06. 2011年12月23日 09:24:24
: MKFxtZ14nc
イラクやアフガンで数十万の家族が虐殺され続けている。 小泉政権での有事法成立後、中東に送り込まれた日本の多くの若者がその家族虐殺の共犯者となった。 http://esashib.web.infoseek.co.jp/kenpo05.htm慰安婦問題は「たかり」である。 これははっきりしている。 佐藤栄作腐敗自民党政府と韓国クーデターKI印軍事政権が国民に「たかった」のである。 もっと言えば、これ以上無いという悲惨な人生を送らされた従軍慰安婦の老婆たちに、「日韓という腐り国家」が「たかった」のである。 戦後70年、戦争犯罪の追求や補償の見直しが世界的に行われているのに 半島と日本のこの状態は驚くべきことです。 貧しい元慰安婦の老婆にまで「たかる」という構造を持ったままの日韓は 底なしの腐り国家というしかありません。 1965年の日韓請求権協定は、佐藤栄作腐敗自民党と韓国クーデターKIチガイ軍部がアメリカと日韓腐り財界に主導されて、 日本の植民地支配に対する個人論求権を韓国側が放棄する代わりに、 日本側が経済協力資金を払うことで締結されたものです。 簡単にいうと日韓の腐り財界が、日本国民の血税に「たかり」、 そのたかり資金で、韓国国民の資産を奪う体制を軍事政権によって固めるというものでした。 日本軍に蹂躙された末端の最も弱い被害者に補償は支払われず 日本国民の血税は腐敗の極にあった日韓財界と韓国国民虐殺の犯罪集団韓国軍部で山分けされたのです。 まさにデタラメの極地、「たかり」の壮大な構図である。 韓国政府は2005年、日韓条約締結に関する外交文書を公開しましたが、 このなかで、対日請求権要綱には「慰安婦」が含まれていないことが明らかなりインチキがばれました。 韓国憲法裁判所が、元「慰安婦」の個人請求権で日本政府との交渉を求めたのも、この事実が明らかになったからです。 一方、日本側はいまだに日韓条約での対日請求権に関する外交文書を公開していません。 腐敗佐藤自民党と韓国軍事政権とのインチキがバレるから公開などできないのです。 http://japanese.joins.com/article/604/133604.html http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/burogu2.html あちこちで人肉を食って虐殺を繰り返した英霊日本皇軍が 朝鮮では女性を慰安婦にしなかった、などと寝言を言っていますよ。 同じ幕舎にホロ島の生残者藤岡明義君(大阪商大出)がいた。マラリアと飢え死にと自殺とモロ族の襲撃で倒され、食糧がないので友軍同士その肉を食い合ったという。そして終戦後この島から生きて出たのはわずか七十名だけだったという。 「その肉は室木大隊長の部屋で調理され、その場に居合わせた数名の者たちがみな少しずつ味わった。一人として 旨いと言った者はいなかった」 と望月は述べている。彼らはむろん、それが人肉であることをよく知っていた。それまでの師団司令部の会議でも師団長は、やがて自分たちは岩石をもって闘い、戦友の肉を食うことを余儀なくされるだろう、敵兵の肉は食わねばならぬ、と発言していた。とにかく試してみよう、という気持ちは一同にもあった。 海軍のほうも同じであった。この日、望月大隊長は帰る途中で海軍特別根拠地隊の司令官・林原松三中将に会い、 「こちらに一人まわしてくれてありがとう」 と言われ、 「今度俘虜を処刑したら肝臓を持ってきてもらいたい」 http://esashib.web.infoseek.co.jp/tuzimoto04g.htm 日本帝国陸軍関東軍参謀田中隆吉『敗因を衝く 軍閥専横の実相』(中公文庫)を読んでみろ。 これでも英霊日本皇軍は慰安婦用に女性を拉致しなかったのか? ↓ ある高級司令部では政治経済の監督の責任を有する特務班の幹部全員が相語らって、巨額の公金を遊興の費に充てた。ある守備隊長は、富裕にして親日家たる華僑を惨殺して巨額の黄白(=金銀)を奪い、これを土中に陰蔽して他日の用に備えた。ある憲兵隊長は、愛する女に収賄せる多額の金額を与えて料亭を経営せしめ、その利益を貯えた。ある特務機関長は、関係せる女の父親に炭鉱採掘の権利を与えた。ある中隊長は戦地における部下の兵の携行する写真により、その妻が美貌の持主であることを知り、陸大受験のために内地に帰還するや、東京の宿にその兵よりの伝言ありと称してこの妻を誘い寄せ、忌わしき病気さえも感染させた。 賄賂は公行した。虐殺と掠奪と暴行は枚挙にいとまがなかった。私の親友遠藤三郎中将は、漢口より兵務局の私宛に私信を送り来て、「高級将校にしてその心懸けを改めざる限り、戦争は絶対に解決の見込なし」と憤慨した。 内地においても、大東亜戦争の中期以後における軍隊の暴状は、あたかも外地に似たものがあった。暴行もあった。収賄もあった。掠奪もあった。 拳銃をもって威嚇し、人民の家屋を強奪したものもあった。ある大隊長は民がひと月五合の酒に舌鼓を打ちつつあるとき、常に四斗樽を備えて鯨飲日も足らなかった。国民が乳幼児と病人のため、牛乳の入手に多額の金を工面しつつあるとき、健康なるある連隊長は、配給所に対し1日五合の牛乳の配給を強制した。国軍の将校を養成すべきある学校の高級将校は、生徒に配給せられたる石鹸数百個をその家庭に運び、これを米麦と交換して一家の生活の資とした。 ある兵工廠の経理官は、地方のボスと結托し、軍需品の横流しを行い、巨額の金を私した。熊本では外出した兵が女学生を強姦した事件があった。 しかもこれらはわずかにその二、三の例に過ぎぬ。 海軍もまた、概ねこれと同工異曲であった。 否、陸軍よりもさらに腐敗していた。 呉の工廠では数年にわたって工廠長以下が出入り商人と結託し、多額の収賄を行った事件があった。ある地方では、海軍の兵が婦女子を強姦した。父兄が抗議すると、隊長は昂然として言った。「戦に負けて青目玉の子供を産むよりよいだろう」と。 |