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大阪のダブル選挙は、予想通り大阪府知事選では松井一郎、大阪市長選では橋下徹の圧勝に終わった。昨夜は午後8時にこの2人の「当確」が報じられることはほぼ間違いないと確信していた私は、その時刻を期して『kojitakenの日記』に予定稿を書き上げておいて、8時にNHKテレビが松井と橋下の当確を報じたテロップを出したのを確認した2,3秒後に同ブログに「橋下徹・松井一郎ダブル当確! まさに『20時の惨劇』! やはり時報と同時だった」と題した記事を公開した。
さらに、「橋下徹一派圧勝だが、今回は『愚民』云々と書く気にはなれない」と題した記事を公開したが、これがどこかのサイトにリンクを張られたらしくてアクセスが殺到し、大ブーイングを浴びた。私としては、石原慎太郎を投票させた東京都民を「愚民」呼ばわりして非難した今年の4月とは違って、非難を抑えた筆致で書いたつもりだったのだが、それでも(都知事選の時とは比較にならないほど弱かったとはいえ)ブーイングを浴びたのだった。コメント欄で、
呆れるほど独自視点ですね。これほどまで全く同意できないエントリーも初めて見ました。
と呆れられた上、熱湯浴のTwitterには
ざまあみろ!お前が考えてるように世間は動かないんだよ。悔しかったら祖国に帰りなさい
と嘲笑されたが、こんなコメントやTwitterを見るとアドレナリンが分泌するのが(佐野眞一みたいだけど)私の「習い症」であって、こいつらのおかげでこのところ更新が滞っていた当ブログを月曜日の朝に更新する気力が起きたというわけである。
大阪ダブル選挙への論評については、昨日の『kojitakenの日記』にずいぶん記事を書いたが、当エントリでは橋下徹にすり寄る醜態を演じた「既成政党」及びその政治家に対する批判に論点を絞りたい。
橋下徹は今回の選挙を「既成政党対『大阪維新の会』」だとする対立構図をでっち上げ、それをマスコミが鵜呑みにして宣伝するという醜態を演じたが、既に多くのサイトで指摘されているように、今回の選挙はそんな構図では全くなかった。それどことか、無党派層と比較しても民主党や自民党の支持者の方が橋下徹に親和的なのではないかという疑念を、昨日『kojitakenの日記』の記事「濱口桂一郎氏のブログ記事『これぞリベサヨ?』はやはり『トンデモ』だった」に書いた(なお、この記事はタイトルと記事の主旨がかなり隔絶している。書き始めた時の意図とは違う記事になってしまったためだが、あえてそのままにしておいた)。
その「既成政党」たる民主党、自民党、みんなの党、国民新党といった「保守政党」の政治家たちが、大阪ダブル選挙の期間中を含めて橋下徹にすり寄る発言をしたことはマスメディアにも報じられている。具体的な人名を挙げれば、小沢一郎(民主党)、原口一博(同)、石原伸晃(自民党)、渡辺喜美(みんなの党)、亀井静香(国民新党)らである。
これらのうち、私にとって衝撃的だったのは亀井静香だった。というのは、上記5人のうち亀井以外の4人は、小沢一郎を含めていずれも「小さな政府」を志向する人たちであり、橋下と親和性が高いのは当然だと思っていたのだが、「反新自由主義」系の右派だとばかり思っていた亀井静香までもが橋下一派を糾合した新党構想を口にしようとは予想していなかったのだ。
現実には、その少し前に亀井静香が国民新党として橋下を支持すると明言したほか、亀井の新党構想がささやかれていたこともネットで知っていたのだが、それらはたとえば産経新聞などの願望を文章にしただけの「飛ばし記事」だろうと高をくくっていたのだった。まさか記者会見で亀井が言い出そうとは予想していなかった。
しかし、この一件で「亀井静香は馬脚を現した」と私は思った。2005年の「郵政解散」直後に小泉自民党の後任が受けられず、それどころか刺客を送られて自民党を離党した亀井静香だが、それでも「反新自由主義」は亀井の思想信条などではなかったのである。それが証拠に橋下ばかりではなく河村たかしらの「減税日本」すなわち「日本版ティーパーティー」に対しても亀井は秋波を送った。それどころか石原慎太郎を党首にするなどとほざいていた。もちろん、そんな人たちと一緒になるメリットよりデメリットの方がはるかに大きい橋下は、亀井の誘いを歯牙にもかけなかった。
