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かけはし2011.12.5号
東日本大震災の被災地、特に東北には厳しい冬が訪れようとしている。震災直後の寒さが再び近づいているが、被災者が生活を取り戻す道筋が見えているとはとても言えない。特に、水産特区や高台移転をはじめ被災者とはかけ離れた形で策定された復興構想の上意下達的押しつけが際立つ宮城県で、それは顕著だ。被災者の多くの生業である一次産業に、東電福島原発の事故が重くのしかかっていることがそこに深く関わっていることも、はっきり確認されなければならない。第三次補正予算が増税と一体的に決定されようとしている今、真の復旧・復興とはどのようなものとして追求されるべきかが、あらためて問われている。一見合理的に見える高台移転一つとっても、当地にいくらかでも土地勘のある者から見れば、たとえば適地の不足など、あまりに安易、無責任と言うべき問題を数多く含んでいる。復旧・復興は、机上の論理では済まされず、被災者が直面する具体的な問題と正面から向き合う中から探り出されなければならない。その観点から本紙は、復旧・復興に今問われている問題点を、亀谷保夫東北全労協事務局長、大内忠雄宮城全労協議長の二人に語ってもらった。以下にその要約を紹介する。両人とも震災直後から、宮城県を中心に各地の被災地とつながりながら、救援から復旧・復興にいたる一連の課題に取り組み、全国にも発信してきた。以下ではその経験を背景に、被災者を取り巻く困難が具体的に語られている。また、命を再び失わせないという出発点を共通のものとして意識的に据えることを通じて、復旧・復興と脱原発の闘いの統一的展開をめざすべきとの観点も提起されている。(構成・文責――本紙編集部・神谷哲治)
住民間の対立利用する行政
――復旧・復興をめぐって、被災者はどのような問題に直面しているのか、問題の広がりは大きいと思うが、まず最初の具体的糸口として、宮城県が押し進めようとしている高台集団移転方針が引き起こしている問題から始めたい。
亀谷――まず前提として、復旧・復興の基本的目的に根本的な隔たりがある。つまり経済問題を軸とした復旧・復興か、それとも生きるための、くらしを取り戻すための復旧・復興かということだ。被害を受けた人たちにとってはもちろん後者が何より第一の問題だ。われわれが要求すべき復旧・復興もそこだ。
ところが全体的には、被害を受けなかったところの人は前者に傾きがちだ。つまり住民内部に対立がある。そしておおざっぱに言えば、宮城県が依拠するのはこの、単純計算からいえば多数の、被害を受けなかった人たちだ。
この基本的な対立を土台として、震災直後の、何はさておきお互いに支え合って生き延びるという、震災ユートピアという言葉があるそうだが自然発生的な、権力に依存せずに住民自身が作りだした自治コミュニティーという状況がとりあえず落ち着いた段階から、今後の生活をどう立て直すかをめぐる対立が被災者内部にも現れ始めた。そして行政は、この対立を自身に都合のいい復旧・復興を押しつけるために利用する、という構図がある。実践的にはここに悩ましい問題がある。
高台移転と言うときも、住民内部の対立が確かに生まれている。たとえば、仙台南部沿岸の閖上(ゆりあげ)地域の場合、仙台平野全体がそうだがもともと高台などはない。高台となれば内陸に五キロメートル以上入るしかない。だからここにもともと住んでいた人は、命を奪われた人たちへの思いも含めて、ふるさとを捨てる気はさらさらない。しかし今閖上地区の住民四〇〇〇人のうち約二〇〇〇人以上の人は、新興住宅地の人だ。閖上に特につながりのあるわけではないこの人たちが高台移転を希望する。ふるさとを捨てませんという人たちの復旧・復興、地域の復旧・復興と、団地の人の復旧・復興の意味が違ってきている。行政はこの状況に依拠し、これをひとくくりにこの地区の六割の人は高台移転を希望などと決めつけた上で、この地区からの住民追い出しを図る。
大内――一方で地価の問題がある。たとえば閖上の場合、行政は何もない緩衝地帯にしようとしている。そうするとそこは二束三文。ところがいわゆる高台では、名取で盛んに開発されている新しい団地の場合、少なくとも二、三〇〇〇万円だ。仙台市は、自己負担三〇〇〇万円もあり得る、と試算している。これでは移転といっても、漁業や水産加工場の復旧が進まない中でとても目途が立たない。
閖上の場合一番顕著な対立はPTAに出ている。子どもたちをこんな危険なところでは育てられない、安全なところで子育てしたい、だから高台移転。これが大義名分となる。
当事者への視点不在の混乱
亀谷――ところが高台移転はすぐできるものではない。実際的には一〇年先、二〇年先の話だ。その時には子どもは大きくなっている。
