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ネットを見ていると、橋下徹に対して好意的で肯定的な待望論が目立つ。4年前の府知事選のときは、歯に衣を着せぬ辛辣な言葉で橋下徹を叩いていた諸Blogが、今回は一転して、「改革」を断行する手腕に期待する論調と評価になっている。それは、一般には左派系と目され、過去にはネット右翼から中傷攻撃の標的にされ、そして、小沢信者の筆頭格のようなBlogである。空気が変わった。いわゆる小沢信者系で左派系のBlogは、その言論活動の原点を小泉批判に持ち、小泉改革に対する悪罵を常套句とするのが特徴だが、その彼らが、橋下徹への待望論を公然と言い出していて、何とも面妖であり、昆虫のグロテスクな変態過程を観察させられている心境になる。小泉劇場と呼ばれる郵政選挙は、わずか6年前の出来事だ。それを忘れるには、あまりに時間が経っておらず、市民の記憶に生々しい。ダブル選挙の派手な演出、「抵抗勢力」の擬制と攻撃、公務員への敵意と復讐の扇動、「大阪都」のワンフレーズ。政治の手法も、政策の中身も、まさに小泉純一郎の生き写しではないか。6年前の同じ芝居を違う役者が演じている。台詞は同じ。「独裁の英雄」も同じ。騙されて恍惚となる群衆も同じ。さらに、橋下徹の「教育基本条例」の政治は、小沢信者左派が不倶戴天の敵としていたところの、まさに安倍晋三の反動の再現と再生そのものである。
今回、民主党も支持候補が敗れたわけだが、おそらく、野田佳彦も、前原誠司も、玄葉光一郎も、内心で負けたとは寸毫も思っていないだろう。自分たち(塾生)の応援する同志が勝ったと喜んでいるはずで、橋下徹と「維新の会」の圧勝を歓迎し、爽快な気分に浸っているはずだ。それは、石破茂や石原伸晃も同様だろう。彼らの感想は、私と同じで、これで改憲に一歩近づけたという達成と前進の実感である。橋下徹の「教育基本条例」は、彼ら(右翼)が、全国で展開したい教育行政のモデルだ。彼らにとっての思想的親近感は、平松邦夫よりも橋下徹に対しての方が大きい。平松邦夫が勝つよりも、橋下徹が勝つ方が、彼ら(野田・前原・玄葉・石破・石原)の目指す政策はずっと進めやすい環境ができる。橋下徹のシンボルを利用して、右翼新自由主義の諸政策を正当化できる。今後、マスコミは、何かの政治争点が浮上した折には、橋下徹をテレビ出演させ、世論を操作するようになるだろう。現在、政治マスコミは、消費税の問題で政局が起きると言い、亀井静香と小沢一郎が新党を組み、橋下徹と接触して政界再編する絵を描き、世間一般に妄想を掻き立てさせている。そして、その怪情報に小沢信者が幻惑され、政局待望の心理で小躍りして引き摺られ、小沢一郎の内意を忖度して、先回りして橋下徹支持へと傾いている奇怪な状況がある。
小沢一郎が、消費税を材料に政権を揺さぶっているのは事実だし、消費税増税に国民の反発が強く、財務省のフリーハンドで結論が行き着くかどうかは微妙だが、少なくとも、消費税で橋下徹が小沢一郎や亀井静香と組み、保守新党を立ち上げて政界再編を起こすなどという動きは想定できない。あり得ない幻想だ。消費税に関しても。TPPに関しても、橋下徹の政策思想は、松下政経塾の新自由主義と近いのであり、亀井静香の反ネオリベからは遠いのである。それは常識の範疇だ。今回、小沢一郎は新党について公の場では口を開かず、亀井静香をスポークスマンにしているが、もし、小沢一郎が橋下徹に接近を試みようとしたのが事実なら、むしろ、これは小沢一郎の政策思想の変節の契機として看取するべきで、左派系の小沢信者は、要注意で検証しなくてはならない問題と言えるだろう。今年に入ってからの小沢一郎は、明らかに昨年までとは態度を異にしている。3月の震災に何も対応をしなかったこと。5月の浜岡停止に砂をかけ、脱原発を妨害するように政局騒動に狂奔したこと。秋のTPPの政局で何も動かず、TPP参加を素通りさせたこと。昨年までの小沢一郎なら、震災復興で先頭に立ってよく、脱原発の旗を振ってよく、TPP参加阻止に動いてよかった。今年の小沢一郎は、単に資金問題の保身に汲々としているだけで、国民の期待を裏切り続けている。
昨夜(11/28)は、テレビ報道がずっと大阪都構想の話をしていて、それに付き合う羽目になった。大阪府と大阪市のサイズのバランスを考えると、市を廃止して府と一体化し、二重行政を省いて効率化するという案は、一見して、それなりに合理的で説得的なようにも感じられる。ただ、この構想は橋下徹のオリジナルではなく、20年前から歴代の首長が提示していたアイディアだということで、そう言えば、4年前、橋下徹が府知事選に出たとき、大阪都構想が公約や争点になって話題になった記憶がない。つまり、他人のパクリであり、選挙戦のネタなのだ。山口二郎によれば、大阪都構想そのものがどんどん中身が変わっているのだと言う。マスコミの報道も、橋下徹の大阪都構想については、異口同音に、具体的な中身が明確になっていないと論評、府と市を一つにしたところで、行政経費は削減されたとしても、市民や府民の所得増加に繋がる経済発展の具体像は不明とする懐疑的な見方が多かった。経費を削減した分を何に投資し、どうやって大阪を再生するのか、何が大阪の再生なのかについて、どうやら橋下徹はコミットしていない様子で、単に赤字縮小の財政そのものを短期目標としているように見える。さらに、4年後の市長選には出ないと早々と公言していることから、経費削減をやった時点で、地方自治法の改定は国の責任に預けて、「成果」を持って国政に出る魂胆だろうとも推測される。
