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堕国論 U
http://diamond.jp/articles/-/15349
2011年12月15日 週刊・上杉 隆 :ダイヤモンド・オンライン
■内閣総理大臣ですら洗脳する官報複合体の「嘘」
東京電力福島第一原発の事故は、日本の社会システムの欺瞞、とりわけパワーエリートたちの驕りを、世間に知らしめるきっかけになったようだ。
放射能事故における数々の情報隠蔽は、結果、多くの国民を被曝させ、それは食品などを通じて内部被曝という形で現在も進行している。また、そうした放射能事故処理の失敗は、国際的に日本という国家全体の信頼を落としめるに十分なものになっている。
果たして、そうした欺瞞は、徐々にではあるが明らかになりつつある。それは、原発事故以降、自由報道協会などを中心としたフリーランスやネット、あるいは海外メディアたちの努力によって事実に近い情報が明らかになってきたことが大きい。
とりわけ、インターネットの役割は大きい。とくにツイッターなどのSNSやニコニコ生放送、IWJのユーストリーム中継などによって、一部の国民が、政府やマスメディアの隠してきた現実に直面し、情報を比較検証できるようになったことが覚醒をもたらしているといってもいいだろう。
だが、それでも、そうした動きはあまりに遅い。震災発生から9ヵ月、手遅れになり始めている事象もある。なにより、霞ヶ関や記者クラブなどの「パワーエリートたち」は、いまなお自らの保身のために、「嘘」をつき続けているのだ。
官報複合体によるそうした「嘘」は、国家権力の頂点にいるはずの内閣総理大臣ですら洗脳してしまっている。
先週9日、野田首相になって初めて記者会見で質問をすることができた。
〈(内閣広報官)
それでは、次の方。
それでは上杉さん、どうぞ。
(記者)
フリーランスの上杉隆です。3月11日の震災から9ヵ月経ちました。当時、総理も閣内にいた前政権の中で、工程表の件に関してなんですが、ステップ2完了を9ヵ月で終わり、そして安全に避難民が戻れるという最初の発表がありました。また当時、市場に出ている食品は全て安全ですという枝野前官房長官の発言、それから格納容器は健全に守られている、レベル7に到達するような事象ではない。このような発言がありましたけれども、この当時の政府見解はどうも今現在違っているんではないかと思うんですが、そのことに関して変更、つまり訂正はあるのか。あるいはですね、なければそのままで結構なんですが、例えば粉ミルクからセシウムが検出されたとか、あるいは先ほど総理ご自身の冒頭の発言で事故の収拾を来年度にするという発言があったので、ちょっと前者の発言と矛盾するんじゃないかということがあるんで、その辺り、かつての政府見解から変更があるか、訂正があるのか、なければお答えいただかなくて結構です。
(野田総理)
確か今年の4月にですね、事故収束に向けての工程表をつくりました。そしていわゆる第2ステップ、冷温停止状態をつくるには来年の1月までという工程表だったというふうに思います。その工程表をなるべく前倒しをしようということで取り組んできて、なんとか年内にそれを発表できるかどうか、という今最終的な調整をしています。冷温停止状態にするということは、これは圧力容器の底部のところの温度を本当に冷温になっているかどうか、現時点ではこれは冷温になっているというふうに思います。加えて放射性物質の管理が安定的かどうか、こういう観点から冷温停止状態であるかどうか等々の総合の判断をすることになっていまして、それはその工程表に基づいて作業を進めてきてそしてそろそろ結論を出せるかどうか、という状況だというふうに思います。なお、例えばコメの問題。一部地域から出荷停止という状況になりました。それから今粉ミルクの問題等々出ております。食べ物についてはこれまで以上に細心の注意を払ってですね、検査をしていく。そして国民の皆さまに安心安全をきちっとご説明できるような環境整備をしなければいけないということは、依然としてこれはやはり宿題として残っているというふうに思っています〉(12月9日、内閣総理大臣会見)
http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/201112/09kaiken.html
■欺瞞に満ちた言葉の修正による「冷温停止状態」に何の意味があるのか
冷温停止状態――。
こうした文言の変更による事実関係の巧妙な修正は、3.11以降、霞ヶ関やマスメディアで繰り返し行われてきた。それは、情報隠蔽のための常套手段であり、また自らの責任を回避するための防衛策でもある。
そもそも、「冷温停止状態」とは何か? 少し前までそれは「冷温停止」と言った。だが、冷温停止の定義に現実を合わせることが不可能とみると一転「状態」という言葉を勝手に付加し、巧妙な修正を行ったにすぎない。