その意味では時間軸が問題なのだ。たとえば農家は、来年の三月に向けて田んぼをいかに戻すか、が問題になる。今子どもたちは分散している。子育てということであれば、この子どもたちの学校をどのようにもう一回復旧させるかが問題だ。
来年三月の卒業式をどこの学校で迎えるのか、子どもにも一人一人の時間軸がある。親は子どもの安全という点から高台移転を希望したとしてもカネがない状況だ。国がそれを出せと要求しつつも、そこに目途が立たない中で議論が堂々巡りになっている。しかし、こどもの時間軸をどうするかというところから問題を立て今の学校を再建しようということであれば、学校を高層化しそこでいのちを守るという組み立て方ができる。
仙台平野の被災地を見ればすぐ分かるが、コンクリート造りの学校や病院の建物は流されずにしっかり残っているのだ。
大内――名取の仮設住宅は大多数が山手に造られた。そうすると、閖上の小学校、中学校は、そこの学校に間借りでやっている。そういう状態があるから、親は結局転校させてそこに住もうとなってしまうこともある。
それらが諸々整理がつかないまま混乱し、本来被災者が共生すべきところで対立になってしまっている。
復興会議の構成もその混乱に輪をかけている。岩手県は基本的に県内で構成しているが、宮城県の場合はもっとも典型で、完全な外部招聘だ。復興会議自体が東京で開催されるというひどさだ。地元への視点が最初からない。自治体レベルもバラバラだ。
名取市の場合は、復興ブレーンを外から連れてこようとしたものの、選考試験問題を事前に教えるという市長の情実選定が発覚し、百条委員会設置という騒ぎになった。市長も議会も一体何をやっているのかとあきれられているが、いずれにしろ行政の復興方針は、住民の思いとまったく違うところで勝手に策定されている。
そういう形で高台移転を金科玉条に、策定の時間が引き延ばされる中、今一番問題になっているのは仮設住宅だ。仮設は二年間だから、医療とか福祉とか教育などまったく関係ない形で建てられた。そういうところで二年間生活できるかということになるが、当然生活できない。通院バス、通学バス、あるいは買い物難民になるから仮設店舗と、さまざまな要求が出てくるが、被災地の行政はとても応えきれない。
結局カネのある人、それである程度再建を見通している人たちは仮設に入らない。アパートを借りたり、自活の方針を決めて動き出している。そうできない人たち、なおかつ地域コミュニティーから切り離されたら困る人たちが最終的に仮設に、しかも遠隔地の仮設に押し込められた。だから、仮設の二年後にどうするかが、入った瞬間から問題にされている。そこで問題になる復興住宅だが、どこに建てるか決まっていない。
亀谷――それもあって仮設の人たちは、要は二年後そこから三・一一の前に戻すために何をすればいいのか早く出してくれと言っている。そしてそれはふるさと再生なのだ。
具体的検証なしに命は守れない
大内――高台移転問題に戻れば、いずれにしろひとくくりに押しつけることには無理がある。石巻から北はむしろすんなり進むかもしれない。集落が限られている上に高台もすぐ裏手、昔からの経験も蓄積されている。
その上で、高台移転の目的は人命を守るためという原点を再確認すべきだ。そうすれば、人命を守るというのは高台移転だけなのか、という形で発想を広げられる。
亀谷――そういう意味で、津波や地震で命が失われたのはなぜなのか、という検証が必要だ。津波の場合を考えれば、逃げ遅れた人もいるが、犠牲者の大半は逃げる場所がなかったということなのだ。つまり、避難する場所があれば津波が来ても人の命は助かるということだ。
田んぼでも畑でも一年は使えないかもしれないが、港であっても努力次第で二年後には復旧させることができる。そういうものは、一〇〇年に一回流されたとしても、もう一度がんばることができる。しかし問題は、家族の命を亡くした人たちが今気力を奪われているということだ。今後そうはしない、それが何よりも中心になければならない。
仙台平野は五キロメートルも逃げられなくて亡くなった人はたくさんいるが、裏山のある浜の人たちとか、石巻でも三階、四階に逃げられた人たち、仙台新港でもスーパーとか近所の五階、六階などに逃げた人たちはみんな助かっている。そういうことを検証せずに一律に津波で死亡として、人のいのちを守る復興と称して高い堤防の構築だとか高台移転と言うのは、要はいかにカネを守るか、財産を守るかの話でしかない。
大内――避難所の閖上中学校の場合、校舎の三階に逃げた人はみんな助かった。しかし亡くなっている人の多くは一階や昇降口で亡くなっている。年寄り、車椅子の人を階段で上げることができなかった。それがスロープだったらその半分以上は助かっていたはずだ。
もう一つ意識の問題がある。その時人はどう動いたかとして、NHKがドキュメンタリーで取り上げた。仮に立派なところに避難したとしても、子どもがいたとすれば親が津波の方へ救援に行く。人命救助という観点からこうした側面も重視されなければならない。 これらを含めて、普段から避難弱者をどうすべきかをまず第一に考えておく必要がある。
