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「大阪都構想」を実現すべく「W選挙」に打って出た橋下徹前大阪府知事。今やナニワの独裁者≠ニさえ呼ばれる男の前では、対抗馬も府知事候補も全てが小粒に映る。早くも、ワンマンショーでちっとも笑えない「ハシモト新喜劇」の様相を呈しているが、本誌はその独裁者の原点に迫った!
「今の日本の政治に必要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ」
橋下徹前府知事(42)がこう怪気炎を上げたのは今年6月のことだった。
それから4カ月後の10月23日、正式に橋下氏は府知事を辞任し、大阪市長選挙へ出馬することを表明した。受けて立つのは、現職の平松邦夫市長(62)。事前の世論調査では、平松氏が追い上げを見せている。しかし、橋下氏の府民人気はダントツ。優勢であることに変わりはない。
このままナニワの独裁者≠ニなりそうなのだ。
では、その独裁者のルーツはどこにあるのか。
まず、橋下氏の生い立ち。公式HPのプロフィールには、生年月日の横に「東京都出身」とだけ記されている。次の項目はいきなり「大阪府立北野高校卒業」となる。生まれてからの18年間はまるで空白であるかのような記述。そのため、諸説が飛び交っていた。
そこに一つの回答を出したのが、月刊誌「新潮45」11月号だった。「孤独なポピュリストの原点」と題された記事で、実父がヤクザであったことが報じられ、大きな反響を呼んだ。
その記事を執筆した上原善広氏はこう話す。「過激な発言と強引な政治手法で、府民から圧倒的な支持を得ている橋下さんは、今や強大な力を持つ政治家となっています。その本質に迫るには、やはり橋下さんの生い立ちを知る必要があると感じました」
上原氏は被差別部落の出身者であることを公表しているノンフィクション作家。部落問題を中心に文筆活動を行っている。
取材を開始するきっかけは、08年の府知事選挙中、橋下氏の八尾市内での街頭演説発言だった。
「私は安中地区に住んでいました!」
八尾市の安中地区には、いわゆる同和地区が存在している。その一方で、橋下氏は安中地区ではない同和地区に住んでいたことが判明している。また、「同和ではなかった」と語ったとも言われていて、その謎を解明しようとしたのだという。
「橋下家がいつ安中に移り住んだのかは、結局はわかりませんでしたが、そこにある墓所には橋下さんの三代前の曾祖父の名前もありました。そして、橋下さんの父親は安中の生まれで、同和地区の出身者であることがわかりました。その父親の知人らからは、『あれは酒梅組のヤクザで、背中にモンモン(入れ墨)を入れとった』という話を聞いたのです」(前出・上原氏)
いまだに残るいわれなき差別。それゆえに、職業に就くこともできず、ヤクザ者になる者が少なくない、そんな厳しい時代のことだ。
「複数の人間から、『父親はヤクザだ』という話を聞きましたが、半信半疑でした。しかし、橋下さんの父親の弟、つまり叔父にあたる人物に取材ができて、確信しました。その叔父は『ワシも兄貴も同和や。同和やいうのに誇りを持っとった』と話し、『酒梅組やない、わしも兄貴も土井組の組員やったんや』とも話したのです」(前出・上原氏)
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