http://www.asyura2.com/11/senkyo123/msg/587.html
Tweet |
「こんなに働いているのに、ちっともラクにならないじゃないか〜」
こんな悲鳴を、誰もが一度は上げたことがあることだろう。
だが、そんな愚痴めいた悲鳴ではなく、本当に心底、身体を酷使して働きながらも、所得が少なく生活が苦しい人、いや、苦しい女性たちが増えている。
「単身女性、3人に1人が貧困 母子世帯は57%」といったショッキングな見出しが新聞に踊ったのは、先週のこと。国立社会保障・人口問題研究所の分析で、勤労世代(20〜64歳)の単身で暮らす女性の3人に1人が「貧困」であることが分かった、と報じられたのである。
深刻な問題であるにもかかわらず、この問題を報じたのは朝日新聞だけだった(私が調べた限りではあるが……)。横並び報道が多い中、なぜこのニュースを報じたのが一紙だけだったのか、その理由は分からない。
特ダネ? そうだったのなら、「よく報じてくれた」と思う。
だが、実際はどうなのだろうか? こういう情報こそ、広く知らせる必要があるのに、広く報じられていないのは、なぜなのだろうか。
少なくとも、誰それが誰を批判したとか、選挙になりそうだとか何だとかいう情報よりも、大切なことだと思うのだが、マスコミにとってはあまり価値ある情報ではなかったのだろうか……。
広がる貧困の男女格差
いずれにしても、働く1人の日本人として、とても大切な情報だと思うので、改めて内容の詳細を紹介します。
2007年の国民生活基礎調査を基に、国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部の阿部彩部長が相対的貧困率を分析した結果、1人暮らしの女性世帯の貧困率は、勤労世代で32%、65歳以上では52%と過半数に及んでいることが明らかになった。
また、19歳以下の子供がいる母子世帯の貧困率は57%で、女性が家計を支える世帯に貧困が集中し、貧困者全体に女性が占める割合も57%と、1995年の集計より男女格差が広がっていた。
相対的貧困率とは、すべての国民を所得順に並べて、真ん中の人の所得の半分(貧困線)に満たない人の割合を指す。厚生労働省では、相対的貧困率における貧困線を114万円、OECD(経済協力開発機構)の報告では、日本の貧困線は149万7500円と公表している。
ちなみに、2009年の全世帯の平均所得金額は、549万6000円。母子家庭は177万円程度が平均年収だとされている。
さて、これらの数字を見て、どのような感想を持つだろうか?
「また不安をあおるようなことばかり書きやがって。日本の貧困率が高いとか何とか言ったって、携帯を持っているような人たちは貧困とは言えないんじゃないの?」
そんなことを、正直、内心思った人もいるはずである。
実際、今から3年前、厚生労働省が「わが国の相対的貧困率は15.7%」と発表し、主要メディア各社が世界ワースト4位で「貧困率が最悪の水準」と報じ、当時の鳩山由紀夫首相が「大変ひどい数字だ」とコメントした時もそうだった。
「あくまでも相対的貧困率であって、日本の貧困層は世界一裕福!」
「車を持ち、携帯を持っているような人たちの、どこが貧困なんだ!」
こうした批判が相次いだのである。
確かに、「過去1年に十分なお金がないために食料を買えなかったことがあった人の割合」(絶対的貧困率)を聞いた国際調査では、「はい」と答えた人は日本では4%で、米国の15%、英国の11%、中国の18%、韓国の18%などと比べると劇的に低かった。
でも、だからといって「相対的貧困率」が世間を惑わすだけの指標なのか? というとそんなことはない。
だって、働いても、働いても、稼ぎが増えない人たちがいて、その割合が年々増えていて、母子家庭では半数を上回っているということは、紛れもない事実だから。
そして、その必死に働いている女性たちが、生きづらさを感じているのも事実だから。
そこで今回は、「貧困」について、考えてみようと思う。
心に突き刺さった母子家庭の学生のリポート
「河合先生は、ものすごく恵まれた人なんだと思います。組織に入ったり、自分でやったり、そうやっていろいろとできるのも、恵まれているからです。僕の母は、ずっとスーパーのレジで働いています。いろいろとやりたいこともあったんだと思います。でも、僕を育てるために安い時給のレジ打ちをやっています。好きなことなんか何もできていないし、やりたいことなんかやっていないと思う。でも、ずっとずっとレジ打ちをやっています。僕はそんな母を誇りに思います」
