか 帰(かえ)らん
山はあおきふるさと
水は清き ふるさと

今、原発事故とその後の放射能汚染によって、美しい日本の国土とその住民である日本人が脅かされているとき、この歌に歌われたふるさととそこに住む人々とそれを思うわたし(ひとりひとりの日本人)の心の切なさに胸がふさがれる思いがする。

だから、私は「ふるさと」を国歌として歌いたい。


22. 2012年1月09日 19:23:39 : Jqg9Js4qqY
>>19

総意とは全ての意見で、それ以上のものでもそれ以下のものでもないだろう、
半数以上を総意とは言わないよ。半数以上は多数決で半数以上と言うよ。
この国において詭弁が一番いけない、全てが詭弁を弄して、全てが責任を
とらない国家が日本だ。その象徴が天皇だと思うな。

こうしたものを如何に克服するか、それがこの国において突きつけられている
根本的な課題だが、だれもそれに触れようともしないし、触れることさえ
ご法度な、北朝鮮同様な国家であることを自覚するべきなのだが、自覚する
ことさえ許されない国家でもあると思うな。


23. 2012年1月09日 19:35:51 : VakF4nKSH2
>>22
>半数以上を総意とは言わないよ。

それはあなたの個人的な解釈だよ。

先に書いた通り、客観的な解釈では「総意」とは集団の個々全員の意思だけとは限らない。

『組織または団体の比較多数または一定機関の意思により総意と表現する場合もある』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E6%84%8F

さらに具体的に、

『多数決の進化
二者択一
集団を構成する人員すべてが、二つの案の中から、他方よりふさわしい(もしくは自分に有利に働く)と思う方の案に投票し、最も多くの票を獲得した案をその集団の総意として決定するという方法。』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%95%B0%E6%B1%BA


つまり、国民の比較多数や過半数の意思を国民の「総意」とみなす場合もあるのだ。

要は「総意」という表現だけでは客観的には曖昧だということ。

そして憲法の中に「総意」の定義がない以上、「一割以上は否定している」のが事実だとしても、それをもって憲法違反とは断定できないのだ。


24. 2012年1月09日 19:37:54 : HTgBeDuGBs
国歌は変えたほうが良い。
威厳があるとかではなくて、重い。

別の行事用とかにでもすれば良いと思う。
もっと適切な、この歌がもっとよい効果を発揮できるようなところに。


25. 2012年1月09日 19:47:13 : 7XRJFph6NA
「君が代」って、古今和歌集に出て来る恋の歌なんじゃないですか?
たまたま、近代に不幸な事件があって「君が世」と天皇陛下万歳をつなげて陥れて日本の1000年来の伝統を失うのは拙速だと思います。

パワーストーンの店で「さざれ石」売ってましたよ。


26. 2012年1月09日 19:49:10 : Jqg9Js4qqY
>>23

>先に書いた通り、客観的な解釈では「総意」とは集団の個々全員の意思だけとは限らない。

これは、逆に言えば、総意とは、個々の全員の意思が必要との解釈も成り立つわけで、私はそちらに組するわけで、矢張り天皇の存続は、憲法から見ても
違反で、こうしたものがいまだかつて存続するところに、この国の民主主義が
芽生えない根源があるような気がする。


27. 2012年1月09日 21:24:00 : oXjyYrHR4I
>20

 幕末から明治にかけて、天皇の顔が3度変わった話しが在る。


28. 2012年1月09日 22:56:52 : uGHowbcSpR
>26 ばかばかしい話

たとえば貴方が決めた歌は私は決して納得しない。1割が不賛成(根拠はないが)であっても9割の賛成は立派

周りに聞いてみな。「君が代が国家じゃいやだ」なんて言う人は100人に1人もいないのが現実

騒いでいるのは1%にも満たない頭が悪く声だけ大きい日教組やその一味の北朝鮮・中国野郎だけ あと在日


29. 2012年1月09日 23:47:28 : CGaB34XTl
>28. 2012年1月09日 22:56:52 : uGHowbcSpR さん
>周りに聞いてみな

