49. 2012年1月07日 18:53:45
: esmsVHFkrM
>>47、まず、永井和京大教授の「日本軍の慰安所政策について」(http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html#ftn23)を読んでくれたことに感謝する。どうだ? ちゃんと読めば、永井教授が、当時の日本政府公文書等に基づいて、慰安所を設置するに当たって陸軍、各地警察、内務省、外務省が関与したこと、慰安所の管理は軍が直接間接行ったこと、さらに、「一方において慰安婦の募集と渡航を容認しながら、軍すなわち国家と慰安所の関係についてはそれを隠蔽することを業者に義務づけた。この公認と隠蔽のダブル・スタンダードが警保局の方針であり、日本政府の方針であった。なぜなら、自らが「醜業」と呼んではばからないことがらに軍=国家が直接手を染めるのは、いかに軍事上の必要からとはいえ、軍=国家の体面にかかわる「恥ずかしい」ことであり、大っぴらにできないことだったからだ」という日本政府による隠蔽をも論証したことを目の当たりにして圧倒されたことと思う。 それで反論がそれか。がっかりだぞ。 よく言って読解力がないから全体の文意が理解できず、細部を拾ってそれで都合の良い主張をしている。悪く言えば、それを知りながら確信犯的に別の主張をしている。どちらかだ。 それを論ずる前に、煩瑣だが関連部分全文を示そう(必要ないので中は除く)。こうすればごまかしがきかない。 【以下引用】 次に、和歌山田辺の事件とは異なり、誘拐容疑で警察に検挙されることはなかったが、群馬、茨城、山形で積極的な募集活動を展開し、そのため警察から「皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚タシキモノアリ」と目された神戸市の貸座敷業者大内の活動を紹介する。前記副官通牒にも出てくる「故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ」とおぼしき実例は、以下のようなものだったのである。 群馬県警が得た情報によると、大内は1938年1月5日前橋市内の周旋業者に次のような話をもちかけ、慰安所で働く酌婦の募集を依頼した(前掲史料2「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月19日付))。 1 出征すでに数ヶ月に及び、戦闘も一段落ついて駐屯の体制となった。そのため将兵が中国人売春婦と遊ぶことが多くなり、性病が蔓延しつつある。 2 「軍医務局デハ戦争ヨリ寧ロ此ノ花柳病ノ方ガ恐シイト云フ様ナ情況デ其処ニ此ノ施設問題ガ起ツタ」。 3 「在上海特務機関ガ吾々業者ニ依頼スル処トナリ同僚」の目下上海で貸座敷業を営む神戸市の中野を通して「約三千名ノ酌婦ヲ募集シテ送ルコトトナッタ」。 4 「既ニ本問題ハ昨年十二月中旬ヨリ実行ニ移リ目下二、三百名ハ稼業中デアリ兵庫県ヤ関西方面デハ県当局モ諒解シテ応援シテイル」 5 「営業ハ吾々業者ガ出張シテヤルノデ軍ガ直接ヤルノデハナイガ最初ニ別紙壱花券(兵士用二円将校用五円)ヲ軍隊ニ営業者側カラ納メテ置キ之ヲ使用シタ場合吾々業者ニ各将兵ガ渡スコトヽシ之レヲ取纏テ軍経理部カラ其ノ使用料金ヲ受取ル仕組トナツテイテ直接将兵ヨリ現金ヲ取ルノデハナイ軍ハ軍トシテ慰安費様ノモノカラ其ノ費用支出スルモノラシイ」 6 「本月二六日ニハ第二回ノ酌婦ヲ軍用船デ(神戸発)送ル心算デ目下募集中テアル」 また前掲史料3「北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月25日付)によれば、 7 大内は、山形県最上郡新庄町の芸娼妓酌婦紹介業者のもとに現れ、「今般北支派遣軍〔上海派遣軍のまちがいであろう−永井〕ニ於テ将兵慰問ノ為全国ヨリ二千五百名ノ酌婦ヲ募集スルコトヽナリタル趣ヲ以テ五百名ノ募集方依頼越下リ該酌婦ハ年齢十六才ヨリ三十才迄前借ハ五百円ヨリ千円迄稼業年限二ヶ年之ガ紹介手数料ハ前借金ノ一割ヲ軍部ニ於テ支給スルモノナリ」と述べ、勧誘した。 