亀井とは別ルートで橋下との連携を模索しているのは小沢一郎である。小沢は側近に「橋下とはつかず離れずでいけ」と支持した、と先日の朝日新聞に出ていた。露骨に橋下にすり寄るのは、もともと新自由主義政策を掲げる点で橋下と近い「みんなの党」の渡辺喜美だ。自民党では石原伸晃や田野瀬良太郎が橋下にラブコールを送っている。要するに、中央の保守政治家たちが雪崩を打つように橋下へ橋下へとなびく現象が見られたのである。
私は2008年にはよく橋下批判の記事をブログに書いたが、最近はあまり橋下を取り上げなかった。それは、2008年に橋下が行なった2つの悪行によって橋下の本性は私にとってはあまりにも明らかであって、ことさらに橋下批判を書く気力が起きなかったためだ。
2つの悪行のうち1つは、橋下がテレビで大阪の私立高校生と本気で論戦し、高校生たちを泣かせた件だ。この件に関する問題点については、『kom's log』の2008年10月27日付エントリ「ボクタチの闘争」に書き尽くされているので、同エントリ及びそこからリンクされている『Transnational History』(旧『dj19の日記』)の同年10月24日付エントリ「橋下知事『日本は自己責任が原則』…私学助成の不安を訴える女子高生を泣かす」をご参照いただきたい。
もう1件は、当ブログの2008年9月20日付エントリ「一度に346人の府立高校非正規職員の首を切る橋下徹」で取り上げた件である。橋下の悪行は題名の通りだが、このとき驚いたのはこのエントリについた「はてなブックマーク」で大阪人と思われる人たちから大ブーイングを浴びたことだ。
この2件で思い知ったのは、橋下の徹底した「弱者切り捨て」の政治である。最近一部の週刊誌で報じられたように、橋下は逆境をはね返して這い上がった人間だが、往々にしてそういう人物が弱者に対して苛烈な政治を行うことが多いのは残念なことだ。橋下はその典型例である。
亀井静香にせよ小沢一郎にせよ、こんな人間と手を組もうとしたこと自体、「郵政民営化反対」だの「国民の生活が第一」だのといったスローガンは、有権者を騙して権力を握ることだけが目的の煽り文句に過ぎなかったと批判するほかないだろう。橋下の「カイカク」はまず弱者から搾り取ることから始まるのである。
あとは「独裁」と「恐怖政治」。今回、「大阪都構想」とやらで選挙民を釣った橋下だが、橋下の本質は「教育基本条例」にこそある。今後の大阪が阿鼻叫喚の修羅場となることは間違いないが、その橋下を選びとったのは大阪市民であり、橋下一派の松井一郎を選びとったのは大阪府民である。思わず「自己責任」と言いたくなるが、大阪には橋下(一派)に投票しなかった人たちも大勢おり、その人たちにまで橋下の悪政のしわ寄せが行くと思うとやりきれない。
何が橋下(一派)の圧勝を許したのか。保守政治家もあるだろうしメディアもあるだろうし「強そうな者、頼れそうな者」にすがる、「小沢信者」にも似た橋下支持者たちのメンタリティもあるだろう。この問いに対する答をこの記事で出すことはできないが、一つだけ思うのは「もう日本は行き着くところまで行くしかないのか」とい思いである。上記『kom's log』のエントリ「ボクタチの闘争」の冒頭部分に書かれている下記の文章が重みを増してきた。
バカだ、と一蹴すればよい話なのだが、そういっていられるのは実は今日明日の話であって、今後15年ぐらいのスパンで考えれば一蹴するわけにもいかぬ症状である。
それからたった3年が経過しただけで、事態はここまで悪くなってしまった。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1229.html
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