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NHK「証言ドキュメント 永田町 権力の漂流」で、小沢一郎という稀有な政治家像がよーく見えた!
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2011年12月27日 日々坦々
NHKスペシャルで「証言ドキュメント 永田町 権力の漂流」が25日クリスマスの夜に放映された。
これをビデオで見た。
このシリーズでは、2年前の政権交代された年、2009年11月に三夜連続で第1回〜3回が放映されている。
「証言ドキュメント永田町・権力の興亡」として、
11月1日、第1回1993〜1995「“政権交代”誕生と崩壊の舞台裏」
11月2日、第2回1996〜2000「漂流5年 “数”をめぐる攻防」
11月3日、第3回2001〜2009「小泉そして小沢 ”民意”をめぐる攻防」
がそれぞれ放映されている。
今回は第二弾ということか?
当事者である政治家の証言を基に、ある程度、客観的に構成しようという意図も見られるものの、何といっても平成の23年間、日本の政治のど真ん中に常にいて、影響を及ぼし続けている小沢一郎という稀有な政治家に自然とスポットライトが浴びる。
番組の評価としては、アンチ小沢の人たちは「この番組は小沢マンセー番組だ」と小沢さんを持ち上げすぎると批判している。
また、小沢支持者にとっては、やはり、大小問わず全てのメディアからキャラクターアサシネーション(人格抹殺)を受けてきた、その延長線上にある番組なのではないのか、との疑心暗鬼もあって批判的意見も多く、結局、両方から攻撃されているようなのだ。
事実だけを積み上げて、評論することなく報じることがいかに難しいかと、作り手側の立場に立って考えさせられる。
今回の番組では、インタビューの合間にあるナレーションが、一部偏っているのではないかと思えた。
この番組をツイートでまとめておられた方がいて、それを基に、加筆して小沢さんの発言だけは文字起こししてまとめてみた。
興味深かった部分では太字や大文字、色文字などにしてみた。
まず番組HPに意図が書かれているので転載してみる。
●証言ドキュメント 永田町・権力の漂流
http://www.nhk.or.jp/special/onair/111225.html
(NHK総合 2011年12月25日(日) 午後9時15分〜10時43分)
50兆円を超える過去最大の赤字国債発行が見込まれる平成24年度予算案の編成が大詰めを迎える2011年12月。熱狂の政権交代から2年あまり。あの時の高揚感はすっかり失われ、すでに3人目となった野田総理大臣はひたすら低姿勢での政権運営に務めている。2年前、政権交代を実現させた最大の原動力は「自民党政治からの脱却」を求めた世論だった。しかし、「脱官僚依存」と「政治主導」を掲げてスタートした新政権は迷走に迷走を重ねた。その根本にあったのは「小沢か、脱小沢か」という民主党内の根深い路線対立と、「利害調整」や「合意形成」ができない政治力の決定的な欠如だった。そして、大震災と原発事故という未曾有の国難に直面しながらも政治は混迷の度を深めていった。永田町の住民たちはこの2年間で何を経験し、何を学んだのか。政権運営に関わった与党幹部や、野党議員の証言を軸に、なぜ民主党の理想は挫折したのかを検証。その失敗の核心に迫り、新しい政治のあり方を展望する。
『@shbttsy74ほんのこ』様のツイートまとめを土台に、ビデオを見ながら加筆してみた。
NHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町 権力の漂流」(2011年12月25日)
■日本政治はなぜ漂流を始めたのか
野田佳彦(総理就任前)「党を挙げた態勢ができていなかった。今度失敗したら民主党に二度と政権はこないと思う。背水の陣」
<2009年8月30日、2年前の夏、一つの政党としては戦後最大の308議席を獲得した。>
鳩山由紀夫「今まで大臣も経験していない人間が突然総理大臣をやれと。経験不足の私どもが政権についた。意欲が順調にまわらないで空回りした面もあったと思う。空回りしちゃいけないと思っていたが」