さらに、前掲史料6「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(1938年2月14日付)からは、 8 大内は茨城県出身であり、1938年1月4日頃遠縁にあたる茨城県在住の人物に上海派遣軍酌婦募集のことを話して協力を求め、その人物を通じて県下の周旋業者に斡旋を依頼した。 9 その業者の仲介で、大内は水戸市の料理店で稼業中の酌婦2名(24才と25才)とそれぞれ前借金642円、691円にて契約を結び、上海に送るため1月19日神戸に向けて出発した。 ことがわかる。 上記1から6のうち、次の諸点については、他の史料とも符合し、大内の語ったことはおおむね事実に即していたと解される。 まず、3の「在上海特務機関」とは、最初に紹介した上海総領事館警察署長の依頼状にある「陸軍武官室」にほかならぬ。また、大内に「在上海特務機関」の慰安婦募集の件を伝えたとされる神戸の中野は、和歌山の婦女誘拐容疑事件や前記内務省メモに出てくる中野と同一人物であると考えてまちがいない。また、「酌婦三千人募集計画」の話は田辺事件の被疑者の供述にも出てくる(ただし、山形県警の報告では「二千五百人計画」に縮小している)。 これらのことから、軍の依頼を受けた中野が知り合いの売春業者や周旋人に軍の「酌婦三千人募集計画」を打ち明け、協力を仰いだとの大内の言には十分信がおける。また、4の「既ニ本問題ハ昨年十二月中旬ヨリ実行ニ移リ」や「兵庫県ヤ関西方面デハ県当局モ諒解シテ応援シテイル」との話も、既に紹介した諸史料に照らし合わせて、間違いのない事実とみなせよう。逆に大内の言葉から、なぜ神戸の中野が上海の特務機関と総領事館から依頼されたのか、その疑問が氷解する。中野は神戸で貸席業を営むほか、上海にも進出していたのである。 警察報告にあらわれた大内の言動のうち、少なくとも3、4は事実に即しており、誇張や虚偽は、かりに含まれていても、わずかだと思われる。ならば、彼が語ったとされる慰安所の経営方針(上記5)も、根も葉もない作り話として一笑に付するわけにはいかない。少なくとも、大内は中野からそれを軍の方針として聞かされたことは、まずまちがいない事実であろう。 大内が勧誘にあたって提示した一件書類(趣意書、契約書、承諾書、借用証書、契約条件、慰安所で使用される花券の見本) のうち、「陸軍慰安所ニ於テ酌婦稼業(娼妓同様)ヲ為スコトヲ承諾」する旨を記し、慰安所で働く女性とその戸主または親権者が署名・捺印する「承諾書」の様式が、上海総領事館の定めた「承諾書」のそれとまったく同一であること、派遣軍慰安所と記された「花券」(額面5円と2円の2種類−田辺事件の金澤は「上海ニ於テハ情交金将校五円、下士二円」と供述していた−)を所持していたことが、それを裏づける決め手となろう。 5で述べられているのが慰安所の経営方針だとすると、慰安所は軍が各兵站に設置する将兵向けの性欲処理施設ではあるが、日常的な経営・運営は業者に委託されることになっていた。しかし、利用料金の支払いは、個々の利用者が直接現金で行うのではなくて、軍の経費(=慰安費)からまかなわれる仕組みだったことになる。これがほんとうならば、軍の当初の計画では、将兵に無料で買春券を交付する予定だったことになる。このシステムでは、慰安婦の性を買うのは、個々の将兵ではなくて、軍=国家そのものである。もちろん、軍=国家の体面を考慮してのことであろうが、実際の慰安所ではこのような支払い方法は採用されなかった。だから、これをもって軍の当初の計画だったとただちに断定するのは控えねばならないだろうが、しかし、かえってこの計画にこそ、慰安所なるものの本質がよくあらわれていると言うべきであろう。 最後に、大内が勧誘にあたって周旋業者や応募した女性に提示した契約条件を紹介しておこう。 