亀谷――仙台の郊外でも、スーパーの駐車場の外付けスロープを上って全員助かった例がある。しかし、スロープが人の命を助けるのにどれほど重要かということが全然話題になっていない。だから、仙台東部道路が逃げ場所として確保されなかったことを教訓に今度は逃げられるようにすると言うのだが、何と階段を作っている。だから、津波の犠牲者は何が原因で命を落としたのかのきちんとした検証がどうしても必要だ。
きちんと検証すれば、逃げ遅れてどうしようもなかった人はおそらく二割ぐらいだと思う。そして二割の人が逃げ遅れたのは日々の意識の問題だ。多くの人は津波の経験がないからだ。それに対しては、今度の東日本の震災をみんなが見ておき、検証を含めて語り継ぐしかない。残ったコンクリート造りの学校にしても、長方形の建物の長軸が浜に平行だったところは津波の直撃で窓などが破壊され内部もめちゃめちゃになったが、長軸が浜に直角に作られていたところの被害は大したことがなかった。そういうものを実地に検証すれば、建物の作り方も自ずから見えてくる。
その結果として、津波が来るときは高台に逃げる、そのためにスロープのある逃げ場所を用意して常に意識しておく、学校や病院もその観点から位置づけておく、そうしたことを復興の基軸にしていけば、いくらでも復興は始められると思う。学校や病院を復旧させれば人は戻ってくる。子どもを教育でき、高齢者の通院を確保できるのだから、そこに生活拠点を作ることができる。
そこを外して高台移転だとか、水につかったところには建築許可を下ろさず人を住めないようにするとか、浜の漁業を止めさせ大資本の力で大型化する、というのは震災の復興ではまったくない。
農民も漁民も地元復旧希望
――住民主体の復旧・復興という題目は建前としては誰もが語る。しかしここまでの話では、実態はそうなっていない。権力側の言う住民の意味が違う。そこで地元復興を切望する人たちの基本にある思いをもう少し掘り下げて確認してみたい――
亀谷――たとえば東松島の東名も壊滅的被害を受け高台移転と言われている。しかし現実的にそこの人たちはカキ養殖とかワカメとかの漁業関係者で、なおかつ兼業で農業やったりしている。そこで農業止めて住宅だけ移して漁業を通勤しながらやるなどとは誰も考えていない。今度津波が来たら避難所だけ準備しておけばいい、あとはもう一回海から糧を得れば間に合う、みんなこう言う。
一つは、生業と一体的に歴史的に作られ互いに支え合ってきた地域コミュニティーをもう一度希望するということだ。この人たちは一緒に仮設に入って、寒いと言いながらもストーブは使わない。やっと仮設で落ち着いたのに火事を出して迷惑をかけるわけにはいかないという意識だ。電気代を払う能力も失っているから、支援として器具はもらっているとしても電気の暖房も使わない。そういうコミュニティーへの思いが共有されている。
もう一つは生業の復旧。そのためには海を前に置いておかなければ始まらない。漁業も農業も跡継ぎのいる人はみんな地元復旧だ。たとえば東名のカキ養殖の八、九割は跡継ぎだ。しかし一般論とすれば、自分一代で終わりというところはどうでもいいというようになってゆく。そこに乗じて政府、財界含めてひとくくりに跡継ぎがいないからという言い方をする。しかし現実に、三陸の漁業は岩手も含めて、人数、パーセントは少なくなっているとしても、若者が残っているところは地元復旧、行政と関係なく復旧をやろうという動きになっている。これを無視して復旧を考えるとすれば、その意味は全然違うものになる。
大内――農家も名取、岩沼辺りは全部そうだ。四〇、五〇代の人でも農業を本当にやろうと思ったら、稲の状態を毎日見回って水の管理をしなければならないのだから、地元に残ってやるしかない。遅霜が来たり、やませが吹いたら一気にダメになる。それを車で三〇分も通うのではできない。それを集団移転と言うのは、農業をまったく分かっていないか、分かって言っているとすれば、君たち農業を止めなさい、ということだ。つまり、この間しきりに言われてきた大規模化だ。
しかし、二〇ヘクタールとか普通の農家の三、四倍も耕作しているとしても、今回のTPPには太刀打ちできない。向こうはその一〇〇倍の規模である上、日本では耕地がまとまってあるわけではない。名取市でもそういうところがある。大規模と言っても、他の農家が手放した農地の転地であり、あっちこっちと耕すのだ。政府は、政府が推進してきた大規模化、先進的農業に取り組んできた人はTPPに賛成、反対は兼業とかどうでもいい人と言うが、それは嘘だ。現実に大規模化に取り組んだ人は太刀打ちできないと言っている。
(つづく)
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