本当の事なんか言いたくても言えない人が結構いると思うな。
今の日本じゃ。
言いたい事はいっぱいあるよ。
でもやっぱり言えないよ。
ここにデすら本当の事なんか言えないよ。
まして面と向かって誰かにそんな事言えるわけない。



30. 2012年1月10日 01:15:28 : qPExNJiQAc
民が代は千代に八千代にと歌えば良い
民主主義の世の中が永遠に続きますようにという良い歌になる

31. 2012年1月10日 01:54:16 : Jvj2rCZEHM
【赤木智弘の眼光紙背】国歌は「バールのようなもの」なのか?
10年前までは「国歌を歌う人を叩く輩」といえば、君が代を聞くと頭の中に軍靴の音が響いてしまうような狂信的な左翼と相場が決まっていた。
私は昔からそうした人たちの行動が理解できなかったし、今でも国歌斉唱をあえて邪魔しようとする人たちの考え方が全くわからない。
もっとも、それと同じ理由で、式の邪魔をするでもない人達に対して、国歌斉唱を強制する教育委員会側の理屈も全く理解できないのだが。
ところが今日、国歌を歌う人を叩くのは左翼ではない。ネット上で愛国を自称する人たちである。
大晦日に行われたボクシングのタイトルマッチのリングで、国歌を独唱した歌手がバッシングを受けているという。(*1)
ネット上に動画があったので見てみたが、この君が代に文句があるとすれば、せいぜい「アーティスト気取りが鼻につく」程度。
僕はスポーツはほとんどしないけれども、テレビで見るのは好きなので、様々なイベントで他国の国歌独唱を目にする。
どこの国の歌手の独唱も、だいたいこんな感じで抑揚を付けて歌っており、これを外国人が見たところで何ら不思議に思うことはないだろう。
咳払いで中断しても、ちょっと会場が沸くだけというのが、普通の反応だ。
記事中では「歌い直した」ことが炎上の原因であるように書かれているが、それは後付の理由であると断言してしまっていいだろう。
彼女が叩かれている本当の理由は、つまるところ
「ネット上では、抑揚を付けて国歌を歌ったアーティストは叩いていいと決まっている」から叩かれているに過ぎない。
これまでも抑揚を付けて国歌を独唱したアーティストは、その規模の大小はあれど、
ほとんど例外なく叩かれており、今回の炎上も、そうした「テンプレートに沿った、よくあるバッシングの1つ」だ。
炎上の大きな問題は、炎上させる放火魔の方は、テンプレートに従って反射的に罵倒の文章を「コピー&ペースト」しているだけであり、
自らが放火をしているという意識、下手すると批判の意識すら全くないのに対し、
炎上させられる側は放火魔の悪意を一身に受けてしまうということだ。
ネット上では「よくあるバッシングの1つ」も、バッシングされる当人にとってみれば、
圧倒的な悪意によって心を傷つけられることになる。
そして今回はそこに国歌という「国という権威」がのしかかってくるのだからタチが悪い。
こうした炎上を防ぐためのリスクヘッジとしては「国歌を歌わない」ことに尽きるだろう。
スポーツの会場や学校の式などでは、その場で国歌を歌うのではなく、決まった歌い方で歌ったCDを流し、人々はそれを聞いていればいい。
CDであれば咳払いも、抑揚が付くこともない。聞かされる人は嫌な歌唱法で国歌を聞かされる必要もなく、歌いたくない人も歌わずに済む。
みんながしあわせな解決方法である。
しかし、それで「国歌」といえるだろうか?
歌ってはいけない、歌うことによって叩かれたり蔑まれたりする国歌など、国歌といえるのだろうか?
大きな居酒屋などでお酒を飲んでいると、時折どこかの校歌や応援歌が聞こえてくることがある。
同窓会なのか部活の集まりなのか。みんな酒を飲んでいるから音程もずれていて、歌もバラバラだが、
そこには場としての一体感があり、その宴会の楽しさや、学校やその部活を愛する心が透けて見える。
国歌だって同じことだ。酒の席や何かの拍子に誰もが自由に国歌を口ずさんでいい。
正式な式はもちろん、日常生活の中で口ずさんだり、酒の席で歌われて初めて「国歌が愛されている」と言えよう。
そこにはいくらでも多様な表現方法があり、それを批判する権利など、誰も持っていないはずだ。
しかし「自由に歌われる君が代」を叩く人たちは、そのように内発的に現れる愛国心に対して「不信」の心を持つからこそ、
一定の形式で国歌を歌うことにやたらにこだわる。
つまり「国歌の歌い方が酷い」という批判は、他人の愛国心の有り様にケチを付ける野暮天に過ぎない。
金正日の死去を悲しんでいることを確認するために、民衆に過剰な鳴きマネを強要する北朝鮮の役人と同じメンタリティーである。
このように国歌というものが、愛国心を計る道具として使われるときに、国歌は「歌」ではなく「凶器」と化す。
国歌を振りかざし「ちゃんと歌わないと叩くぞ」と脅しつける。
これでは殺人事件の報道などに出てくる「バールのようなもの」と同じだ。
他人を傷つけるバールのようなものを愛したり、誇りを持ったりする人など、どこの国にもいやしない。
本当に国歌を貶めているのは、他人の国歌をあざ笑う人たちである。
http://blogos.com/article/28535/?axis=g:3
相対主義的絶対主義、という言い回しを思い出した。
確かに愛国の表し方は各国で差異があり、どれが正しいとは言えないだろう。
しかしそれを他人の批判を受け付けない理由付けにする一方で、
他人には自分の意見を押し付けることに躊躇しないのは感心しない。
「国歌は厳粛な場で厳粛な気持ちで歌うものと考えることは間違いですか?」と言い、
相手には価値観の多様性を認めるよう要求しながら
「宴席の小道具に使われない国歌は国歌じゃないってか
(引用者注:赤木氏の意見はこうではない。
厳粛でない国歌も許さされるべきといってるのであって、厳粛であってはならない、とは言っていない)。
ほんと馬鹿としか言いようが無い。」と自分に同意しない者は馬鹿よばわりだ。
これを見て即座にここまで考えが及んだのは、これが欧州のネオ・ファシスト党に特徴的な思考様式だからだ。
「あなたはリベラルだから私の意見を受け入れなさい 
私は右翼だからあなたの意見は容赦無く攻撃(暴力も含んで)します」ってなわけだ。
日本でもいわゆるネット右翼と呼ばれる人達にこの考え方がよく見られる。
自由は擁護しないが自由にはタダ乗りはする考え方にすぎない。
このような人だけが、自由という微妙な問題を抱えてる課題で他人に攻撃的になれるのだ。
どこの国でも同じだ。

