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今の検察は自分には超やさしく、他人には改竄をしてでも起訴に持ち込む
http://31634308.at.webry.info/201112/article_16.html
2011/12/15 23:51 かっちの言い分
検察は前田元検事のフロッピー記録改竄の上司であった大坪元部長、佐賀副部長に、懲役1年6か月の求刑を行った。
検察側は、証人として出廷した当時の地検トップの検事正や同僚検事らの証言などに基づき、隠蔽工作の経緯を指摘し、両被告が共謀し、前田受刑者の改ざん行為を誤って書き換えた「過失」として処理する方針を決め、複数の同僚検事に箝口(かんこう)令を敷き、検事正らに「問題ない」と虚偽の報告をしたりして改ざんを隠したと主張した。
これに対して、被告は、前田元検事から過失だったと聞いており、隠蔽はないと主張している。
本ブログでは、検察の捜査の不当性、横暴を書いた記事が多い。なぜかというと、検察、裁判所は、人間が、人間を唯一裁くことを生業にしているからだ。人が人を裁くことは、その人物は、裁かれる人物よりははるかに高潔、公平、真実に謙虚、非傲慢、、などが必要である。嘘を言っていないか、本当に真実を言っているのかの真贋を見極める力が要求される。
人に求刑することは、その人の人生、運命を変える。刑が確定すれば前科物の烙印を付けることになる。今日の社会では、一旦前科者の烙印が押されれば、まず会社を辞めなければならす、今までの生活の糧の基盤を根底から失う。したがって、検事や裁判官が意図的に真実を捻じ曲げ、自分の独断、推認で判断されては堪らない。
だからこそ、刑法の一番の原則である、「疑わしきは罰せず」の原則がある。この考えは、その中に偶々本当に罪を犯した犯人がいるかもしれないが、決して無実の人を罰していけないといいう大原則である。
先日号のブログ『鈴木宗男氏の反撃始まる。島田建設事件の検察証人を訴える。』http://31634308.at.webry.info/201112/article_14.htmlで元福島県知事の佐藤栄佐久氏の話をとり上げたが、佐藤氏は元特捜部長が「巨悪は眠らせない」と言ったことに対して異議を述べている。つまり、巨悪を逮捕するには、無実の者を少しぐらい逮捕しても構わないということに繋がるとして警告している。
今回の大坪部長、佐賀副部長に対する1年6か月の求刑に対して、江川詔子氏は以下のようにツイートしている。
なぜ最高刑の懲役2年でなかったのかにゃRT @maido_osaka: 大阪地検の証拠改ざん事件。検察は、大坪、佐賀被告に極めて悪質な犯行と、懲役 1年 6 か月を求刑した。
今回の裁判では、前田元検事本人、またその同僚検事が、大坪部長、佐賀副部長も改竄したことを知っていると証言している。これだけの証言にも関わらず、「過失」で、「隠蔽」はしていないと主張している。大したものである。他人は改竄してでも起訴に持ち込むのに、自分は超かわいいらしい。
判決は来年3月に出されるというが、この裁判もどんな結果となるか予断は許さない。それだけ、今の検察、裁判所はなんでもアリの混沌状況となった。これが被告に有利な判決が出たら、世も末である。
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