<最大の懸案は小沢と菅の処遇だった。鳩山・小沢・菅のトロイカ体制の人事体制をめぐって早くもゆらぎ始めていた。>
鳩山氏「入閣することだけが、この国を新しい方向に変えていく力になるとは思わなかった。本人も望んでいなかったと思いませんでしたから」
<当初、民主党は党幹部を閣僚と兼務させ、政府・与党が一体で政策を決めるとしていた。しかし、鳩山は小沢を入閣させず政府から外した。小沢にとっては不本意な人事だった。>
小沢一郎「鳩山さんが首班指名を受けてね、それで、そのあと5、6人かな。幹部会をやって。その席で鳩山さんが幹事長や党の人は内閣に入れない方針に決めたと。まあ、こういうことだったので、政策決定は政府で党はそれに関与しないと。よくいえば役割分担ではあるけれども、今までの政治主導、国民主導の政治のための政府与党一体という考え方はその時点で捨てられちゃった」
高嶋良充(小沢側近)「小沢さんは中に入ってやる意思はもっていたと思う。でもまわりが、袋叩きにあうんじゃないか、閣僚だと何も証人喚問しなくても、いつでも呼びつけていけばいいと、そうしたら国会が回らなくなると。そういう老婆心と、小沢さんが入ってきたら大変だという閣僚の方もいる」
<一方、鳩山は菅を副総理兼国家戦略担当大臣に起用。当初、国会戦略担当大臣が会長を兼務するはずだった党の政策調査会は廃止された。菅は、この決定を入閣できなかった小沢の意向が働いたと受け止めた。>
菅直人「直前になって、たぶん小沢さんの提言でしょうが、鳩山総理から政調会そのものをはなくすと。私は反対した」
<一部には小沢さんが権力を党のほうで集中させるために政調会を廃止したんだと・・・>
小沢氏「それは全然無知な人というか、知らない人じゃないかな。政調だろうが総務会だろうが、基本的には政調会長も総務会長も幹事長の指揮の下にあるので、それのほうがよっぽど仕組みからいえば、幹事長の権限は大きかったんだがね」
菅氏「政調会を小沢さんが廃止をするということで無くなったので、内閣に入らなかった議員は、自分たちの主張を反映する場所が無くなったということで、大変ある意味で残念な形になってしまった」
■トロイカ体制の足並みの乱れ
<大臣、副大臣、政務官が省庁に乗り込んで、政治主導で予算を編成する。>
松井孝治「政治家が役人におんぶにだっこ。それを変えたかった。各省のシェアを打ち破って、本当にいま必要な所に、予算をつけ税制の抜本的改革をするというのが本来の趣旨」
菅氏「政調会に議員がたくさんいるから、その中でいろんなことが並行的にはやれた。それが政調会がなくなりできなかった」
津村啓介「骨太の方針のようなボリュームのものを、これから1週間か10日で作らなければならない、というイメージをもっていた。それで(菅氏は)焦っていたというか、機嫌が悪かった」
江田憲司「一言で官僚とか霞が関とかいっても、元締めは財務省。総理や官邸がその権限をしっかり握っていかないといけない、と助言した」
津村氏「勝栄二郎さんのほうから、『骨太の方針と同じものを作る必要はない、マニフェストに沿って概算要求をしてください。10月までにやってくれれば年内に編成する』と。それで菅さんは一気に肩の荷が下りた。安堵の表情を浮かべて」
津村氏「菅さん、1週間で主計局長のワナにはまっちゃったな、残念だな、と。勝さんにすれば現実的な答えを提案したという、それ以上でもそれ以下でもないが。やはり、財務省の力を借りざるを得なかった」
江田氏「予算編成権は内閣にある、それができなかった。スタートダッシュの大きな躓きだった」
菅氏「急に具体的な所まで財務省を外せない。結果として、あの予算編成はマニフェストに沿ってしっかりやれていたと思う」
<子供手当や農家の所得補償など、概算要求総額95兆円余。優先順位を付けずに膨張させたため財源獲得に苦しむことになる。>
<政策決定から外されていた小沢は、業界団体や支持団体からの陳情を一元化した。>
麻生渡(元福岡県知事)「陳情こそ命。あれで皆さんが何を困っているかを知る。政府側の予算編成は行き詰まっていた。その時の状況は、党側の予算編成上の影響力が非常に強かった。だれが実際の決定権を誰が持っているかをしっかり見ている」
<政府は財源が見つけられず予算編成は難航していた。大詰めを迎えた2009年12月16日、本来、政策決定に関わらないはずの小沢氏が官邸に乗り込んだ。
