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社会の閉塞状況の中で大切なことはよく考えること、よく自分の考えを考え直してみることです。マルクスは今まで正しかったのか、今もこれからも正しいのか。
マルクス主義は、日本にとても関係が深いのです。今の政治の混迷を考えるのに、根本の問題を考える必要があります。中国や北朝鮮、そして東アジアや世界の人々と、今もこれからも、隣国として人間同胞として、共存共栄を図るために、共通の政治的課題を考え直してみましょう。
まずは東アジア共同体として平等互恵の関係を築くために、アジア・東洋の心をよりどころとして、今こそ西洋的限界の頂点であるマルクス主義を克服する必要があります。経済優先だけでは限界があると思うからです。
ロシアを含む欧州では、マルクス主義の限界を現実的に、社会改良的・福祉国家的に乗り越えてきました。しかし、どうも東アジアでは、マルクス主義の理解が不十分なために、また西洋思想の行きづまりの根源が理解されていないために、現実を思想(知識・イデオロギー)に合わせようとする歪んだ姿をとっているようです。
19世紀欧米の資本主義発展や革命時代の思想を、われわれの宇宙船地球号が成長・発展の限界を自覚した時代にも適用できる、と考えること自体が、時代錯誤的なのです。マルクス主義は、人類の歴史に大きな影響を与え、現在もその惰性は続いています。しかし、東アジア人民は、欧米のの生産・労働・発展・利己主義・自由放任の無責任な楽観主義から決別する時代にきています。
「もうゴマカシはうんざり、本当のことを探す★阿修羅♪」さん こんな場所を提供してくれてありがとう。Kakasiは案山子の鹿驚。カッカしないで考えましょう。
さて(前置きが長くなってすみません。漢字が多いのもご容赦。次も前フリ)、マルクス主義の重要性を理解するのに、共産党の指導者による分かりやすい公開講義を学ばない手はありません。今回新しく志位委員長の第9回綱領教室「民主主義革命と民主連合政府(1)」(12/20)が公開されました。内容は以下の動画で聴講して下さい。
引用→http://www.jcp.or.jp/kk_kyousitu/#fragment-2
この講義での「発達した資本主義国での民主主義革命」という発想は、マルクス主義を創造的に発展させるものとして評価できます。志位さんは「世界の運動の『常識』を覆す先駆的路線、日本の半世紀の政治史で生命力が検証された」として自慢しておられます。この考え方で、かつての社会党の「社会主義革命一本槍」が批判され、「国民多数の意志にもとづく段階的発展」が推奨されます。
この一連の講義は、志位さんの人柄とも合わせて、共産党の活動方針に安心感を与えてくれます。後半のリンカーンとマルクスの話も信頼感を与え留には効果的です。でも現実にこのように楽天的に事態を捉えていいのでしょうか。彼らの構想が単純に、多数派として拡大していくのでしょうか。Kakasiは、マルクス主義の欠陥を放棄し、修復しない限り、空想的(理想的)共産主義・科学的社会主義に未来はないと考えます。
では何が問題か、ということになるとやはりマルクス主義と民主主義をどう理解し結びつけるかということになります。アメリカ流の自由と強者支配に依存する日米安保条約の廃棄は、世界と東洋平和のための必要条件なので、志位さんの主張のように正しいでしょう。まずは現在の平和憲法を自主・独立・国際主義の方向で実現することが必要です。
しかし、マルクス主義的に民主主義を実現することは、理論的に致命的な欠陥があります。それは今まで指摘してきたように、商品市場の契約関係を「等価交換」と見なしてきたことによります。これは「生産手段の社会化」を、民主主義的に目指しても、人間関係の不等価な利害の調整を、マルクス主義は前提としていないからです。そこでは多数決の原理や偽善・欺瞞は通用しますが、公正や正義の原理、共同体的なつながり、社会的自覚や責任という道徳的な判断は排除されます。
綱領では、マルクス主義という言葉はありませんが、「科学的社会主義」がマルクス主義を示していることは明らかです。「科学的」という言葉が科学的でなければ、社会主義・共産主義という言葉は偽善と欺瞞に陥ることになります。日本共産党が、高い政治的、理論的な力量をもつだけに、民主主義を先導することの危険性が高まります。労働組合の指導者の多くが、既得権に安住しようとするために、共産党のやさしい言葉に危険性を感じるのも、「似非科学」の影を見抜いているからなのです。
一つの結論としては、マルクス主義的民主主義革命では、今日的な資本主義的課題を解決できないということです。21世紀的な民主主義は、階級的利害や要求実現のみに偏った民主主義ではなく、市場における諸個人、諸階級や経済的諸団体の利害を超え、国際や国家・自治体の福祉と人権(human rights)を実現する民主主義、すなわち市民(市場)社会の不等価性(差別性、搾取性)を見抜き、自己の利害や要求を自制することのできる、自治的、共生的、互助的、道徳的民主主義です。
具体的には、今日でも世界的に認められようとしている社会的責任(SR: Social Responsibility)論を、政治機構、企業、労働組合、政党その他の諸団体・組織・個人で実現すること、すなわち政治・経済・文化の各領域で「道徳的社会主義」を確立していくことです。
これは資本主義社会においては、公正や正義に反する強者支配の強権的・詐欺的営利活動を否定するものになります。正当な資本投資による企業経営は必要ですが、社会的責任を放棄した利己的・利益独占的経営は、排除されるという社会貢献的・良識的な市場の交換契約を一般化するということです。今日の社会においては、「国際標準化機構/社会的責任作業部会(ISO/SR)」のISO2600が示すような基準を一例として、さらに社会正義や公正が実現するような哲学と道徳を加え強化した、「新たな社会契約」を必要としています。
ISO/SRは、現状維持的基準(現行法の尊重、国内委員参照)であり、国民の主体的な参加による民主主義や社会正義の拡充には不十分です。しかし、社会的責任(参加)の意識が民主的に定着できれば、資本主義の腐敗(利己・貪欲、低俗メディア)や堕落した政治(現在の日本の政治!)の変革に大きな役割を果たすでしょう。要求依存的(おまかせ)民主主義にならないために、社会的責任や正義・公正を実現する社会契約の新しい考え方が必要なのです。以下参考までに・・・・。
ISO/SR国内委員会→http://iso26000.jsa.or.jp/contents/
ISO/SR宣伝ビデオ→ http://www.youtube.com/watch?v=D4I_Ocie19Q&annotation_id=annotation_862854&f
まだ続きます。次回は「生産手段の社会化と社会契約」について考えてみます。最後までお読みいたきありがとうございました。前回までは<BW32mpuE76J86> を検索してください。よいお年を。
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