http://www.asyura2.com/11/senkyo123/msg/298.html
Tweet |
鈴木宗男氏に、まずは「お疲れ様」と言いたい。久しぶりに聞く「宗男節」に聞き惚れた。「政治家らしい政治家」、「生涯政治家」を公言する鈴木氏の真骨頂を会見に見た。「政治は弱いものの為にある。」という鈴木氏の言葉を煎じて現職の国会議員に飲ませたいと思った。現状の政治は「強いものには弱く」「弱いものには強い」というのが実情だ。「弱いものに光を当てる」ことこそが政治家に求められる役割だと思う。
もう一点、鈴木氏が他の政治家と違う点を挙げるならば鈴木宗男氏は体を張って政治に取り組んできた。言葉だけでなく行動によって政治を動かすことを実践してきた。今の政治家に一番かけている部分を鈴木氏は持っている。
原子力協定締結案が衆議院を通過したようだ。私は断固反対だ。党内での議論も余りされないまま議案が提出されたようだ。小沢グループの一部の議員は採決に反対したようだ。小沢さんは採決の本会議を欠席したようだ。小沢さんもこの法案には、反対なのだろう。
前にも書いたが、原発を輸出した国で原発事故がおきた場合の賠償責任について政府が慌てて情報収集を始めたくらい拙速に法案提出が進められた経緯がある。「原発は安全」どころか、ひとつ間違って大事故が起きた場合、小さな国であれば住民全てが国土に住めなくなるくらいの破壊力を持った「国を滅ぼす時限爆弾」にもなりうることを日本は身をもって経験したはずなのだが・・・。
そして、事故が起きた場合の賠償や保障に莫大な費用が必要になることも実感しているはずなのだが、それらのことに対する反省と経験が生かされず兵器にもなりうる原発を安易に輸出しようとしていることに、憤りさえ感じる。世論では「原発輸出反対」の意見の方が多いようだ。それが原発事故を経験した国の多くの国民の素直な気持ちではないのか・・・。
福島原発の事故対応を見ていても政府や東電に「弱いものに対する視点」と「推進したことに対する責任と反省」が欠けているように思えてならない。政治の役割が機能していない状況だ。事故から9ヶ月が過ぎようとしているが、いまだ放射能については暫定基準値のままだ。緩い基準で設定した暫定基準値をそのままにしていることが、混乱と不安を増幅させている原因となっていることを政府は認識していないのだろうか・・・。
放射能は「水で薄めれば低くなるから安全だ。」という論理がまかり通っているようだが、この論理には無理があるように思えてならない。私は科学者でも専門家でもないので専門的なことはわからないが、例えば1の質量の放射性物質を水で3倍に薄め3つのコップに分けた場合、1杯の摂取量は3分の一になるかも知れないが3杯飲めば薄めない場合と同じ摂取量になるはずだ。薄めて放射性物質が溶け放射能値が低くなるわけではない。総摂取量で判断すべきだと思われるのだが・・・。
そう考えれば、普段の生活で水、食物、空気中などから摂取する放射能の総摂取量を基準に安全基準を考えるべきで、個々の食物の基準値を問題視するだけでは、片手落ちだと感じるのは私だけであろうか。「日本産の農産物や食料品は安全だ。」という「安全ブランド」の評価が大きく低下している。これによって受ける損害も、また莫大なものになるだろう。
原発事故により「日本=安全」というイメージを大きく損なったことに対し政府や東電、経済界はどう考えているのだろう。「外国産の方が安全だ。」とさえ思われるようになりつつある現在の状況に対し政府はどのように対応しようとしているのだろう。野田首相は「増税に不退転の決意」を示す前に、まずは「国民の生命と安全を守ることに不退転の決意で取り組んで欲しい」と願うのは私だけであろうか。
http://haru55.blogspot.com/2011/12/by.html
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK123掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。