■天皇制をどうするか・私の皇室典範改定案
昨日の天皇誕生日、恩義(Oblige347)さんからのブログ連歌への投稿で、図らずも天皇制の今後について考えることになりました。
皇族の減少による皇位継承断絶の可能性、つまり最近の女性宮家創設の議論とも関係してきます。
私の基本的な立場は、天皇家の問題も、なるべく一般の家庭の問題と同じように考えてあげたいということです。
少子化の時代に、家系や家業の継続をどのように考えたらいいかということです。
まず、女性宮家については、結婚時の当事者二人の意思を尊重すべきでしょう。
結婚後に夫と妻と、どちらの姓を名乗るかという問題です。
夫の姓を名乗るのなら、女性皇族の臣籍降嫁で今と同じですが、夫が同意すれば夫が皇族になることにすればよいのです。
この場合、夫は天皇になれないことにしてよいでしょう。
ただしこの夫婦の子は、天皇になる資格を持ちます。
夫が皇族になるのは、皇室会議の承認事項としてもよいかもしれません。
天皇を議長とする皇室会議には、もっと自主的な権限を与えたいものです。
次の天皇になる皇太子は常に決めておかなければならないが、その人選は皇室会議が行うとすればよいではありませんか。
長幼男女の別で法定しても適任でない場合もあるかもしれません。
天皇家のことは、天皇家に任せるのが筋というものです。
そうしておけば、高齢になった天皇が自ら退位して上皇となり、皇位を若い世代に譲ることも可能になります。
今よりもずっと人間的な皇室になるのではないでしょうか。
さらにこれは、天皇制そのものをどうするかを、皇室自らが考え決断する可能性を開きます。
日本の天皇は、神話伝説の時代を含めれば125代の世襲を重ねています。
国家として古い暖簾を誇る上からは、世界にもまれな立派な看板と言っていいでしょう。
しかしこれが国民の間にあいまいな依頼心を醸成し、近代国家の国民としての自覚を育てなかったという意見もあります。
さらに日本を特殊な選民国家だとする偏狭な国粋主義を育てる危険性もなしとしません。
私は個人としては天皇制はあってもいいと思うのですが、もしも天皇制が全くの無用になった、
あるいは存在が有害になったと判断される時代がきたら、
皇室会議の決議をもって天皇制を廃止し、皇族もすべて日本国民になることができる、
そのような可能性を与えてあげたいと私は思います。
皇族だって、ふつうの日本国民になりたいかもしれないのですから。
http://blogos.com/article/27679/


