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「それは業務命令でしょうか」 君はミタをミタカ?(爆) (山科恭介 夢想弄翰) “「家政婦のミタ」と小沢一郎”
http://www.asyura2.com/11/senkyo123/msg/881.html
投稿者 一陽来福 日時 2011 年 12 月 24 日 10:27:15: cemRw7zOZ.htc
 

http://kyosukeyamashina.blog62.fc2.com/blog-entry-1015.html
2011.12.22 (Thu)

「それは業務命令でしょうか」 君はミタをミタカ?(爆)

何でもそうなのだろうが、理解の種類というか、解釈の仕方が多いものほど興しろい。
なにゆえ、「家政婦のミタ」 というドラマが 「家政婦は見た!」 という市原悦子主演のお笑いお茶の間サスペンス物に引っかけ、ちゃかした題名をつけたのかは不明だが、その内容が多くの人をして存外にシリアスな為に、その本質を隠し和らげるという意味合いが、あるいはあったのかも知れない。

こういう事を書くときは、本当はもっと精微に時系列を追って説明しなければ、そのことを知らない人間にとって何の意味もない文章となり、ネット上でよく見かける独り善がりの一方通行的<喚き散らし文言>と何ら変わりがないことも承知しているが、最近の私はどうも堪え性が無いというか、面倒くさがり屋が度を超したようで、自分でもこりゃあちっとマズイかとか思うのだが、今回も思いっきり端折ってイッテマウ。(笑)

私はいわゆる 「戦争を知らない子ども達」 の一員で、私の両親は戦争世代なのだが、戦争の事は一切私に話をしなかった。祖父もまた同様で一言も戦争の話をしてくれなかった。
ただ、私の母方の祖母だけは、戦争当時やその後の悲惨な状況を片言ながら話してくれたように記憶している。
戦争を知らない私がこんな事をいうと、体験した人からお叱りを被ること必定なのだが、
戦争というのは、男は戦地にて身体を張っての精神と体力の戦いなのだが、女とて内地にて、ほぼ同様の戦いを強いられる。
そしてそれは、この 「家政婦のミタ」 の主人公 “三田 灯” が現代の平成日本で体験したような、<どこからともなく襲ってくる理不尽> として現れる。
存在自体が不条理なのである。

いま、巷で話題のこのドラマを数回前から見ていて、嗚呼〜これはアレだな〜とか思っていた。私の見方はアマノジャクなので、恐らく他の多くの人との感覚とは少し違っている・・・・と思う。(笑)
この題名の語呂合わせからして、最初は下らないパロディかと思ってパスしていたのだが、何の拍子か偶然にも8回目か9回目か、これが迂闊にも見てしまい(笑)・・・・・結果、ハマってしまった。(爆)
あの人並み外れた能力と無表情から、最初は彼女は正真正銘のロボットかと思ったが、そうでもなさそうなので途中から訳がわからなくなったのだが(笑)、原作者、あるいは脚本家、あるいは監督、さらには誰かは判らないが関係者の何者かが仕組んだ、その 「思い入れ」 に触れたとき、このドラマの秀逸性を感得し、それ以降ずっと見ている。
むろん、演出された <家族愛> は、とってつけた “お飾り” に過ぎない。

今日は最終回だった。
多くの人が期待していた主人公の笑顔など、私にとっては問題ではなく、そんなものは彼女の <微笑み> で実現することは最初から解っていた。それ以外には方法は無いだろうから。(笑)
確かに彼女はロボットであり、“ロボット” を演じていた。
自分の意思で行動すると決まって周りの人間を不幸にしてしまうという呪縛から逃れるために、“ロボット” を演じることで辛うじてその生命を保っていた。
「業務命令」 ならばそれに従う、そうすれば自分の意思ではないので、他人様を不幸に陥れることにはならない・・・・と彼女は信じて行動しているのだが、実は、彼女の行動はしばしば 「業務命令」 を逸脱し、“余計な事” をしてしまう。
その “余計な事” が、人を幸福に導く切っ掛けになっていく・・・・

どうして彼女がそんな有り得ない精神状態になったのかは、ドラマの後半部分にその詳細な説明を彼女自身がしているので、ここでは詳しく説明しないが、
というか、
このドラマを観ている人だけが本文章の対象なのだが・・・・(笑)

「家政婦のミタ 壮絶過去の告白シーン」

http://youtu.be/ISNJwwvrMs8

 これ↑は、あえてリンクにした。
どうせ、ここで紹介すると即刻削除されてしまうし(笑)
「ミタ」 を観ていない人は、これだけみればいいかもね、とか言ったりして。(爆)

ふと、ある連想が生まれた。
これは、ひょっとすると、私だけでは無かったかも知れない。
日本が今から65年前、まだ私が生まれていない頃、多くの戦争体験者は苦悩の中で自身の内面と対峙していたに違いない。
彼は、自分だけがなぜ生き残ってしまったのか、目の前で死んでいった戦友を忘れることが出来なかっただろう。
その偶然の為せる業を恨み、さらには自身が生存していることに感謝していたことだろう。
その 「思い」 は、多くの “体験者” にとって 「最期」 まで続いたと想像するに難くない。
生還したことを素直に喜べず、いま居る自分を責め続けることほど辛いことはない。
だから、戦地で地獄を味わった多くの日本人は、戦争の事を語らずに今まで来た。
全ては自分一人のせいでは無いとは判っているにも関わらず、自身を責めてしまうその心情は、人間精神の根底でその生存の真実性に迫る重大なる体験である。

