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精力的に小沢一郎の支援活動を行っている作家の世川行介氏が12月に自費出版する「角栄と一郎」のあとがきの中で「何故、一郎にこだわるのか」を熱っぽく語っている。小沢一郎を支持する私にも納得できる点も多いので一部、紹介する。
<あとがき引用>
<小沢一郎>は、さまざまな意味で、平成という時代の象徴的存在だ。
ぼくは、若い日、吉本隆明という文学者にして思想家の言説にはげしく
惹かれて、生きた。
その吉本隆明が、一七年ほど前に、
ここ十年十五年までの間に限って言えば、小沢一郎の意見に僕は異論は
ないですね。現状のように「体制―反体制」の対立や左翼性が消滅した
時代が続き、その都度の「イエス・ノー」が時代を動かすことになるんじゃ
ないでしょうか。
(『わが「転向」』)
と書いているのを眼にした時、ぼくは、思想家吉本隆明が、日本思想の
一部分を政治家小沢一郎に託したのだな、と理解した。
それからのぼくは、小沢一郎を、それまで以上に注意深く見つめてきた。
面白いな、と思った。
政治家小沢一郎に対するバッシング、つまり、嫉妬、中傷、誹謗、悪態、
反発…、それらは、かつて、既成左翼陣営が、吉本隆明に投げつけたもの
と、まったく同じ質のものだった。寸分も違(たが)わない。
しかも、それらに立ち向かう小沢一郎の姿が、これがまた、昭和後期の
吉本隆明の姿と、そっくりだった。吉本隆明の詩句を借りるなら、
ぼくの孤独はほとんど極限(リミット)に耐えられる
僕の肉体はほとんど苛酷に耐えられる
僕がたふたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
(ちひさな群れへの挨拶)
といった姿勢だった。
いいな、と思った。
この男、いいぜ、と思った。
吉本隆明といい、小沢一郎といい、彼らをつぶしに向かう陣営とは、
僕流の言い方をさせてもらうと、<日本的なるもの>だった。
吉本隆明に対する<日本的なるもの>からの攻撃も、醜悪で、執拗で、
低級なものだったが、それでも、左翼思想の存在が認められていた時代
だったから、その戦いは、ある程度の見識や教養の基盤の上でなされていた。
しかし、小沢一郎の歩きつづけた場所は、すでに、左翼思想は崩壊し、
新しい思想はいまだ誕生せず、汚れた土石流でドロドロになったような
曠(あれ)野だった。
そして、そこで格闘をつづける小沢一郎を襲う<日本的なるもの>は、
そんな時代に見合ったような、偏執的な嫉妬、際限を知らない無教養、
論理を持たない憎悪…、といった種類のものだった。
政治家は、政治の担い手であって、思想の担い手ではない。にもかかわらず、
小沢一郎は、政治家でありながら、日本思想の一部分までになう役割を
押しつけられている。これでは、彼が、あまりにも不憫ではないのか?
何故、彼一人にそのような苦役が押しつけられなければならないのか?
<時代>を小沢一郎独りに背負わせて、それでいいのか?
僕が、<小沢一郎>にこだわり続けてきた一番の理由は、ここにある。
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