条 件 一、契約年限 満二ヶ年 一、前借金 五百円ヨリ千円迄 但シ、前借金ノ内二割ヲ控除シ、身付金及乗込費ニ充当ス 一、年齢 満十六才ヨリ三十才迄 一、身体壮健ニシテ親権者ノ承諾ヲ要ス。但シ養女籍ニ在ル者ハ実家ノ承諾ナキモ差支ナシ 一、前借金返済方法ハ年限完了ト同時ニ消滅ス 即チ年期中仮令病気休養スルトモ年期満了ト同時前借金ハ完済ス 一、利息ハ年期中ナシ。途中廃棄ノ場合ハ残金ニ対シ月壱歩 一、違約金ハ一ヶ年内前借金ノ一割 一、年期途中廃棄ノ場合ハ日割計算トス 一、年期満了帰国ノ際ハ、帰還旅費ハ抱主負担トス 一、精算ハ稼高ノ一割ヲ本人所得トシ毎月支給ス 一、年期無事満了ノ場合ハ本人稼高ニ応ジ、応分ノ慰労金ヲ支給ス 一、衣類、寝具食料入浴料医薬費ハ抱主負担トス このような条件でなされる娼妓稼業契約は「身売り」とよばれ、これが人身売買として認定されておれば、大内の行為は「帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買」するものにほかならず、刑法第226条の人身売買罪に該当する。しかし、当時の法解釈では、このような条件での娼妓契約は「公序良俗」に違反する民法上無効な契約とはされても、少なくとも日本帝国内にとどまるかぎりは、刑法上の犯罪を構成する「人身売買」とはみなされなかった。 この契約を結べば、前借金(借金額は500円から1000円だが、そのうち2割は周旋業者や抱主が差し引くので、実際の手取りは400円から800円までである)を受け取る代わりに、向こう2年間陸軍慰安所で売春に従事しなければならない。衣類、寝具、食料、医薬費は抱主の負担とされているが、給与は毎月稼高の1割だから、かりに毎日兵士5人の相手をしたとして(日本国内の娼婦稼業の平均人数)、実働25日としても、月25円にしかならぬ。50円を稼ごうとすれば、毎日10人の兵士を相手にしないといけない。しかも契約書では、所得の半分は強制的に貯金することになっている。いっぽう抱主は1人の慰安婦の稼ぎから平均月225円の収入を得ることができ(1日5人の兵士を相手にするとして)、2年間では総額5400円にのぼるのである。 問題なのは年齢条項である。16才から30才という条件は、「18歳未満は娼妓たることを得ず」と定めた娼妓取締規則に完全に違反し、満17才未満の娼妓稼業を禁じた朝鮮や台湾の「貸座敷娼妓取締規則」にも抵触する。さらに、満21才未満の女性に売春をさせることを禁じた「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」(1925年批准)ともまったく相容れない。大内の活動は明らかに違法な募集活動と言わざるをえない。その点は警察もよく認識していたと見え、群馬県警が入手し、内務省に送付した上記契約条件の年齢条項には、警察側がつけたと思われる傍線が付されている。この契約条件が、上海での軍・総領事館協議において承認されたものなのかどうか、そこが議論のポイントの一つとなろう。私見では、この契約条件がまったく大内の独断で作成されたとはとても思えない。何らかの形で軍ないし総領事館との間で契約条件について協議がなされていたと思われる。たとえそれが契約条件は業者に任せるとの諒解だったとしても、である。 しかし誤解を恐れずに言うと、この年齢条件をのぞけば、趣意書の文面といい、契約条件の内容といい、公娼制度の現実を前提に、さらに陸軍慰安所が実在し、軍と総領事館がこれを公認しているとの条件のもとでは、就業地が国外である点を除くと、この大内の活動は当時の感覚からはとりたてて「違法」あるいは「非道」とは言い難い。まして、これを「強制連行」や「強制徴集」とみなすのはかなりの無理がある。警察は要注意人物として大内に監視の目を光らせ、彼の勧誘を受けた周旋業者に説諭して、慰安婦の募集を断念させたが(山形県の例)、しかし和歌山のように婦女誘拐容疑で検挙することはしなかった。 