32. 2012年1月10日 04:42:01 : vK2j9F3hvo
なぜ、わざわざ変えるのか?既に君が代は長年に渡り、世界に紹介されている(五輪とかね)。伝統あるものを下手に変えたら、どこの国も不思議がるでしょう。

君が代を辞め、間違っても西洋風マーチなんかにしてはならない。あの、何ともいえない厳粛な旋律こそ、日本を表すに相応しいのです。

天皇制が違憲とかいう人もいるようですが、日本国憲法はGHQが作った押しつけではないですか?天皇制に疑問を持たず、むしろ憲法に疑問を持った方がいいでしょう。


33. 2012年1月10日 05:24:06 : wqzxa59Z1I
kimigayo B'z matsumoto
http://www.youtube.com/watch?v=QXpkfR7z7AU

現代風にこういう風にアレンジしましょうよ。
コレも厳粛です。


34. 2012年1月10日 05:34:25 : 24yRWpIylw
客観的に天皇制は日本の弱点。
つまり、民主主義の徹底の障害ダブルスタンダード。これは当初からのもので、国民主権が中途半端にしか確立しない初めからの設計。しかし、これを支持して止まない勢力が国内にずっとあるのだ。だれだって一度は、君が代の不自然は考えたことがあろう。
明治政府により緊急に仕立て上げられた天皇家には、明治天皇が途中で入れ替わったとか、怪しい所が大きい。こうしたことを、闇金ユダヤが知らないはずはなく、日本支配の大きなセキュリティリスク。
天皇家を中心に日本の既得権益大集団の閨閥が形成されている。日本の大物達はみんなこの閨閥の中にある。
日本の国の意志決定が、戦後一貫して我が国の支配階級に居座り、譲ることがない閨閥集団達の手中にある。
それでも日本を本当に良い方向へ進ませてくれたならばいいが、今は全員が売国奴である。完全に外資の中に繰り入れられている。世界政府樹立の際には自分たちだけが日本人の生き残りになるつもりでいる。
天皇が毎日行うのは、神道の霊的な礼拝行為。これは、日本国民の社会や生活の規律に大きな神道支配の価値体系に影響を及ぼす。
つまり、不徹底民主主義の衣をまとった神道(昔から近い仏教)の価値体系の祭司天皇中心の閨閥国家といえる。この価値体系では救われない国民が実に多い。民主主義とはことなる厳然たる階級制であるからだ。皇室典範という法律が背後を固く支えている。皇族は一国民化を徹底させねばならない。本当の名誉職にしなくてはならない。逆に彼等は自由を剥奪された奴隷であり、生け贄のようにも感じられるが。そういう法体系の中に今の日本もあるのだ。これでは基礎が弱い。
敗戦後70年弱過ぎていこうとしているが、国民は民主主義の恩恵を十分に教授できないのは、ダブルスタンダード。一貫せずに不徹底と言うことは、肝心なところでは全く無力という設計なのだ。この肝心な所は無力の建前を国民に強要させて、得をするのはしてきたのは誰かと言うことだ。現在のダブルスタンダード国家法体系では、天皇閨閥層だけが、得をする仕組みである。弱い民主主義のスタンダード一本が国民に残される。
自由というのは、民主主義とセットのものだ。
日本の中枢には、昔からアメリカが大きな人々が、国民の自由の障害が、場を占めているように思うのだが。こういうことが、ダブルスタンダードの弊害・旧弊なのだ。

