http://www.asyura2.com/11/senkyo123/msg/214.html
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日本共産党の不破さんの古典教室が行われています。毎回紹介していますが、わかりやすいので聴講されることをおすすめします。テキストはエンゲルスの『空想から科学へ』です。政治に関心を持つ人にとっては常識になっているテキストです。
http://www.jcp.or.jp/kk_kyousitu/
講義冒頭不破さんは、「マルクスの原点に帰って、社会主義の理論を発展させる」と述べています。Kakasiは、原点が誤っていると考えます。
不破さんは、「資本主義社会が深刻な矛盾に直面しており、この解決には社会が生産手段を掌握する以外にない」と述べ、地球温暖化や原発爆発を、資本主義の矛盾の現れと捉えています。しかし、これはテキストの「資本主義社会の経済的衝突」を拡大解釈したもので、エンゲルス(マルクス)の「経済的衝突」や「生産力と生産関係の矛盾」は、「成長や制御の限界」を意味しておらず「資本主義の矛盾」とは全く異なります。
そもそもマルクスの誤りを見抜くことさえできない不破さんに、資本主義の矛盾を見通す力や生産の管理を委ねることを期待するのは困難です。マルクス・エンゲルスにおいても自らの人間理解の限界を認識できないのですから、生産力を社会化することによって、人間(生産者)の認識能力を結合したとしても、今日的な科学技術(生産手段)のすべてと、多様な人間文化と欲望を「生産者・勤労者集団(実は党官僚)」が掌握することは不可能です。
一般的に、人間の認識や知識、言語の相対性(可謬性)を理解しない人間は、民主社会の指導者(管理者)にふさわしくありません。
さて、前回までの結論は、「等価交換は、マルクスを含む経済学者の欺瞞・詐欺・絵空事にすぎない」また、「労働者の低賃金は、交換(流通)過程における不等価な交換契約による」というものでした。経済学者が解明できなかったこの結論は、「自由市場経済の欺瞞性」と「新社会契約論」の検討を導くことになります。
交換価値は、労働力や効用や利潤(損失)が含まれ、市場における交換当事者間の社会的交換交渉(契約)によって決まります。商品の交換価値は、売買当事者間の力関係・交渉能力・交換条件によって決まるので、彼らの置かれた歴史的社会的個人的意識状況が、価値決定に大きな影響を与えます。人間の交換契約における意識(価値観・取引観他)は、社会的存在(立場・状況)に影響されますが、逆に社会的状況を変えることもできるのです。
交換当事者の「合意」による商品交換は、かつては、経済学者が前提として認めるように合意である限り等価であり合法とされました。しかし今日では自由放任の思想は修正され、独占的契約や不当な労働契約は、合意すること自体が非合法化されています。それは等価であるけれども非合法なのではなく、現実には不等価(低賃金・独占価格等)であるからこそ不公正なものとして非合法化されるようになったのです。
マルクスは、人間の意識の社会的物質的経済的被拘束性を強調して(唯物史観)、自由放任下の労働力の不等価交換を合法化し、また、反マルクスの市場原理主義者は人間の市場介入を批判します。共に市場への人間の意識的・積極的介入を否定します。マルクス主義は、賃上げや社会改良(福祉増税)よりも政権奪取(革命と選挙)と生産手段の社会化を、反マルクス主義は、賃上げや社会改良(福祉政策)よりも、競争と成長戦略(強者支配と市場原理主義・自生的秩序)を主張します。
両者ともに「自由市場経済の欺瞞性」と社会的利害関係(意識形態)を自覚させる「社会契約」の必要性について言及することはありません。彼らにとって、市場における具体的人間の契約関係などどうでもよいのです。というか、経済学の役割として、ミクロにせよマクロにせよ全体的な経済社会(の法則性)が問題なのです。その結果、政治経済学の失敗と混迷を招いているのです。・・・・・・
長くなりましたので今回はここまで、管理人さん悪しからず。
<BW32mpuE76J86> で検索していただけば、わかりやすいかも・・・。あわせて以下のサイトも参照を・・・・・・。
http://www.eonet.ne.jp/~human-being/page9.html
http://www.eonet.ne.jp/~human-being/page10.html
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