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時事通信 より
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011122200251
周首相、米との和解示唆=ニクソン・ショック5カ月前−外交文書を公開
外務省は22日午前、日中国交正常化交渉を含む外交記録文書ファイル126冊を都内の外交史料館で公開した。
世界を揺るがせたニクソン米大統領の1971年7月の訪中電撃発表に先立つ同年2月ごろ、
中国の周恩来首相が藤山愛一郎元外相と会談し、米国との和解を示唆していたことが明らかになった。
しかし、当時の佐藤栄作首相は中国との国交正常化には消極的だったとされ、
外務省も台湾重視の姿勢を崩さず、
水面下で進む米外交の歴史的転換を察知できなかった。
日中国交回復促進議員連盟の会長だった藤山氏は、71年2月下旬から3月上旬にかけて北京を訪問し、周首相と会談。
外務省の橋本恕中国課長が同年3月10日、会談内容を藤山氏から聞き取り記録した。
会談は同2月23日と3月3日の2回行われており、いずれかの内容とみられる。
それによると、周首相は藤山氏に
「米国は変わり身が早い。中共(中国)との関係においては米国が先行して、日本が取り残されるのではないか」
と指摘した。
これを聞いた藤山氏は
「中共は昨年来の各国の中共承認の動きを見て、米国も結局は中共承認に追い込まれてゆくと見ているようだ」
と分析。
「自分は中共が最も重視しているのは米国よりもむしろソ連の脅威であるという印象を強く受けた」
と語った。
外務省はこれに先立つ2月20日、法眼晋作外務審議官名で「中国問題処理上の感想」とする極秘文書を作成していた。
法眼氏はこの中で
「中共のわが国に対する態度は、安保条約の廃止要求、軍国主義攻撃(天皇に対する非難攻撃)など目に余るものがある」
と中国を批判した。
その上で
「国交正常化が成就した後においても、真に友好的となるわけでなく『コレクト(適切)』な関係を維持することがせいぜいであろう」
と冷淡な態度に終始。
「卒然として国府(台湾)を中共に乗り換えることは、わが国が小国の運命に冷淡なりとの非難を被る」
と中国との国交樹立に否定的な見解を示している。
ニクソン大統領は翌72年2月、予告通り中国を訪問。
田中角栄首相もこれに追随する形で同年9月に訪中、日中共同宣言により国交正常化した。(2011/12/22-10:25)
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【私のコメント】
日中共同声明を成立させたのは田中角栄である。
アメリカに追随する形に一見見えるが、
実は田中角栄は自らの訪中をアメリカに打診せずに独自に決めた、
そのことがアメリカの怒りを買った。
それは、いかに日本の外交がアメリカによって縛られていたかということである。
田中角栄は独自外交、独自の資源外交をやろうとした。
そしてロッキード事件をアメリカから仕掛けられて失脚した。
その経緯をじっと見ていたのが若き日の小沢一郎である。
http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/cd2fd2e661c032b5c0f1920813fee778
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