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昨年の大晦日、NHKBSで「なでしこジャパン」のワールドカップ戦を観ていた。
あの感動をもう一度。
予選から決勝戦まで、7試合だったか。
試合の始めに両国の国歌が流れる。国旗も映る。
7回日本の国歌「君が代」を聞いた。そして、心の中で歌っていた。
その度に、最初の出だしで、口ごもる。
『君〜が〜代〜は』
ここのところである。
中学生の頃だった。
社会科の先生に質問した。
「先生!君が代の君は、誰のことなのですか?」
先生は、一瞬、躊躇し答えた。
「君とは、国民の皆の事を指しているのだよ」
私はまた質問した。
「君という言葉は、複数を指すものではないと思います。辞書にもそうあります」
先生が答えた。
「戦前は、君は天皇を指していたが、戦後は、君は国民の事を指すのだよ」
私は言った。
「同じ君が、なぜ戦前と戦後で意味が変わるのです」
先生が表情を変えず言う。
「それは戦後、民主主義国家になったからだよ。だから、そう深く考えなくて、君を国民として置き換えて歌うのだよ。君が代は、国民の代は、という意味なのだよ」
私は先生の論理は、へ理屈であると分かったが、それ以上質問するのを止めた。
今でも、このシーンが記憶されている。
「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔のむすまで」
この歌詞は、和漢朗詠集にある。
和漢朗詠集は、藤原公任撰の歌集とある。1018年頃成立したものと言う。
千年前の歌詞が「君が代」となっている。
明治政府が国歌に採用したのだ。今から150年程前の事である。
一国民の考えに過ぎないが、
主権在民の民主主義国家・日本である。
「君」を「国民」とか「日本」とかに改正する必要がありそうだ。
「我が日本、千代に八千代に――」(これだと字余りになるな)
「我が祖国、千代に八千代に――」(これだと歌えるかな)
「我が祖国日本は、千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで、****」
と置き換えてみたが、やはり無理がある。
これだと、祖国日本が能動的な働きに欠けるようだ。
じっと佇み、千年、万年間、どこかの庭の石となっている。
我が祖国の躍動感が感じられない。
「君」を「国民」に置き換えるだけでは、国歌の体をなさないようだ。
何も千年前の和歌を国歌の歌詞にする必要はなくなっている、と思うのだ。
この記事は、思想とかイデオロギーとかは皆無である。
素朴に、そう感じそう思ったのだ。
http://plaza.rakuten.co.jp/botokkusuman/diary/201201050000/
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