これはある学生が、授業のリポートに書いてきた一文である。この授業は2回だけ、特別にゲスト講師として行ったもので、「キャリアに関して学生たちに考えさせる授業なので、河合さんのこれまでのキャリアについて語ってほしい」と担当の教授から依頼を受けた。
私は、学生たちに「やりたい」という気持ちを大切にしてほしいということ、目の前のことを、自分にできることを、時には「石の上にも三年」だと思って、一生懸命やってほしいということ、そんなことを伝えたかった。
300人近くいる学生たちのほとんどは、「やりたいことをやっていいんだと分かって、ホッとした」とか、「就職したら、石の上にも三年ってことを思い出したい」、「先生の話を聞いていたら、勇気が出た」、「自分を信じて、できると信じて、頑張りたいと思った」といったことをリポートに書いていた。
そんな中、「先生は恵まれている。僕の母は、安い時給でレジ打ちをしている。そんな母を僕は尊敬している」と、1人の学生が記したのである。
彼のリポートを読んだ時、胸が痛んだ。申し訳なく思った。彼の言葉は、重かった。彼は母子家庭で育っていた。
やりたいと思って、やりたいことができる人は恵まれている人――。
やりたいと思っても、その機会すら得られない。すなわち、機会格差。そんな機会格差の壁を、彼は訴えていたのだろう。
日本における母子家庭の母親の就業率は84.5%で、先進国の中でも高い。だが、平均年収は低い。背景にあるのが非正規雇用の拡大だ。
数カ月前に、働く人の3人に1人が非正規雇用となっていることが、総務省の労働力調査で明らかになったが、男女別の比率を見ると女性の方が圧倒的に高い。
25〜34歳では、男性16%に対して女性39.7%。35〜44歳では、男性8.5%、女性54.9%と、この年代で働く女性の2人に1人が非正規雇用ということになる。
「あしなが育英会」の報告では、遺児家庭の63%が非正規雇用で、母子家庭の手取り収入は月平均約12万5000円。6割以上の家庭が教育費の不足を訴え、高校生がいる世帯のうち、39.7%が経済的理由から進学をあきらめていたことも、同時に報告されている。
母親たちは安い収入で、少ない教育費で、必死に子供たちを育てている。中には、2つ、3つと仕事を掛け持ちし、1日の労働時間が16時間以上の人もいる。また、生活保護を受けられる基準にありながらも、「子供がいじめを受けるから」と申請を我慢する母親たちも少なくない。
子供には苦労させたくない。そんな思いで、母親たちは安い賃金で働いているのだ。だが、一向に所得は増えず、賃金格差だけでなく、機会格差にも苦しんでいるのである。
彼女たちにとって携帯や車はぜいたく品ではない
前出の学生には、母の苦労が痛いほど分かっていた。そして、私は、そういう女性たちがいるということを、頭では理解しながらも、本当には分かっていなかった。全くもって恥ずかしい話だ。
「やりたいことをやるために、目の前のことを必死にやる」ということが、やりたいことの機会すら得られない人たちにとって、いかに冷酷な言葉であるかということを、全く考えていなかったのだ。
2回目の授業の時に、働くことの意味について話し、そのリポートに、「先生の話を聞いていたら、働くことが楽しみになりました。一生懸命働いて、母がやりたいことができるように、僕は頑張ります。先生の授業を受けて良かったです」と、彼が書いてくれたのが、せめてもの救いとなった。
だからといって、彼を傷つけてしまったことが帳消しになるわけじゃない。私は、格差があるという事実に、これっぽっちも寄り添っていなかったのだ。
相対的貧困層が16%前後で、働く女性の3人に1人が貧困層──。この数字が持つ意味は、「何気なく接している人の中にも、苦しい思いをしている人がいる」「何気ない一言で、傷つく人がいる」という事実にほかならない。格差が広がるとは、こういうことなんじゃないだろうか。
「ほら、また女性問題となると感情的になるんだから。収入が低いことは認めるけど、携帯を持って車も持ってる人も多いじゃん。本当に貧しければそんなもの買えないでしょ?」
そう苦言を呈する人もいるかもしれない。でも、子育てをする女性にとって、携帯はぜいたく品ではなく必需品だ。学校やPTAの連絡のほとんどは、携帯メールが利用されている。携帯がなくては、大切な子供に関する情報も得られない。
車だって同じだ。首都圏にいると車は必要ないかもしれないけれど、地方では車がなくては生活ができない。ましてや、子供が寝静まってから仕事に出かけるには車が必要だし、子供たちの送迎にだって必要となる。