小沢は陳情で吸い上げた意見を元に政策の優先順位を政府に伝えた。マニフェストで廃止するとしたガソリンの暫定税率の維持や農業予算の大幅組み換えで予算は確保できると示してみせた。>
小沢氏「各省庁がなんだかんだ勝手なことを言うでしょ。それをまとめきるというのが非常に難しくなってきた。少なくても各省庁から予算を出させるにしても、その優先順位をつけるのは政治の役割で、それが政治主導、国民主導。それをただ単に役所からきたのを積み上げてそれをまとめて予算と、いうのでは何の意味もない。辻褄合わせなきゃ予算編成にならないから、やっただけの話で、政府が全部うまーくまとめてくれるなら、なんにも、ただ書類ピャーととどけただけで済んじゃったんだけど、そうはいかなかったから。」
<予算編成の司令塔だった国家戦略大臣の菅は複雑な心境を滲ませた。>
菅氏「統治機構の問題でいうと、党と内閣の関係性がですね、党の幹事長の鶴の一声で決まったように見えたのは、私は決していいことではないと。内閣で議論してやっているのを鶴の一声で決まるのとなれば、内閣の求心力が弱まりますから、形としてはもう少し積み上げがあったもよかったかなあと思ってますけどね」
小沢氏「そんなら自分らで決めなさいちゅうの、ぼくは何も、そんな面倒くさい作業をしたいわけじゃないんだから。自分達でで決められないものをオタオタしてて、誰かが泥をかぶってね、やれば、『あいつはけしからん』と。民主党の一番悪いクセだね。じゃあ、自分で責任とって自分で決めろと、そう言いたいけれども、まあまあ、経験のない人が多いから仕方ないんですけどね。」
<政治主導のあり方が問われた予算編成。小沢主導の決着に不満の声も上がった。トロイカは予算編成を通じて溝を深めることになった。>
■小沢・鳩山・菅のトロイカ体制の崩壊の序曲
<民主党が掲げた政治主導。それが政権担当能力への不信につながったのが普天間基地移設問題だった。>
鳩山氏「大変感謝をしていただいている手紙をいただいたのは、私にとって心の財産だと思っている」
<政治主導で普天間基地の県外移設をやろうとした鳩山に、外務省と防衛省が立ち塞がる。>
「俺達の領分に勝手に入り込むな、そこは俺達がやるからと」
北澤俊美「野党の追求で、ああ言ったじゃないかと。蟻地獄のように嵌めこまれていったというのが鳩山さんにあったんじゃないか」
菅氏「私から鳩山氏に、なにかのお手伝いをしましょうかと2、3度言った。だが、この問題は今のメンバーでやりますと。それで、直接的には関わりをもたなかった」
又市征治「小沢さんに意思統一をと言ったが、鳩山さんはわかってるよと。本来は小沢という司令塔があるのに、政府と与党との連携がうまくとれていな」
小沢氏「ぜんぜん関わりをもたなかった。政策問題は政府でやるという話になってたから。口を出すのも変だし。頼まれもしないし、国の最も焦点のあたっていた、関心のあたっていた政策に、幹事長が頼まれもしないのに関わることになる。鳩山さんがひとりで苦悶してたんじゃないかな」
<普天間の失敗=鳩山の失敗という見方。>
鳩山氏「民主党として、沖縄ビジョンを作ったときに、党が作った話を私が代表時代に申し上げた。ほかの議員の人達が無縁だったわけじゃない。それが、鳩山の専売特許みたいに、非難が集中しているが、党で決めた話」
<鳩山の思いつきで県外とか国外とか県外とか言っていたといわれるが、これは党全体で決めた話。>
<鳩山氏母親からの資金提供問題。説明責任が求められた小沢氏。これでは参院選は戦えないという意見が党内に渦巻き、2010年6月1日、鳩山・小沢対談へ。>
鳩山氏「私のほうから、参議院の皆様にご迷惑をかけられないから、身を引こうと。政治とカネの問題でもあるから、小沢氏にも引いてもらおうと」
小沢氏「それはお互いにね。参議院でも安定多数をとらなきゃ、政権基盤がね。思ったことができんから、参議院に影響することになると、政権交代を果たした意味も薄れちゃうから、我々がその障害になるなら辞めようと二人で話した。大義のために、という結論」
津村氏「菅さんは『時間との戦いだ』と。やはりトロイカ体制を守るという、守りの姿勢のままで総理になっても、自分の個性が発揮できない」
<強く打ち出された「脱小沢」だった>
