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司法をはじめとした卑怯な闇の勢力は、多くの国民の無知を
いいことに、来年春には小沢一郎を間違いなく抹殺するだろう。
これを阻止するために、私たちは口先だけではなく、あるいは
他人任せでは無く、自らの行動で立ち上がらなければならない。
それこそが小沢一郎が口を酸っぱくして説いていた「自立した人間」
ではなかろうか。もし日本人が小沢一郎を失えば、この後、日本は
官僚天国という堕落した3流国家に成り下がる。
微力ではあるが、さあ私たちも「最後の聖戦」に向けて立ち上がろう!
この聖戦の立案者である世川行介氏が涙のでるような、次のような檄文
をブログで公開しているので以下に紹介しよう。
(以下抜粋)
12月9日金曜日、午後2時。
僕は、会期末の国会議事堂前に立つ。
そこで、
声を大にして、
「頑張れ。小沢!
敗けるな。一郎!」
と、
たったそれだけを、1時間ほど、国会議事堂に向けて叫んでみたい。
と考えている。
たとえたった僕一人でも、それはやるのだが、
もしも、
僕と同じように、
「小沢一郎に届かないまでも、
自分の声援を送りたい」
と思う人がいたならば、
一人の声よりも二人の声の方が、永田町界隈に響くだろうから、
同じ時刻に国会議事堂前を散歩してくれていたら、
同じ心の人間同士は、眼を見れば、それだけでわかるものだから、
せめて、その人と一緒に、
「頑張れ。小沢!
敗けるな。一郎!」
と叫んでみたいな、
と思う。
会期末が延びたらどうするんだ?
と思う人がいるかもしれないが、
それは向こうの勝手で延長するだけの話だから、
僕は、9日を、今年最後の国会、と思って、
その日、12月9日に、
この一年間、いいことの一つもなかった小沢一郎に、
僕だけの激励の言葉を送る。
振り返って見るなら、
この一年間って、
小沢一郎にとっては、
あまりにもひどい、踏んだり蹴ったりの一年ではなかったのか?
小沢一郎という政治家の存在の重さを認めている僕には、
かれにこのままで年を越せというのは、少し可哀想過ぎる、
と思えてならない。
だから、
せめて、
政治家としての年の瀬の会期末に、
「小沢一郎さん。
来年はいいことがありますようにね」
との思いを籠めて、激励の言葉を送ってあげたい。
でも、その日、小沢一郎は国会議事堂の中にいるのか?
と疑う人もいるだろう。
もっともな話だ。
確かに、小沢一郎は、国会にも出ないで有名な男だ。
その日、国会にいないかもしれない。
しかし、
もしも、僕と同じ思いの人が、
たまたまその日、200人でも、偶然同じ国会議事堂前を散歩していて、
たまたま同じ時刻に、
「頑張れ。小沢!
敗けるな。一郎!」
と、大声で激励したとしたならば、
いくら無愛想が定評の小沢一郎でも、
議員会館から飛び出してきて、
激励の声を上げた皆に、笑顔の一つでも見せてくれるだろう。
それを信じよう。
小沢一郎に自分たちの声が届くことを信じよう。
何故なら、
六本木でも、
小沢一郎は、僕たちたった100人ほどのために、
車の窓を開けて、手を振ったではないか。
あの夕べ。小沢一郎の笑顔は、傍目にも美しい笑顔であったではないか。
あの小沢一郎を信じよう。
僕たちは、何も、大きな事をしようとしているのではない。
「激励」という、実にちっぽけな行為に、自分たちの思いを籠めようと
考えているだけだ。
たったそれだけのことだ。
でも、
そんな小さな行為でも、小沢一郎にとって、少しくらいは意味を持つかもしれない。
少しくらいは、彼の<希望>につながるかもしれない。
その可能性を信じてみよう。
だから、
平日の午後だけれども、国会議事堂前を、散歩してみよう。
そして、小さな声をあげてみよう。
戦後の歴史をひもとけば、
いまだかつて、
国会議事堂前で、
糾弾や抗議の声はあがったことはあっても、
一政治家への激励の声があがったことはなかったはずだ。
小沢一郎を、そんな政治家の第一号にしよう。
それが、僕たち名もない平成大衆が小沢一郎に手渡せるたった一つの
花束なのだ、と思おう。
僕は、いま、
そんな、小沢一郎に「献花」する一人になりたい、と、
切実に思っている。
最後に、
欲張りを言うならば、
そんな一人が200人くらいいたなら、
きっといいだろうな。
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