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小沢を批判する記事があれば、雀のように寄ってきて、ピイチク、パーチク姦しい会員どもよ、
小沢をネタに、政治を語る他は、何も言えないくせに、天下国家を論じている錯覚に気がつかない。
彼等が根拠としていることは、小沢が平常言っている程度の一般論を出ることなく、それを縦にし横にすることで政治を語っているつもりである。
政局を見るべき、時期が早いなどと、まるで小沢が完全無垢で、小沢に頼ればそれだけで望む社会が現出されるような、幼児のごとき過剰な期待に酔いしれている。
それが正しいか、否かは、TPPの問題一つをとっても疑問であるのに。
知識を弄ぶのみの彼等は、それで政治に参加しているつもりで自己満足に浸っているのである。
政治とは、革命とは、一人のリーダーに白紙委任状を渡してなせるものではないのである。
そんな英雄は現れないのである。
小沢一郎を理解することは、リーダーと認め行動を共にすることは、小沢自身に託せることの他に、同士としての小沢を批判的に見る目もあわせ持ってしかるべきなのである。
それなのに、彼等にとって宝物のように思える小沢を非難されて心情的に目が眩んで醜い小沢擁護を展開することで逆に小沢の足を引っ張っていることが判らない。
好む、好まざるに関わらず、マスコミの為に小沢は汚い奴と思い込んでいる人の方が小沢を信じる人より多いこと、かつ、小沢に関心さえ示さない多くの人が多いことをしっかりと認識しなくてはならない。
小沢を論じることが、個人的な趣向の範囲ならば、そのような人は関係なく喋っていれば良い。
それと異なり政治を、日本を変えるために小沢を論じるならば(皆さんが自分の政治を語っていると言う、自己満足するため思い込みでなく真剣で)小沢の全容を論じることに何の反感をもつことがあるのか。
小沢を批判して、どうして不倶戴天の敵となるのか。
小沢救済を第一目標とするならば、今のままでも良いし、小沢信者と言われる人の発言に異を唱えるものではない。
しかし国家、国民を論じる立場であれば、小沢に凝縮する改革への思いはいかにも矮小であることを認めるべきである。
最近全国で起きている市民のデモや抗議活動の流を御覧になればよい。
反原発、反TPP、格差に抗議するオキュパイ運動に参加する人たちが、小沢支援デモに比べてどれほど多く集まってきているか。
それは、今までの小沢支援のデモが、同じように社会のありようを考えている彼等を抱合できていなかった証拠であるのだ。
小沢支援の活動をやっておられる方は、そこのところを深く反省する必要があるのである。
皆さんが国家、国民を念頭に置いて小沢を論じることも同じである。
コメントにおける私への反論も、皆さんが小沢個人の救済が目的であれば止むを得ないと受け止めよう。
この様なことを言いながら、天下国家を論じているとは言わせない。
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