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大久保さんと私の本当の仲 [これまでとこれからの「小沢一郎」の話をしよう・衆議院議員 石川知裕]
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2011/12/2 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
今週、小沢一郎氏の公判に大久保隆規・元秘書が証人出廷しました。
大久保さんは陸山会の会計責任者という肩書になっていたため、陸山会事件で全体の指示をしたように思われているかもしれませんが、実際は経理に一切タッチしていません。大久保さんは外との交渉役、私が経理の実務担当。そこは完全な分業制でした。対外交渉とお金の管理が同じルートだと、不正や癒着が生まれかねませんから。小沢氏なりの配慮があったのだと思います。
永田町には、大久保さんのような「名ばかり会計責任者」が少なくありません。収支報告書にしても、まるっきり秘書任せで、ロクに中身も確認しない議員がほとんどでしょう。
陸山会事件の1審が終わってから大久保さんとは会っていませんが、今回の報道を見るかぎり元気そうで安心しました。
大久保さんが書生として小沢事務所に入ってきたのは、99年秋のこと。私はすでに小沢邸で住み込みの書生を始めてから4年目で、秘書として働いていました。ちょうど99年は地元の岩手事務所に勤務していて、釜石市を担当。6月ごろ、地元の人に大久保さんを紹介され、「サンルート釜石」というホテルで会ったのが初対面でした。
大久保さんは、春に行われた釜石市長選で落選して、浪人中。でも、熱く政治を語り、「小沢先生のところに入門したい」と話していました。私は「この人、落選したのに、どうしてこんなに元気なんだろう」と思った記憶がありますが、その年の秋には本当に小沢事務所に入ってきたのだから驚きました。
小沢事務所の書生は20代から始めるケースがほとんどですが、大久保さんは当時、すでに38歳。釜石市議の経験もあったため、最初から書生かつ秘書という立場でした。年齢は私の方がひと回りも下なので、大久保さんには「呼び捨てにしてくれてかまわない」と言ったのですが、一応、私の方が先輩秘書ということで気を使ったのでしょう。「石川ちゃん」と呼ばれるようになりました。
樋高剛さんら大先輩の秘書たちが選挙に出たことで公設秘書の席が空き、大久保さんが昇格した時に、私に新品の黒いコートをプレゼントしてくれたことは忘れられません。当時の給料からいったら、高い買い物だったと思います。
「石川ちゃんの方が先に事務所に入ってるし、大学も出ているんだから、先に(公設に)なるべきだ」と言っていました。人情味のある人でしたね。同時に激情型でもあって、怒りながら泣く姿を何度見たことか。時には取っ組み合いのケンカもしました。原因はたわいもないことなんですけどね。事務所に新しく入ってきた女の子を私が厳しく叱って泣かせたとかなんとか……。飲み会の席で、大久保さんがいきなり「なに泣かせてんだ!」とキレて、つかみかかってきた。こっちも酔っているし、引きません。結局、スーツが破れるほどの大ゲンカに発展。大久保さんが「オレが悪かった」と折れたのが、朝3時。翌日がつらかったですね。
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