35. 2012年1月10日 09:29:29 : VUOUxXb3Yh
昭和天皇は特攻作戦をきいても「よくやった」と脳天気。大西中将は特攻によって天...ffksrakuさん

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1449158039

昭和天皇は特攻作戦をきいても「よくやった」と脳天気。
大西中将は特攻によって天皇が講和を決断してくれるものだと考えていたから、
相当なショックを受けたとのことですが、

良識ある君主ならば
「誠に聞くに忍びない話だ。これ以上臣民に苦難を強いることはできない。
朕が一命を以て降伏する。」
と言ったのではないですか?
大日本帝国のシステム上、航空特攻で死んだ4000人の将兵の命より、昭和天皇1人の命のほうが重いのですか?


そうだよね。
ヒロヒトは、勇敢に戦った将兵に失礼だよな。


112 : 名無しさん@涙目です。(dion軍) : 2011/10/23(日) 10:00:21.32 ID:A2bYon7hP [4/6回発言]
>>101
議会がなんでそこまで国体護持にこだわったのかって言うと
戦前散々天皇を持ちあげといて洗脳教育までした手前、ここでさらりと戦前の天皇像は嘘でしたってなると今度は自分たちの身が危なかったからだよ
政治的判断と言うよりは極めて個人的な判断

135 : 名無しさん@涙目です。(埼玉県) : 2011/10/23(日) 10:07:07.23 ID:FTH7Vpsb0 [1/1回発言]
神風特攻隊ってヒロポン飲ませて麻痺させてたんだっけ

161 : 名無しさん@涙目です。(アラバマ州) : 2011/10/23(日) 10:13:37.51 ID:4vyUQhwT0 [1/1回発言]
まあ戦犯として裁かれるべきだったと思うよ
大将だったんだから


36. 2012年1月10日 10:25:37 : eJcwQUA9aU
君が代はもともと祝い歌であった。
明治になって、国歌として採用した。
国家の首長は天皇であったから、君は明治天皇を指した。
戦後、君は国民を指すことに変えた。
君には親しみの響きがある。
君がため春の野に出で・・・・
君、死にたもうことなかれ・・・・
君は護りの天使

37. 2012年1月10日 12:42:40 : FUviF2HWlS
君が代の君は天皇のこと。

それはともかく、堺屋氏や橋下氏のように新自由主義による日本国家の分裂を企てる勢力が、何故、日本の国家統一のシンボルである日の丸・君が代に執心するのかが不思議でならない。
大阪維新の会が、反日集団であることを偽装するための工作活動なのだろうか?

むしろ、反日主義者による日の丸掲揚、国家斉唱を禁止する条例を制定するべきだ。


38. 2012年1月10日 13:07:55 : XJL2YLIhEs
君。が『あなた』だなんて、愛の歌だなんて。純粋なラブソングが国歌になるもんか。
結婚式や二次会で歌われたら友達やめる。
私は国歌でも国旗でも構わないけど、それはナンだろうと『害がない』からで、慎太郎や橋下みたいな踏み絵はイヤだ。

39. 2012年1月10日 14:17:51 : XJL2YLIhEs
25さん、君が代が国歌に制定される前から天皇はいた。君が代を国歌で無くせ!は天皇を無くせ!になるわけではなく、君が代を国歌でなくしたら自動的に天皇制がな消滅するわけでもない。君が代が単なる和歌の一首じゃなくなってから千年もたってない。近代の不幸なごく一部分で全体を見るな、と言うなら、、君が代を尊ぶことそのものが天皇制の長い歴史のごく一部なので、君が代にこだわらなくてもいいのでは。
天皇陛下は式典で歌うのかな。

40. 2012年1月10日 14:38:22 : yaXVgVYgZM
君がだめならおらが世で良いのでは
我が国の事を君が国などとは言わないし自分の国の国歌なんだから一人称が良い