自身が好んで戦地に赴き、この地獄を味わう苦痛など誰もが望んでいなかったにも関わらず、皆がその渦中にあり、そしてそれを演出している張本人と化したとき、人は自身の存在の基底をどの様に定めれば良いのだろうか。
そして、その責任はどのように顕れてくるのだろうか。
人は、それを不可抗力と解し、そこから精神的に逃げ出すかも知れない。また、ある人は、その当事者として、自身とその周辺に対峙するかも知れない。
また、それを全て受け止め、その責任を果たそうと最善の努力をし始めるのかも知れない。
そんなことまで考えてくると、もう・・・・ドストエフスキーの世界だな。(笑)

しかしながら、彼らは、「自分だけ幸せになっては、死んでいった仲間に申し訳ない」 という、“三田 灯” が持っていた感覚と同じ状態で生き続けたことも確かなのだろう。こういう第一級の精神的命題は、窮極の場で生死を分けた戦いを繰り広げた人間以外は理解できないが、そういう精神を持つということが実は、人間としての証明と成り得る。

戦後、過酷な戦場から生還した人間達の多くは、この種の感情を抱きつつ生活していたのだろう。だから、皆が戦争の悲惨さを語ることなく現在まで来てしまったのだが、最近になって少しずつではあるが話をし始める人も出てきた。
もう時間が無いという観念と、このまま黙っていて良いのかという心の中から突き上げる何ものかによる結果だろう。
それは、人間として正に 「真摯」 と呼ぶべき態度だが、依然として口ごもり、それを墓場まで持っていこうと決心している人間も多いことだろう。
どちらが正しく、とちらが間違っているかという問題ではない。

どちらも正しいのだ。
一人の人間としての、「生きる姿勢」 の問題である。

・・・・というのが、「ミタ」 を観た簡単な私の感想なのだが、
まあ、例によって他愛ない事だな・・・・(笑)

さて、
ここの読者諸氏は、そんなことより直近の政治情勢や自身に降りかかる経済的情況のほうがよっぽど気になるのは判っているが、ちょっと言いたくなったので許して欲しい。
昔のことはよく知らないが、今の日本人は自身に向き合う精神性が極端に欠けているのではないのか。
アレが駄目だ、これがイケナイと、そんなことばかり言って、自分では何も行動できやしないくせに、アレをやれこれをやれと無責任に言い張る。ネット上でもハンドルで言いたい放題愚痴をこぼしている人間を多数見かけるが、それらは私などからすれば、単なるフラストレーションの発散に過ぎない。

そんなことをしているヒマがあるなら、ここで何度も言っているが、周りの誰かに、たった一人でいいから、言い易い人間でいいから、今の日本の現状や国家機関の不健全性について説いてみたらどうか。
むろん、それには相当の勇気を必要とするだろう。
ネット上での幽霊発言とは違って、実名を明示し、所在を明らかにしなければならないのだから。
しかし、物事の進捗はそれ以外では変化しない。

そして、それさえも出来ない人間は、やることは決まっている。
これも何度も何度も言っているが、
自身に向き合い、何が正しく何が間違っているのか、それを心の内に問うことだ。
知識など適当で良い、天下国家の情勢など、そのあとで充分間に合う。
昔の人間は、ひと言で、それを 「勉強」 と呼んだが、
そういうことすらやっていない日本人が多すぎる。

そして、
変化したその自身の 「DNA」 は、
未来に向かって、知らず知らずのうちに引き継がれていくのだ。

あたかも、圧倒的な強さを感じさせる 「ミタ」 が、自身と戦った結果のように。


───────────────────

(コメント)

「家政婦のミタ」と小沢一郎

 私も「家政婦のミタ」には嵌りました。
 近年にない出色のドラマであった。

 私は、小沢一郎を思うときいつも思い出す好きな言葉がある。

───

 もし私たち一人一人の心の中に、権力、地位、権威、持続、自己保存などにたいする欲望を懐いた「私」という中心が存在しなければ、私たちの問題は確実に消滅してしまうのです。
 自我というものは思考によって解消することができない問題です。それには思考に拠らない注意深い熟視が必要なのです。自我を非難したり正当化したりせずに、その自我の動きを目を凝らしてじっと見詰めていること、それだけで十分なのです。
 しかしながらもしあなたが問題を解決する方法を発見しようとしたり、それを変えようとしたり、ある結果を導きだそうという目的で自我を観察しているならば、それは依然として自我と「私」の境界の中にあるのです。
 私たちがあらゆる思考を分析したり、観察したり、絶え間なく検証することによってある一つの結果を求めているかぎり、私は思考の範囲を超えていないのです。そしてこの思考そのものも、やはり「私」やエゴ――それを何と呼んでも構いません――の範囲内にあるのです。P-159
「自我の終焉――絶対自由への道」J・クリシュナムルティ 篠崎書林

 ───

≪今の日本人は自身に向き合う精神性が極端に欠けているのではないのか。≫
 心が折れる挫折のなかで、政治家としての使命を真摯に全うする情熱を維持するには、それは「家政婦のミタ」のように己を“ 客観 ”する工程であったであろう。
 想像を絶するあれだけの批難中傷を満身創痍に受け、小沢の精神は鋭く研ぎ澄まされていった。
 そして、≪どこからともなく襲ってくる理不尽≫を昇華し得たのである。
 決して諦めない信念を醸成しえたのです。
 私が小沢を尊敬する所以です。

 

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コメント
 
01. 2011年12月25日 03:55:24 : DB8RlxNG7Y
バカバカしい
家政婦物は前から有ったし

実に・・・w


02. 2011年12月25日 15:17:26 : 5ZwdM2H9xC
面白かった。
クリシュナは好きだ。



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