大阪都構想に最期まで責任を持つ覚悟はないのだ。「大阪都」が国の法律で制定された時点で、「大阪維新の会」を解散するというのも、何ともテンポラリーで軽々しく、この政党が一過性の道具の要素が濃く、選挙で集票する便宜的装置であることが分かる。本来、制度は手段であり、大阪の再生とか市民の幸福が目的ならば、「大阪都」の器を作った後で、その器に何を盛り込むかが課題だろうし、器の完成は出発点であるはずだ。しかし、それだけ大雑把で曖昧な大阪都構想でも、大阪の市民は支持し、橋下徹の「改革」に期待票を投じた。商売のセンスが日本一である大阪の人間が、こういう詐欺に簡単に引っ掛かるのは、見ていて何とも不思議な感じがするし、小泉純一郎の「改革」に熱狂した失敗と火傷から、一体、何を学んだのだろうかと訝る気分を強くする。理由を探せば、一つには、それだけ、大阪市職の腐敗と退廃というものが大きく、市民の憤懣が積もり重なっている事情があるのだろう。府職だか、市職だか、具体的な事件の中身は忘れたが、大阪の行政の病弊の問題は、久米宏のニュースステーションの時代からよく特集されていた話題で、聞きながら、久米宏と一緒に呆れて首を捻ることが多かった。20年以上前の話だ。大阪の再生。昨夜(11/28)のNHKのNW9は、市内の家族経営の居酒屋で働いている若者が、橋下徹の街頭演説を聞き、期待を託して一票を入れ、大阪を再生して欲しいと言う場面があった。
いかにもNW9らしい狡猾な演出で、橋下徹の勝利の意義を強調する報道だった。橋下徹に批判的な側は、大阪を再生するためには、行政機構の器をいじるのではなく、何より企業の流出を止めることが第一だと言っている。正論だと思う。私は、前に会津遷都論の国土構想を論じたが、その観点から言えば、東京一極集中の流れを止めることができれば、大阪の企業流出の問題も自ずと解決の展望が開けるのである。大阪の地盤沈下という問題は、かなり以前から指摘されていた経済問題だが、特にバブル経済が始まる頃から喧しく言われ始めた。大阪で花博が開催されたのは1990年。バブル経済のピークの時期であり、これを仕掛けたのは(またしても)堺屋太一だが、大阪で花博が開催されるに当たっては、東京への一極集中で大阪の地盤沈下が甚だしく、それに少しでも手当てするという意味があった。バブル経済の時期は、東京への一極集中が猛烈に進み、その弊害が言われ、その反省から対策として遷都論が論壇で起きた時期であり、バブル経済崩壊後に、いわゆる「首都機能移転」が本格的に政策論議されるようになる。私の会津遷都論は、その当時の議論環境の延長線上の提案だが、大阪の再生についても、簡単に言えば、遷都で東京一極集中を排し、地方に人口と産業を移動させ、国土の均衡発展を政策することで、大阪の再生は実現へ方向づけられると確信する。東京一極集中への批判なき大阪再生論は、基本的に意味がなく、実現も不可能だ。
大阪の地盤沈下は東京一極集中とセットの問題である。地盤沈下は、大阪だけの問題ではなく、東京以外の全ての地方都市の現象であり悩みである。心配なのは、これから橋下徹が、道州制と外国人移民の突破口を大阪で策動し始めることである。例えば、大阪市と大阪府を特区にして、外国人労働者の出入りを自由化する規制緩和をせよと言い出す。TPPに先駆けて、大阪で外国人移民を受け入れると言い出す。外国人労働者で地域を活性化し、大阪を再生すると喚き出す。先に自治体で先例を作り、既成事実を作ってくれたら、政府と経団連にとってこれ以上ありがたいことはない。同様に、法人税について、消費税について、税率は大阪が独自に決めると言い、特区にして、法人税率を下げて企業を誘致すると言う。特区という魔法の杖を駆使して、道州制を事実として作ってしまう。住民投票でそれに賛成の民意を作り、あるいは国会議員を立てるぞと脅し、マスコミを使い、世論を煽り、大阪を規制緩和の独立王国にする。当然、既存企業を奪われることを恐れる各県は、法人税率を下げる競争に走り、独自の道州制に走り始める。私が恐れていることは、教育基本条例もあるが、こういうシナリオが現実になることだ。橋下徹が描いているのは、税と社会保障と教育で、大阪だけ全国とは別建ての基準を作り、特区方式で制度の規制緩和を進めることではないか。大阪で先行して試行し、マスコミで宣伝し、それを全国に敷衍させる。その方式を定着させられれば、地方の新自由主義者の首長が政策を決定し、国会や政党の議論を経ずに制度改定が決まって行く。事実上の道州制が下から回り始める。
国会と法律は意味がなくなる。
http://critic5.exblog.jp/17127013/
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