ただし、念のために言っておくが、自由主義史観派の言うように、慰安所が軍と関係のない民間業者の売春施設であるならば、田辺事件の例と同様、この大内の募集活動も、軍の名を騙って、女性に売春を勧誘するものであるから、婦女誘拐ないし国外移送拐取の容疑濃厚であり、警察としては放置すべきではなかったことになる。 【引用終】 以上の部分は、さらに、各県警が不審に思って中央に報告するほど、このような軍の名前を出した慰安婦募集周旋が横行したために、軍はたまりかねて例の有名な陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付)を出して、慰安婦の募集周旋において業者が軍との関係を公言ないし宣伝することを禁じたことを論証する全体の論文の主張の一部をなしている。 慰安所の設定、慰安婦の募集において軍が関与し、それ故に女衒が軍の名前を出しながら慰安婦の募集を行ったこと、それが群馬県警の目に留まり「「皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚タシキモノアリ」と中央へ報告されたことが一目瞭然だ。即ち、群馬県警に、軍を騙って「皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚タシキモノアリ」と誤解させるような軍の関与による慰安婦募集が実際にあったということだ。水も漏らさぬ論証だ。その推論の精緻さと公平さに注目願いたい。本来議論はこのようなレベルで行われるべきものだ。 さて、47氏は、上記部分が慰安所の設置、慰安婦の募集について軍の関与を証明する部分であるにもかかわらず、それは無視して、「精算ハ稼高ノ一割ヲ本人所得トシ毎月支給ス」の部分を捉えて、「性奴隷で無料で働かせられていたら「揚高ノ一割」は存在しない」と主張される。不可解だ。 そもそも、誰が無料で働かされていたと主張しているのか。私を含め、従軍慰安婦問題を憂うものは、従軍慰安婦はすべて無料の労働であったなどと主張していない。例のインドネシアのオランダ人女性の例(白馬事件)のような無料労働のものもあれば、対価が支払われたケースもあるだろう。問題はたとえ対価が支払われようが、その募集、待遇、行動の自由、虐待の有無等において不法なケースが存在するかどうかだ。 このように、従軍慰安婦問題をできるだけ狭義に解釈してそれにあたらないから従軍慰安婦問題は存在しないというのは従軍慰安婦問題捏造論者の常套手段だが、そんな主張に意味がないことをいい加減に認識してほしい。「タダでやるのが強姦だが金を置いてきたから強姦に当たらない」というのは、勝手な言い分で卑怯だ。 さらに言えば、この例は日本国内で群馬県だ。群馬県で日本人を慰安婦に募集するときがこれだったというだけで、永井論文前全文読めばわかるように、同時期に朝鮮においても同様の慰安婦募集が開始されていたから、そっちがどういう条件だったかはまったく不明だ。当時の朝鮮人蔑視(残念ながらこの阿修羅を見る限り今でもそうで、47氏はそのコメにおいて読むに耐えないことを書いているが)から考えて、その条件がこれより良かったとはとても思えない。したがって、これをもってすべての慰安婦のケース(国、地域を問わず)この「稼高ノ一割」であったと判断できないのも明らかだ。 というわけだ。 47氏においては、永井論文を読んだ上で、反論がこの「稼高ノ一割」だけだったことから、慰安所の設定管理において軍=日本政府の関与があったことについては異論がないものと理解する。 47氏のコメの後半部分については、もう何も言わない。ただただ日本人として恥ずかしいだけだ。 このコメのやり取りをする中で、従軍慰安婦捏造論者がどのような種類の人々であるかがどんどん明らかになっていくのは非常に喜ばしい。まことに従軍慰安婦問題はそれを論じる人間の質を現すからだ。 本当に勇気があり善良な日本人は決して過去の悪行を偽ろうとはしない。そんなことは恥の上塗りだ。悪だと呼ばれても(仕方がない、やったことはやったことだ)卑怯者とは呼ばれたくない。
|