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60年続いた自民党政治の為に疲弊し閉塞した日本を立て直す為の政権交代は維新であり革命とも言えた。
それをリードしてきたのは小沢一郎であり、国民は投票で応え政権交代を実現した。
国民が支持した、新しい政権を眩しいばかりに思い、期待したものである。
その民主党政権が進んだ道は、ようやく倒した自民党と同じ、否、自民党よりも酷い政治を始めた。
鳩山内閣のときは、呆れながらも、将来を期待して見守るものも多かった。
だが、2年間の軌跡は、民主党という政党には、国民が期待することが出来ないばかりか、益々我が国を疲弊させる極悪政党であることが判った。
この時点で、2年前の維新、革命は頓挫したのである。
この間、我々は、小沢一郎の動きに注目してきた。
民主党は、ともかく、我々が信じたリーダー、小沢に期待したのである。
その小沢は、確かに、その後の民主党代表選に出馬して民主党の政治を変えることを試みてきた。
そのための画策もやってきたと思う。
しかしながら、党内での政策方針に対する抗議、闘争をやった形跡は殆どない。
飽くまでも選挙と言う領域での抵抗運動であった。
そのことを疑問に感じながら、小沢を見てきたが、折から起こった大地震、それに関連して原発問題、TPP参加の問題など、ただ傍観していることが出来ない政治的状況に陥ったとき、菅内閣不信任案騒動が起きた。
このとき、決然として、民主党政治を糾すと見えた小沢が、腰砕けの態度を取った。
小沢は、ここで第2の革命、小革命を起こすべきであったのである。
それが民主党政権を作った国民の英雄としての小沢の使命であったのである。
これが出来なかった理由に、多くの人は小沢の裁判のことや、マスコミの中傷を上げる。
しかしながら、維新、革命と言うものが、権力側からも好意を持って受け入れられてきたことがあるのであろうか。
革命及び革命的改革と言うものは、常に弾圧の中で成し遂げられたものである。
成功の可能性も保証されたものではない。
小沢を巡る我が国の状況が、他の勇者と比較して困難なものでは決してないと考える。
一方、我が国で自民党政治を批判し、民主党政治に不満を抱くものは何であろう。
官僚の腐敗のことは明確に意識されているが、それ以上に疲弊した日本、弱肉強食の市場主義経済に追いやられた弱者の救済の声ではないか。
この根本を意識すれば、我々が求める新しい政治は、小手先の金融政策、TPP参加などで乗り切れるものではないことを知るべきである。
要するに革命的改革がなければ日本は立ち直ることが出来ないのである。
で、あれば、この四面楚歌の状態で、小沢は英雄でなければ我々の期待に沿うことは出来ない。
英雄の資質はあっても、多くの民衆が共に立ち上がって付いて行かねば英雄は現出しない。
菅内閣不信任案騒動のとき、私は小沢が立ち上がり、我々が小沢を英雄に出来る夢を抱いたものであるが、そうは行かなかった。
立ち上がっても、孤立無援の中で消滅することを恐れたのであろうが、それは英雄らしからぬ言い訳けに過ぎない。
橋下は独自の方法で国民の支持を得られるように画策している。
小沢にも2年と言う時間があった。
自らの刑事事件の事はあっても、それを起こすことは可能であった。
英雄とは弾圧の中に咲くものである。
私は、小沢一郎に英雄の姿を合わせ見てきた。
一部の小沢信者のように、小沢が復帰して、それなりの政治家であればよいような事は考えても見なかった。
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