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(回答先: 日米開戦70年を迎えて 320万人殺された悲劇繰り返すな - 長周新聞 投稿者 sotsukunangu 日時 2011 年 12 月 11 日 18:42:49)
「風見鶏」真珠湾の埋もれた教訓
編集委員 秋田浩之
約140万人の兵士を動かす米国防総省(ペンタゴン)。ひとつの判断ミスが、多くの人命を奪うことになりかねない。
では、国防長官や軍司令官は何をよりどころに作戦や戦略を決めるのか。側近の助言やインテリジェンスを頼りにするのは当然としても、もうひとつ、彼らが大切にしている判断材料がある。それは歴史だ。
「歴史局」(Historical Office)。巨大なペンタゴンの建物には、こんな風変わりな看板をかかげた部署がある。過去の軍事行動の失敗例や米軍が関与した国々の歴史などを調べ上げ、同じ過ちを繰り返さないようにするためだ。
ペンタゴンだけではない。陸、海、空、海兵隊の各軍にも歴史部局がある。「政策の決定にとって極めて重要な歴史の情報を軍首脳に提供している」(米陸軍)という。
米軍がそうした取り組みを始めたのは、第2次世界大戦の真っ最中の1943年だった。その教訓を次の戦いに生かすため、歴史家や地図の制作者らによる記録チームを立ち上げたのがきっかけという。
ひるがえって日本はどうか。近代の最大の失敗が、日本人だけで300万人以上の死者を出した第2次大戦であることは言うまでもない。70年前の41年12月8日、真珠湾を攻撃し、米国との戦いに突入した。
なぜ、勝ち目のない対米戦に向かったのか。
対中政策の誤算、ヒトラー、ムッソリーニと組んだ日独伊三国同盟の締結、米国の出方の読みあやまり……。吉田茂政権下の51年、こうした失敗を反省する文書はまとめられた。ところがその後、政府がさらに検証を進め、教訓をくみ取る作業をした形跡はない。
「日本は先の大戦で国を滅ぼす一歩、手前まで行った。外交も完全に失敗だった。しかし、どこで誤ったのか、政府としてきちんと検証しないままいまに至っている」
54年に外務省に入り、沖縄返還など多くの交渉にかかわった栗山尚一元駐米大使(80)は、自戒を込めてこう語る。「外務省で戦前、日独伊三国同盟を支持したといわれる人たちが戦後、幹部になっていた。これには違和感を持った」
その外務省にもひとつだけ、戦前の失敗を検証し、公式に総括した例がある。同省の不手際から開戦の対米通告が攻撃に間に合わず、英米などから「だまし討ち」の非難を浴びることになった一件だ。
これについては暗号を解読し、タイプに打つのに手間取った駐米大使館のせいにする見方があり、館員の遺族らは異議を唱えていた。そこで外務省が過去の文書を調べ「駐米大使館だけでなく、本省の対応も遅かった」という総括を90年代前半にまとめたという。
それにしても、どうしてこの程度のことに半世紀もかかるのか。このままでは大戦の検証はとてもおぼつかない。
「過去の失敗を総括するにはだれがいけなかったのかを特定し、事実上、名指しで糾弾しなければならない。日本にはそういうことを嫌う集団意識がある」。経緯を知る外務省の元幹部はこう打ち明ける。
仲間をかばおうとするあまり、戦争の失敗を検証できず、あいまいなまま時が流れていく。これは外務省にかぎらず、他の省庁や政治家、旧軍幹部、そしてメディアにも当てはまる。
戦争に敗れた日本は戦勝国の米国にもまして、どこで間違えたのか、じっくり検証する必要がある。同じ落とし穴にはまらないためにも、真珠湾の教訓に光を当てたい。
[日経新聞12月11日朝刊P.2]
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