高嶋氏「選挙を勝つための方策として、脱小沢で人気急上昇させて、参議院の同士を当選させると。小沢さんもそうだと思っていた。『自分を餌にして、鯛を釣ってくれるのであれば、おれもエビになってもいいよ』と。」
<菅は消費税10%を打ち出し、民主党、参院選惨敗>
鳩山氏「もったいないことをした。勝てる選挙だった。これなら辞めなくてもよかったんじゃないか」
小沢氏「国政選挙で負けたらね、リーダーが辞めなけりゃダメですよ。わずか何ヶ月だから変えるのはおかしいという俗論がまかり通った。それが間違いの根本。突然消費税ということも言い出して民意を見誤っちゃったね」
菅氏「かなり厳しい状況になることは覚悟の上で、ここは続けさせていただきたいと、どれだけ叩かれてもここは踏ん張どうと」
■トロイカの全面戦争が自民党も巻き込んでさらなる迷走へと向かう
<菅は選挙の敗北を問われるが続投の意志は硬かった>
菅氏「もし私が辞めても、自民党は解散しろと。解散したら同じことになる。1年足らずで自民党中心の政権になる」
<菅はなぜ消費税発言をしたのか?伏線は2010年1月に遡る>
<財務政務官の古本伸一郎らを焼肉店に呼び出した菅はビールで乾杯するのを制し、ある政治家の名前を上げた。>
古本伸一郎「(菅氏は)『あの小泉純一郎さんでさえできないことがあった。つまり消費税。それをきちっとやり遂げて、次の時代に渡すのが、自分たちの世代のやり残したことである』と」
<国会答弁では早期の増税には慎重な答弁を繰り返していた。菅はカナダで行われたG7財務省会議に出席し、ギリシャの財政問題で各国の危機感に直面した。>
峰崎直樹「『予算編成終わったけど、来年予算組めるかい?』と菅さんが。『足りない分は消費税を上げたりしないと』『それで持つか?』国会で『鼻血が出るくらいしないと増税はない』と言っていた菅さんが、それを言うものだから『えっ?』と」
<さらに普天間基地で苦しんでいた鳩山に菅は言った。>
鳩山氏「菅さんが『鳩さん、いい方法がある。普天間を消すには、もっと大きなテーマを国民に伝えればいいんだ。それは消費税だ。それで普天間は吹っ飛ぶ』と。私は、それはムリだと」
<消費税発言を聞いたときに「ああ、ついにおっしゃったなあと思った」と鳩山。>
<高嶋氏が、菅が今後の政権運営に行き詰まり自ら辞任するのではと小沢氏に話した時、小沢は言った。>
高嶋氏「小沢さんが『君はまだ甘いな。菅くんの性格を知っているか。権力亡者とはいわないが、権力にしがみつくぞ。辞めさせるなら、民主主義のルールにのっとるしか方法がない。二つしかない。代表選挙で落選させるか、もう一つは衆議院で不信任案可決しかない』と」
■代表選で菅直人が当選
<代表選で菅が勝つとノーサイドと言いながら、仙谷や岡田など小沢と距離を置く議員を重要ポストに配置し、小沢派には副大臣や政務官ポストにした。>
松木けんこう「あんなもん挙党態勢になるわけない。私の政務官なんてゴミみたいな話ですよ、私に言わせたら」
<代表選挙に敗れた小沢は、次なる菅降ろしに向けタイミングを探り始めることになった。>
菅政権は、国会で逆風にさらされる。
<自民党執行部は倒閣を決め込む。党内事情は、落選議員を大量に抱えているからだ。>
<自民党落選議員・桜田義孝、衆議院議員を4期つとめたが、議員報酬もなく預金を切り崩しながら次の選挙を待つ。>
桜田義孝「負けるということはこんな思いをしなければならないと、嫌というほど思い知らされた。もうちょっと谷垣総裁にはパワーアップして、積極的な攻撃をやってもらいたい」
谷垣禎一「いま野にいる方がそう思うのは当然。ペテンのようなマニフェストと思ったが、それにやられた。国民の前に総括を」
<菅が公明党の支持母体、創価学会の美術館を訪問。>
菅氏「いろいろな方がいろんなアドバイスがあって、友好関係を作る上での行動としてやられたら、という話があったことは事実です。」
公明党・漆原良夫「もともと官邸関係者から、2週間くらい前から『菅総理が公明党におみやげを考えているようだ』と。これをおみやげと感ずる感性はいかがなものか。総理の、官邸の底の浅さを感じた」
<社民党にも協力を呼びかけたが失敗。ねじれを抱え、政権運営は厳しさを増していく。>
■東日本大震災。福島原発事故