41. 2012年1月10日 16:20:23 : l2wLeeJmIs
まあ、あり得ないと思うが、
もし、変更すると決まっても
また、有名某氏の作曲とかで
委員会とか文部省とかに機関をつくって
無用なダムのように莫大な税金を使うのがオチ。
本来の問題云々より
結局、天下りや利権企業のための資金源になるだけ。

可能かどうかは別として
「君が代」のできた昔と違って、個人の意見が言えるし、
誰だって歌を作って発表できる時代なんだから
本当に問題だと思えば
こういう問題こそ、
頭や理論で考えないで
「代案」の歌を個人がそれぞれに実際に創作して
ユーチューブにアップするとかして
国民的意見を草の根から発しても良いのでは?


42. 2012年1月10日 16:27:44 : l2wLeeJmIs
41の続き

要するに
何でもかんでもお上なんかに任せず
自分たちでやった方が良いという事。

そうすれば官僚や公務員だっていらないよ。


43. 2012年1月10日 18:53:50 : Jqg9Js4qqY
>>34

こうした意見も、正々堂々と述べられない、この国の戦後の体制が致命的では
ないかと思う。

結局は菊のベールがこの国を衰退させる。
戦後の、活気は米国によるのもで、そうした効果が薄れてきた現在において
最も危険な状態ではないかと思う。
政治にしても、メディアにしても、司法にしても、官僚にしても、そして
経済団体にしても、自浄の作用の減退が著しい。


44. 2012年1月10日 22:52:54 : XJL2YLIhEs
おらが世、いいですね。少し前に○○弁で読む憲法、の本が数種類発行されたような覚えがありますが、抑揚、で言うなら、京都弁のイントネーションで歌う君が代、とかどうでしょう。千年の歴史だ伝統だ言うならなおさら、京都もしくは奈良方言。そういえば京都弁で読む源氏物語、なんてのも昔聞いたことがあります。私は高校の古典の先生が京都の方で。平安時代と今の京都弁は違うでしょうし紫式部や天皇さんと庶民の京都弁は違うでしょうけど。

式典を邪魔するったって、黙って座ってんなら控えめでいいじゃん、とか思うんですが。式典は生徒のためのもので、そいつら『反日(笑)教師』の主張のための場所じゃないって意見もありますけど、自分が生徒だった頃を思い出してみれば、全員起立の上そろって歌うかどうかより、くだらない祝辞が短いことと、式典全体が早く終わることのほうが重要でしたが。全員そろって君が代歌えて嬉しかったなんて、生徒が思いますかね。下っ端教師に対する管理能力をひけらかしたい校長のための式でもないはずなんですが。


45. 一隅より 2012年1月10日 23:36:13 : PnbUj1IYwR18o : ErQdBkXZLA
万葉集のオリジナルでは、「君」とは「つま」(夫、妻、恋人)だったのは事実。
明治以来それが、天皇を指すことになったのも歴史的事実。
少しも悪いことではない。

戦後、象徴天皇の下でも、国民統合のシンボルとしての天皇を敬って「君」が代を歌い続けるのも悪いことではない。
象徴天皇制などまやかしだとして君が代廃止、ひいては天皇制廃止を主張するのも、それはそれで間違ってはいない。
各々立場の違いにしたがって、自ら好むところを主張しているだけなのだから。
まさに、各々自由にできるところがいいところだ。

ただ、それが嫌いな者に無理強いするのはいただけない。
ましてや、子どもたちには押し付けないほうがいいと思う。
(ただし公務員や公立校教員自身には強制してよい。教員に「子供たちへ強制するよう」強制してよいという意味ではない。)

それと、現代日本が「立憲君主制」というのは、事実としてどうもね。


いちばんゆるせないのは、「君」とは「つま」か天皇か、どちらかでしかありえないのに、それを「国民」だというごまかしだ。

「君=天皇」は千代に八千代に、というのがケシカランというなら、堂々と君が代反対、天皇制反対をいえばよいだけのことなのに。
何にせよゴマカシはいけない。


私は、君が代の歌詞は、いいと思っています。
それが天皇を指すのでも、やさしい感じだし、「つま」を意味するなら、美しくもある。
(国民を意味するなんてことはない。それでは支離滅裂だ。)