車がないことで子供たちに悲しい思いをさせるような状況にあれば、自分の食費を削ってでも車を買う。子供のためであれば、身を削ることなど母親にとっては、何でもない。
その“事実”に、私たちは正面から向き合ってきたのだろうか? 申し訳ないことに、私は向き合っている“つもり”になっていただけだった。学生のリポートがなければ、そのことにさえ気がつかなかった。情けない。全くもって、ひどい話だ。
ワーキングプアとか、生活保護受給者というと、報道される対象も男性が多いこともあってか、「男性の問題」というイメージが強く、「女性の問題」というと、管理職が少ないとか、役員が少ないという問題ばかりが取り上げられがちだ。
その陰で、シングルマザーたちの問題は見過ごされてきた。いや、見過ごしたのではなく、通り過ごし、見て見ぬふりをされたのだ。
以前、母親たちのストレス調査を行った時にシングルマザーの方がいて、「世間の偏見は、これだけ離婚する女性が増えても変わらない」とこぼしていることがあった。
低所得に苦しむシングルマザーの方たちの多くは、格差問題、貧困問題を見て見ぬふりをされているだけでなく、世間の「シングルマザー」に対する“まなざし”とも戦っているのである。
多くの大企業では、数年前から積極的に女性の登用を進めている。女性管理職を増やし、結婚して子供が生まれても、働き続けられるようにと、さまざまな取り組みを行っている。
それはそれで大切なことだし、どんどん進めてほしいと願っている。だが、時給900円で働く女性たちのための施策は、何か取り組んでいるのだろうか?
「いやいや、うちにはパートさんはいませんから」
こう答えるのだろうか?
では、その下請け、孫請けの中小企業にはどうだろうか?
それでもやはり、「いない」と答えるのだろうか。
いま私たちが直面している格差問題の本質
いや、分かっている。何も大企業の取り組みだけを責めているわけじゃない。だが、大企業の下請けの中小企業や零細企業で働く人たちのことまで、思いを巡らせたことがあるかどうか。それが問題なのだ。
消費税すら滞納せざるを得ない体力のない零細企業で、「厚生年金を負担するとなると雇えないよ」と悲鳴を上げる中小企業で、低賃金であえいでいる方たちのことを、ほんの一瞬でも思いやる。もちろんそれは、シングルマザーだけじゃない。働けど働けど、ラクにならない人たち。賃金格差だけでなく、機会格差にも苦しむ人たちに、だ。
「公務員のボーナスが増えた」という事実は、大々的に報道され、それを聞いた誰もが、「消費税だ、増税だと言っている時におかしいじゃないか!」と拳を振り上げ、怒りをあらわにする。
憎むべき相手がいる時には、議論はエスカレートし、メディアも動く。すべての新聞、すべてのテレビ、すべての週刊誌が、「公務員“だけ”優遇するな!」と叫びまくる。
だがなぜか、「働く女性の3人に1人が貧困」というニュースはひっそり伝えられるだけ。そこに「憎むべき対象」が存在しない時には、世間もちっとも盛り上がらない。
それこそが、いま私たちが直面している格差問題の本質なのかもしれない、と思ったりもする。
東日本大震災で、少ない救援物資を分け合っていた人々。どうにか寄り添いたいと、ボランティアに汗を流す人々。日本人には、そういう「分かち合う」優しいマインドがあるはず。
なのに、なぜか気持ちを「分かち合う」ことよりも、憎悪ばかりが猛威を振るうのだ。
寄付大国ともいわれる米国では、低所得の人たちでさえ、年収の4%の寄付をしているそうだ。米シアトル・タイムズ紙に掲載されたシングルマザーの言葉が話題になったこともあった。
「カネのない人間の方が、困っている人の気持ちがよく分かるのよ」(シアトル・タイムズ紙電子版2009年5月23日付けより)
ひょっとすると日本の貧困層が世界的に見ると、比較的豊かであることが格差問題をなおざりにさせているのかもしれないけれど……。憎悪よりも、分かち合おうという志。その“志”を、政治家、官僚、経営者、働く人々、すべての日本人が持たない限り、格差問題、貧困問題は泥沼にはまっていきそうな気がしてしまうのであった。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111214/225187/?bv_ru
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK123掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。