<未曾有の国難の中、政治の一刻も早い対応が求められた。原発対応や被災地の復興などで、政権に対する不信感が増幅していった。>
<菅内閣不信任案・・・93年、宮沢内閣の時に自民党にいながら内閣不信任案に賛成した。>
<壊し屋と言われた小沢。民主党から81人が賛成に回れば、不信任案は可決する状況だった。>
小沢氏「こういう政権が続いてたら、国民の生命と生活を守っていけないと。自分たちが作った政権でも、替わってもらわないといけない。それが一番の動機だった」
<4年前、当時の首相の福田と小沢。、民主党との間で出た大連立構想が浮上。その窓口になっていた人が森元首相。小沢が民主党をまとめきれず頓挫。>
森喜朗「あれは民主党の中がまとまらなかったんですねえ。それでも小沢さんという人はケロッとしてるんですよ。あれは澄まなかったとか、あれはこうだったとか、そんなことは一辺もないですから。そんなことがあったかなっていう顔をしている。だから、僕はもうあの方の話はお受けしないようにしていた」
<5月中旬、小沢・森会談>
小沢氏「我々は不信任案に賛成してもでも、この内閣は替えなきゃいけない、という思いであるということは伝えました。それで、不信任案に我々が賛成すれば可決するだけの仲間はそろっているということも伝えました。」
森氏「もちろん、それは自民党として受ける以上は、その場合はかわって谷垣さんでもいいんだね、と。小沢さんは、『勿論それでいいし、そうであれば誰だっていい】と、私はまた騙されるのかなあと思いつつもね、それが国のためになり日本の政治の安定のためになるのであれば、まあ騙されてもいいというふうに話を聞いていた」
<森は、不信任案が政界再編に繋がることを望んでいた。>
森氏「面白半分にやってるわけじゃないんで、もしそのことによって政界再編がすすめば、こんないいことはないというふうに思ってましたし、みんな同じ共通の価値観があるはずだから、もう一辺、一緒になってこの難局を乗り越えていくことが私はあってもいいと・・・。」
<自民党側には民主党の動きが様々なルートで挙げられていた。>
逢沢一郎「報告が毎日のようにあった。きょうはこの人が署名した、全部で何人だと。緊張感が高まってきた」
<小沢と連絡を重ね不信任案可決に向け票読みをしていた鳩山>
鳩山氏「我々の考え方が党の主流であると示す必要があった。もう一度民主党の原点、国民が主役になる政治を取り戻す戦いとして、認めていただきたいと」
■国民不在の権力闘争という国民の批判
(被災者インタビューなどを出して)
<この国難の時に国会で何をやってるんだというふうに見られたと思うんですが・・・。>
小沢氏「それは日本人的。国難だからこそ替えなくちゃいけないんですよ。発想が違うんだ日本人ちゅうのは。たとえば欧米見なさいよ。みな替わってますよ。状況に応じてね、やっぱりその、リーダーをね、選んでいくっちゅうことはね、何にもおかしくない」
菅氏「私は何か決定的に間違ったとか、決定的に何か失敗したとは思っていない。原子力行政を根本から変えなきゃいけない、その道筋を立つけたい、それまでは私の責任のもとで成したいと」
<政府執行部は造反を牽制し、「大震災で与党議員が不信任案に賛成すれば国民の理解は得られない」と岡田幹事長。民主党内にもポスト菅の動きも活発化。>
大島理森「菅総理から民主党内の心が一枚一枚剥がれていってるな、という感じはした。小沢さんと組むことができるか。率直にいって、政治とカネの問題を乗り越えられるほどわが党は寛容性はない」
谷垣氏「不信任案が通れば憲政の常道として、野党第一党の党首に政権を、と」
■不信任案採決の前夜
<小沢の動きで永田町の緊張は頂点に達した。グループの会合には70人が集結し、鳩山グループと合わせれば可決ラインを超えるという見方が強まった。>
<可決の自信はあった?>
小沢氏「もちろん、絶対可決する。これは番外だけど、今だってだよ。その気になれば」
<しかし、事態は小沢の思惑とは違う方向に展開していく。>
<この夜開かれた鳩山グループの会合で、議員のほとんどが賛成できないという意向が示された。>
<翌朝、平野と北澤がつくった文書を鳩山に届けた。確認事項が書かれた>
鳩山氏「これはもう官邸の間でできている、総理は辞める、それでいいと先方が言っていると。そこまでやってくれているなら、乗り込んでいってまとめようと」