さらに思い出してほしい。事故直後、政府やマスコミは、その「冷温停止」という表現自体も別の言葉、「冷却完了」といっていたのである。
つまり、「冷却」も「冷温停止」もできない、だが、工程表(これも繰り返し修正しているが――)は守りたい、その結果、「冷温停止状態」という言葉を創作し、国民の目をごまかそうという魂胆なのである。
政府はあす(12月16日)にも「冷温停止状態」を宣言するだろう。そして、マスコミも、無批判にそれを報じることになるだろう。
そうした欺瞞は決して許すべきではない。なぜなら、その「嘘」は単に「嘘」ではなく、国民の健康や国家の信頼に大きく関わることだからだ。
同じく先週9日、筆者は、野田首相にこうも尋ねた。
〈(記者)
安心・安全という部分では、最初の工程表の手順では、除染が終わった地域に住民をお戻しするというふうな話だったんですよ。除染が終わった地域から。ところが現状では、お戻りになってから除染をすると変わったんですが、180度話が違うんですが、安心・安全の精神から逸脱するんじゃないでしょうか。
(野田総理)
いわゆる冷温停止状態を確立をすると。ステップ2が終わった段階で警戒区域の問題とかのゾーニングをどうするか、という話になってまいります。その警戒区域等の見直しをする際に一日も早く故郷に帰還できるために、どの地域からどういう形で除染をするかという、そういう作業になっていくというふうに承知をしています〉(同前)
野田首相と官報複合体は国民で人体実験を行おうとしているのではないか。そこまで警戒区域の解除を早める理由はなにか。
それは、3.11の原発事故発災以降も、原子力国家のパワーエリートたちの利害が一致し、国民の健康や国家の国際的信頼を犠牲にしてでも、自らの立場を守るために公的な情報を加工・修正しているというつまらぬ面子の問題にすぎないのだ。
驚くべき国家の出現である。自国民を進んで犠牲にする国が、民主国家を標榜し、先進国の一員であると大きな顔をしているのは悪い冗談以外の何ものでもない。
■「緊急時の情報隠蔽は義務違反」 佐藤栄佐久元福島県知事の嘆き
5年前(2006年5月)、東京電力福島第一原発の危険性をいち早く指摘した佐藤栄佐久福島県知事(当時)は、出席した欧州地方自治体会議で、直前に採択されたロシア・スラヴィティチ声明を知った。
筆者がキャスターを務める『ニュースの深層』(朝日ニュースター)に生出演した際、その声明に触れ、福島原発事故後の酷い情報隠蔽を嘆いた。
「スラヴィティチ声明の第4条はこう謳っているのです。原子力の管理、および事故の対応においては、『広範で継続的な情報アクセスが確立されなければならない。国際機関、各国政府、原子力事業者、発電所長は、偽りのない詳細な情報を隣接地域とその周辺、国際社会に対して提供する義務を有する。この義務は平時においても緊急時においても変わることはない』と。政府は当初、緊急時なので情報は出せない、出すとパニックになるといっていました。明確な義務違反です」
佐藤氏の指摘するように、パニックを防ぐという根拠のない理由によって、官僚、メディアなどの日本のパワーエリートたちが、こぞって情報隠蔽を続けていたのは紛れもない事実だ。
それは辞任直後に、菅直人前首相が自ら認めていることである。だが、換言すれば、そうした情報隠蔽は犯罪行為を自ら認めたに等しい。
少なくとも、スラヴィティチ声明に書かれた緊急時の情報提供義務に違反している。
■責任を取らない日本のパワーエリートたち 国民は騙せても、世界では通用しない
政治は結果責任である。報道も結果責任である。だが、日本のパワーエリートたちは誰一人責任を取ろうとしない。むしろ、汲々として自らの身を守ることだけを考え、結果として正しいことを発信し続けてきた多くの人々を社会的に抹殺してきたのだ。それが、日本の社会が行ったこの9ヵ月間の現実である。
政府や官報複合体が、起こりもしないパニックを理由に、原発事故の真実を知らせず、多くの国民を被曝させたという事実は決して拭えない。それらはいま次々と明らかになっている。
だが、少し手遅れだったようだ。国内の一億人以上の国民は洗脳して騙すことができても、それは世界では通用しない。
原発事故を直視できない日本という国家への疑念は、確信的な不信に変わってしまった。
もはや、現在の日本は堕ちるところまで堕ちなくてはならないのだろうか。そうやって先進国から脱落し、放射能との長い闘いを続け、復活の道を模索しなければならないのだろうか。
このコラムでも繰り返し言い続けてきてきたように、現実を直視しない限り、原発の収束も、震災からの復興もありはしない。
今回の原発事故は日本人全員に発想の転換を求めている。それは、堕ちるところまで堕ちなければ、日本の再生はないという厳しい現実を見ることから始まる。
「生きよ、堕ちよ」(坂口安吾)
日本は、一度、滅びないと生まれ変われないのかもしれない。
次回、ジャーナリスト上杉隆による本コラムは最終回を迎える。
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