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前回、マルクス経済学(競争の強制法則)も市場原理主義者(自生的秩序)も、理論上の最善は「共に市場への人間の意識的・積極的介入を否定します」と述べました。しかし現実の政治では、民主主義の進展によって、また理論的にもフェビアン主義や社民主義、ケインズ理論によって市場への規制や介入が行われています。
共産党の不破さんもマルクス主義から、北欧型の社会民主主義・福祉国家主義への転換をめざしているように見えます。これは19世紀末からの参政権(民主主義)の拡大を念頭に、現実に合わせざるを得なかっただけで、すでに説明しているようにマルクス主義の二大原理(剰余価値説、唯物史観)とは矛盾しています。今日では、マルクス的共産主義は、不破・志位未来論に見られるように、ほとんど「空想的共産主義」になろうとしています。
「空想的共産主義」(=科学的社会主義)というのは、「生産手段の社会化」に端的にあらわれています。一体「生産手段の社会化とは何なのか。社会化された生産手段を所有・管理・運営する主体は何(誰)なのか」を考えてみれば、世界、国家、地域、企業体等の膨大な生産・物流の情報を、市場(交換過程)無しで想定することは不可能ではないでしょうか。地球環境も人間の認識・制御能力も、マルクス主義者が考えるほど単純でも楽観的でもありません。
ここでマルクスが市場の等価交換を前提し、社会主義・共産主義では、市場の廃止を想定したことの欠陥が露呈するのです。搾取が生産過程でなされるなら、生産手段の社会化(共産党管理)が有効かもしれません。しかし、事実としては市場の契約で搾取(不等価交換)が行われるのですから、その利害の調整(共産党と労働者の対立)は、マルクス主義を前提とする限り新たな階級・党派闘争を生じることになります。
「空想的共産主義」という誤ったイデオロギー支配が、管理(指導)権闘争と社会の不断の対立・混乱を生み出すのです。そこでは社会契約にもとづく公正な市場の交換ではなく、偽善、詐欺、欺瞞、コネ、闇市場、腐敗等が蔓延し、国民の不満を抑えるための経済成長が地球環境を破壊します。また深刻な利害対立は、共産党による計画的生産計画を阻害し、反対勢力の妨害による生産力の低下が起こります。
空想的共産主義の社会では、確かに資本家による支配と搾取はなくなるかもしれないけれど、「国民が主人公」ではなく「共産党が主人公」となり、共産党による搾取が行われるのは理論的必然なのです。いかに不破さんや志位さんが善人でも、Kakasiのような批判をすれば冷静ではおられないでしょう。ハシズムのような共産党指導者が出現すれば命の保証はありません。マルクス理論の虚偽と偽善と欺瞞を放棄しない限り、共産党には未来を語る資格はありません(放棄すれば「理想的共産主義」の実現をめざす政党として存在理由が生じます)。
今回は言い過ぎたかもしれません。次回は唯物史観と未来論の批判を続けます。長くなりましたので今回はここまで。
前回までは<BW32mpuE76J86> を検索してください。
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