ただあの雅楽みたいなメロディー(とリズム)だけはどうもいただけません。
ノリが悪いし、いっしょに歌えない。ほとんどどんな場面にも似合わない。

「君が代」は大事にとっておいて、誰か別の国歌をつくってほしい。
「君が代」はそれに似合う場面(たとえば大相撲とか)だけで、国民皆で、大切に歌い継いでいけばよい。


46. 2012年1月11日 03:59:23 : Vk1vbUsrog
【文藝春秋 昭和34年(1959)8月号】
石原慎太郎 「天皇が国家の象徴などという言い分は、もう半世紀すれば、彼が現人神だという言い分と同じ程度笑止千万で理の通らぬたわごとだということになる、というより問題にもされなくなる、と僕は信じる。」

【1999年3月13日 毎日新聞東京朝刊3頁】 
石原慎太郎 「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌やあいいんだよ。」


47. 2012年1月11日 04:11:55 : dv1PHh8yUs
日の丸はもともと蝦夷のシンボルだよ。室町時代の絵師、土佐光信の「巣伏の戦い」にちゃんと描かれている。
蝦夷は日本の先住民なので、日の丸=日本のシンボルで合っているのでは。

48. 2012年1月11日 09:15:39 : CGaB34XTl
>36. 2012年1月10日 10:25:37 : eJcwQUA9aU さん
>戦後、君は国民を指すことに変えた。
>君、死にたもうことなかれ・・・・

えっぇー!
この”君”って国民を指してるの?
始めて聞いたー!
この”君”は与謝野晶子が弟を指して言ってると思ってたけど、違うの?


49. 2012年1月11日 18:04:34 : XJL2YLIhEs
47さん。
蝦夷のシンボル?知りませんでした。楽しいですね。間違ってたらごめんなさい。蝦夷や熊襲にとって、奈良の朝廷って、不倶戴天の敵じゃないですか?ここで逢ったが千年目。その旗を崇める事が奈良の子孫を崇めることのように思う人たち。

48さん
あくまで私の印象です、というかこれを機会に考えてみたんですが、多分、君とは、基本的には弟さんだと思います。が、晶子の弟さんと同じ目に会う国民、姉の晶子と同じ思いをしている国民が、日本中に大勢いたことを考えれば、君とは国民ととらえられなくはないのではないでしょうか。だからこそ『弟』『君』であり、タケシだったりクニオだったりの個人名ではないのでは。晶子は実の弟を通して、日本中あるいは世界中の『君』に『死ぬな!!』と呼びかけたのでは。


50. 2012年1月14日 00:36:00 : 8jEvPYN6QQ
天皇の存在が憲法違反?。日本人の発言とは、とても思えないな。鼻で笑っちゃうんだけど・・・。君が天皇でも、全然、問題無いね。

51. 2012年1月14日 13:58:09 : SzSQU0fir2
>>37さま。
新自由主義者が国歌、国旗に拘るのは自然なことだとおもいます。
彼らは決してアナキズムではない。国家・政府を否定しているわけでもない。
ただ、市場を絶対視することで、政府のお節介を拒否している。

かのフリードマン先生は、「国の仕事は軍と警察以外すべて市場に任すべきだ」と仰られています。

少子高齢化が進む日本では、経済が縮小する可能性があります。そのため、どこかで移民を大量に入れる時代が来るでしょう。

彼らを日本に定着させ、新しい日本人としての認識を持たせるためには、どうしても、国のシンボルが必要になります。そのための国家であり国旗でもあります。

シンボルを受け入れ、天皇制を受け入れることを条件に移民を受け入れる。

新自由主義と国旗・国歌は対立しません。それぞれ別な概念です。


52. 2012年1月14日 21:21:40 : 8jEvPYN6QQ
天皇制が憲法違反?、違法?。じゃ、天皇制に合わせて憲法と法律を変えるしかねぇな。

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