http://www.asyura2.com/11/senkyo123/msg/901.html
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今日の自称マルクス主義政党(中国、日本、北朝鮮等)は、真のマルクス主義ではないし、日本の共産党員でさえ古典を読むことは少ないのに、今さらマルクス主義の批判をしても意味ないだろう、と考える人もあるかと思います。また、『資本論』は難解なのでまともに読み通した人はあまりいないでしょう。なのでとりあえず、共産党の不破さんと志位さんが分かりやすく解説している「綱領・古典教室」を読まれることをお奨めします。
→http://www.jcp.or.jp/kk_kyousitu/
欧米や日本など先進国では、マルクス主義の現実的な力は弱まっていますが、中国共産党規約、朝鮮労働党規約は明確にマルクス・レーニン主義を党是とした一党支配が行われています。
http://jpn_cpc.people.com.cn/69716/4726318.html
http://infoseek_rip.g.ribbon.to/chorea.hp.infoseek.co.jp/dprk/kwp/kwpchar.htm
マルクス主義について正しい認識を持つことは、東アジアの国際政治を考える上できわめて重要です。マルクス主義者たちは、自らを解放する理論をもたない(前回参照)ので、その負担・犠牲は人民に押しつけられます。具体例をあげる必要はないでしょうが、党の方針・理論をめくる権力闘争は、今まで述べてきたように避けられません。一党独裁を、発展途上国に見られる開発独裁の必要悪と捉え、経済成長が可能な限り問題は潜在化するでしょう。しかし、現実には党組織は民衆抑圧の手段となり、もはや悲劇的な段階として顕在化しています。中国が和諧社会、朝鮮が主体思想、ベトナムがドイモイ(刷新)のように国情に合わせて体制を維持しようとしても、マルクス主義に依拠する限り、共産主義は空想的であるばかりでなく人間抑圧の理論とならざるを得ないのです。残された道は、対立政党(理論)の容認またはマルクス主義との決別以外にはありません。
さて前回の続き「市場と不等価交換と社会契約」についてです。まず「不等価交換による剰余価値の搾取」と言う見方は、近代経済学の主観的価値論とされる「限界効用理論」の似非科学性を批判します。というのも、資本主義市場では、効用(要望充足)は単なる生活消費的効用だけでなく、商品交換を通じて(利用して)利潤を追求するという強力な効用(致富欲望)を実現する目的で競争的取引が行われます。これは労働力商品(人間力)を最大限活用(搾取)し、また商品市場の独占的利益を目ざして不等価交換(売り手と買い手の非対称性=格差)を最大化しようとするものです。資本主義市場は、近代経済学が考えるような市場需給の均衡が常態なのではなく、またマルクス経済学の想定するような等価交換が常態なのでもありません。ともに欧米の合理主義的(自然法的)思考様式の偏見がもたらした、商品市場に対する歪んだ法則的理解にすぎないのです。(インド人A.センはこの問題の解明に尽くしました。Kakasi達の見解も西洋的思考様式の批判を前提にしています。)
そこで、彼ら経済学者には見ることができなかった市場の交換過程における「不等価性」の洞察が、資本主義社会の諸問題・諸矛盾に対してどのような処方箋があるのかを考えてみましょう。
マルクスは、社会主義社会では、生産手段を社会化することによって「分配的正義」を実現しようとしました。その精神の一部は、社会民主党の政権による「福祉国家」に実現しています。しかし、福祉国家における資本主義市場経済のもとでの分配的正義は、成長経済(好況)のもとで税収が豊かな場合には公的支出も豊かでうまく機能しますが、景気低迷(不況)になると人件費等の諸経費が捻出できずサービス低下が起こります。
また景気循環における産業構造の変化や、競争力をなくした企業が撤退ないし倒産すれば失業者を出します。安直な企業買収や倒産回避は、商品交換の不正を招きます。例えば、商品生産で利益を上げるには、安価(低コスト)で良質な商品ではなく、安直な商品模倣や宣伝、賃金削減が行われます。つまり、一般商品や労働力商品の「交換的正義」が失われモラルが低下します。資本主義競争社会のモラルの低下は、法則経済学が忌避した「不等価交換」にその根源があるのです。
マルクス主義(空想的共産主義)と市場原理主義(新自由主義)に共通するのは人間的モラルの崩壊です。前者に、階級的連帯のモラルがあるとしても、自らを労働から人間に高めるモラルはありません。人間や社会に対する認識が誤っている(弁証法)かまたは欠如している(言語論)からです。また後者に、自由主義的モラルがあるとしても、それは敗者の困窮に自己責任を求める 利己的勝者のモラルであって、やはり人類社会の未来に禍根をもたらす(私的利益優先)ものです。
結論として、共産主義自体は一つの理想社会の建設を目ざすものとして容認できても、マルクス主義を前提とする限り、「交換的正義」の検討の余地がない(多くの経済学に共通の欠陥ですが)ため、市場経済を通じて社会主義を実現することはありえないのです。社会的抑圧や支配、搾取や格差、差別や偏見、一般に道徳的腐敗や社会的混乱は、市場(市民社会)における交換過程(社会契約)の中にこそ、その根源をもっているからです。
この点はKakasi達の主張する「道徳(倫理)的社会主義」の考え方の根本になりますが、長くなるので次回に投稿します。
次回は、志位委員長の第9回教室(12/20)と、「社会契約」を資本主義と社会主義に関連づけて述べてみます。前回までは<BW32mpuE76J86> を検索してください。
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