北澤氏「今そこまでお話していいのかどうか…私は菅さんには『ここには辞任とは一言も書いてない』と。だから、ここから先は貴方の政治姿勢と政治的な運だと。菅さんはニヤリとしていた。」
<議員懇談会で菅が発言「一定のめどがついた段階で若いみなさんに引き継いでいきたい」>
■思惑がすれ違ったままの菅と鳩山
不信任案否決。
北澤「全員がね、内心ではホッとしたんですよ。崖っぷちにみんなで走ってるんだから。柵の無いところにいけば、地獄に堕ちるに決まっている。どんなことをしても止めなきゃ、というのが、あの時の私の気持ちだった」
森氏「やっぱり鳩山さん、そういう意味じゃほんとに人柄がいいから、何でも信用しちゃうから、まんまとはかられたというか」
小沢氏「総理が辞めるという言葉が外に出た以上、もうそれでよしとしなけりゃ。辞めると言っているのに、お前たち何するんだというふうに今度なっちゃいますから、もうあの時点でできないよね」
<その後国会は3箇月にもわたって、菅の辞任時期に巡る議論に多くの時間が費やされることになった。>
■勝者無き権力闘争
<民主党三人目の総理大臣となった野田佳彦。その野田は消費税増税に不退転の決意を示す。>
<しかし、増税に反対する小沢グループの会合に100人を超える議員が参加するなど、またも党の分裂が囁かれている。>
菅氏「今、野田政権が私のあとを引き継いでくれています。今から10年後、あの時にいろんなことが大きく変わったなと必ず言われる。」
鳩山氏「2年の間に三人目の総理を出さざるを得なかった。ご期待に応えられなかったことを国民の皆さんにお詫びしたい。」
小沢氏「あとは国民がどう判断するか。歌を忘れたカナリヤはカナリヤじゃないと思うのか。まだ、格好はカナリア風だから、まだいいやと思うのか。そのどっちを国民が思っているのか。どうも2年前のあの時歌っていたカナリアは今はいないというふうに思いつつあるというのが実態かもしれないね。だから、それをもう一度歌を取り戻さないといかん。」
<永田町で権力闘争が繰り返される中、地方では新たな勢力が台頭している。>
(橋下大阪市長の絵)
<政権交代から二年あまり、政治は何処に向かうのか、漂流は続いている>
この番組を観た読後感は、2010年の小沢VS菅の代表選の時、街頭演説や集会での演説の天と地ほどの差を感じたことと全く同じ感想だった。
菅は自分の思いを中心として語り、そこには公的な意識がまるでない自己中丸出しだった。
小沢さんの発言には全て原理原則に従い、公的な意識に貫かれているのがよくわかった。
例に上げれば、鳩山政権が発足したときに、人事で菅直人は国会戦略担当大臣につくが、当時、政策調査会長を兼務するはずだったのが、政調会自体が廃止されたことに、菅はずっと小沢さんの意向だと私情で恨みを抱いていた。
また、国家戦略担当大臣として政治主導で予算を組むところを、初っ端から財務官僚にまるなげし、優先順位をつけなかったために後に財源が見つけられず予算編成は難航したときに小沢さんが助け舟を出した。にもかかわらず菅は、党と内閣の関係性がどうのこうの、党の幹事長の鶴の一声で決まったように見えたのはよくないだの、助けられたにもかかわらず自分のプライドが傷つけれらたことに対する私憤の情を前面に出している。
二人の見識と視点・視座、政治理念などが歴然とその差があった。
この番組では常に権力を取ろうとして、壊し屋のイメージを植え付けようとしているようにも思えたが、これも片側からだけの贔屓目にみた感想かもしれない。
そのように仕向けようとしているのかもしれないが、支持者でなくても、この番組の中での小沢さんの発言を聞く限りは、あくまでも政治主導、国民主導の政治を目指し、日本の官僚中心の仕組みと既得権益をぶっ壊し、「国民生活が第一。」の政治を作らんがためであることは、十分よくわかるのではないだろうか。
政権交代したとしても、もし、それができないのであれば、できるように環境を変え、時には敵とも手を組み、目的を達成しようとするところが、剛腕、壊し屋のイメージがつくところだろうが、それが軸が全くぶれてない、小沢一郎ならではの安心感とも思える。
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