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高校卒業後、橋下氏は早稲田大学に進学。94年に司法試験に合格し、97年に弁護士登録。大阪の樺島法律事務所に入った。
この若手弁護士時代から、橋下氏は独裁者の片鱗を見せていた。それは、金への執着という面だ。
橋下氏のボスであった弁護士、樺島正法氏が言う。
「橋下くんは、事務所の事件もきちんとこなしていました。でも、話をすれば『○○弁護士は何億円儲けた』とか、『弁護士以外の仕事でも稼ぎたい』とか、とにかく金の話ばかりでしたわ。結局、10カ月ほどしかおらんかったけど、その間、若手企業家をたくさん事務所に連れてきてね。とにかく金になる仕事はないか、企業の顧問のクチはないか、という感じやったね」
そして、独立を果たした橋下氏は、示談交渉をまとめることを得意とする弁護士として知られた。多くの多重債務者を泣かせてきた商工ローン会社の顧問にも就任している。
また、「週刊新潮」が弁護士時代の橋下氏は「ちょんの間」密集地の飛田新地の守護神であったことを伝えている。顧問ではないが、経営者たちの法律相談に乗っていたというのだ。
弱者をくじき、金儲けに猛進する。歴史上の独裁者のエピソードのくだりのようではないか。
その後、タレント弁護士として、橋下氏は芸能界に進出。絶頂期には年収3億円はあったとも言われる。
当然、遊び≠フほうも、独裁者然としてくる。
ある在阪の企業経営者はこう話す。「当時の橋下さんは番組で共演していたやしきたかじん(62)に連れられて、よく北新地の高級クラブ『O』や『D』に出入りしとったわ。一晩で10万以上の金を落としとったね。特に『D』のホステスとは仲よくて、『あそこに愛人がおるんとちがうか』言われておったほどですわ」
それだけではない。本誌は、橋下氏が府知事就任直後にヘルス遊びの実態を報じている。
梅田のファッションヘルス「X」で、お相手をしたAちゃんは本誌にこう答えていた。
「03年頃から、月1回のペースで来店してくれたけど、橋下さんはいつも決まって3Pコースだった。時間内は、2人の女のコに上と下を責められっぱなしだから、基本的には受け身でしたね」
どこかの国には「喜び組」なるものが存在する。ハーレムを味わいたくなるのも独裁者の特徴の一つである。
もちろん風俗遊びが悪いわけではない。ましてや、橋下氏の夜の街での交遊が女性スキャンダルに発展することもなかった。
橋下氏を知る民放局関係者が言う。
「橋下さんはとても警戒心が強い人でしたからね。遊ぶにしても、プロの女性だった。パパラッチに写真を撮られるようなヘマはしない。これは、芸能活動のマネジメントの業務委託をしていた芸能事務所の社長との約束でもあったんです」
府知事就任後は、ぱったりと夜の街から姿を消した。これも、橋下氏の強い警戒心の表れなのだろう。
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