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http://www.kyudan.com/toukou/amano17.htm
2009年 9月に書いたもの。
小沢一郎に対する評価は極端に分かれる。
肯定する人たちは、しっかりとした「国家観」を持っている唯一の政治家としてそれに期待を寄せる。 この点については小沢を否定する人たちの多くも認めるところである。 さらに言えば誠実な人柄に感銘を覚える。
他方で小沢を蛇蝎のごとく嫌う人々も多い。 その人たちは彼の強引な手法、その人の思想による好悪の感情が露で取り付くしまがない態度を指摘する。 また自分勝手で約束を平然と反故にする身勝手な人間であると言う。
彼に接したこともない私が言う小沢論は想像の域を出るものではないが、それでも情報を駆使し言動を注視することで、誠心彼に近づきたいと願うものである。
私が彼に注目したのは、25年くらい以前のことです。 自民党の大物として浮上してきた彼がテレビで対談しているのを見たときからです。 大体大物政治家と言うのは、やけに老成ぶって司会者の問いかけにまともに答えようとしない輩ばかりです。 そんな中で小沢は司会者の問いかけに、はにかみながらも自分の哲学で答えようとしていました。 くだんの老成やろうにしては、青臭い奴だと軽蔑の対象であろうが私は彼の中に誠実を見ました。
以来無条件にファンとなってしまったのですが、その時点で彼がそんなに大物とも意識せず、また大物になるとも思いもしませんでした。
その後幹事長として、例の次期総裁選びで3人の候補者を事務所に呼びつけて面接したなどと言う問題行為が云々されたときなども、確かに思いも寄せない彼の一面に吃驚もしました。
しかしながら政治家としての国民に対する思いの念は、最初に受けた印象を裏切るものではありませんでした。
そうこうしている内に自民党を飛び出すことになりました。 私自身驚愕的に受け入れた行為です。 そのとき政治家小沢に対する信頼は不動のものとなりました。 小沢はその判断について最初から現在まで、日本に政権交代を実現するための言い切っております。 自民党の中枢にいながら、政治家としての頂点、総理大臣の座を手中にしながらの決意はまさしく己の栄華よりも日本の改革を優先した判断です。 小沢は自民党政権の中枢にいながら自民党政治の欠陥を読みきっていたのです。
今になっても、小沢の経歴の中に自民党の中枢にいたことをあげつらう人がいます。 政治家として、また本当に有能な人間が自然とその組織の中で有用な地位についた事に何故不審を抱くのでしょうか。 自民党の中で何も出来ない優柔不断の大人しい人間が国家の変革を目指せるとでも言いたいのでしょうか。 能力のある小沢だからこそ、何処でも力量を発揮し、かつ自民党を飛び出ることも出来たのです。
その後の小沢の歩みは、折角の細川政権を瓦解させるなど悲劇的に推移し、結果は「壊し屋」などの名称を受けることになりました。 小沢が持ち続けている理想論が原理主義となり、仲間に性急にそれを要求した結果が体制を再び逆転させることになったのです。
結果から見て、此処では確かに小沢の性急せいは不適切であったと思います。 政治の世界、人間の世界は何処までも理想的には推移しない事実を突きつけられてしまったのです。
その分小沢は政治の社会を甘く見ていたのでしょう。 しかしながら、その後十年の臥薪嘗胆、紆余曲折を経ても小沢の信念は微動もしてないことは明白です。
最初に挙げた小沢を蛇蝎する人たちの言い分に彼の傲慢、身勝手がありますが、逆に考えて彼が、物分りの良い、すぐに妥協に応じる紳士である事が国民にとってどれほどのメリットになるのでしょう。 それは小沢の周りにいるライバルから見た評価でしかないのです。 その証拠に、小沢の国民に対する態度は常に誠実であり常に腰の低い態度を貫いています。
小沢のHPなどでも証明できます。 数ある政治家のHPの中で主張者に返事をよこすHPがあるでしょうか。 現在はアクセスが多すぎてやってはいないと思いますが、以前は本人か秘書かは解りませんが短いコメントをつけて随分と後になっても主張に対する返信がありました。
そこで民主党若手の悪口を書いてみましたが、返信には有能な若手も随分と育っているので今後に期待して欲しいと返信があったこともあります。 私は小沢に政治家を見ております。品行方正な一般人を要求しているのではありません。 国民に何をしてくれるかを基準に評価をして信頼しています。
25年前に聞いた、はにかみながらの青臭い書生論をとつとつと述べる小沢を信頼しているのです。
年齢を重ね、今では決して気鋭の政治家とも言えませんが彼の心の中には、青春に気概に満ちていることを信じています。 要領の良い政治屋ではないのです。 政治家として豪腕なくしてどうして理想が貫けるのでしょう。 政治とは殺し合いと極論する人もいます。
歴史的に見ても大きな政権争いは命がけです。 良いも悪いも小沢の全てがなければ大きな政権交代など出来ません。 小沢とは、そうした使命の元に存在する政治家と思っています。 私は、なお一層の激励を小沢に送りたい。
(2006年、小沢が民主党代表に就任したときの地方紙に載った小沢評)
小沢民主党の出現でやっと政治の対立軸が確定し、政治というものが本来の姿を取り戻した 小沢は国家ビジョンを明確にもつ数少ない政治家であり、その出現は時代の要請であると感じる。
風の吹くままに帆を張って右顧左眄して進むヨットのような政治屋から見れば、なるほど理念に裏打ちされ、豊富な政治経験から繰り出される政治手法は「豪腕」と映るであろうし、そのような理念も覚悟もない者たちからすれば、「政権交代こそ真の改革である」を持論として「去るものは追わず」でひたすら二大政党制の具現をめざした故の道程は、たしかに悲劇的ではあったものの、その生き様をして「壊し屋」としか批評出来ないのは至極当然のことであろう。・・・
政治を手段として、政党を目的化した大多数の政治屋には、政治を目的として希求する「小沢」という政治家は、異質でモンスターのような存在にしか映らないであろう。その意味で「小沢」の視線には、常に逆襲を伺う狡猾さが不気味につきまとい、その不敵な面構えは「権謀策術」や「手練手管」というイメージを背負った者ゆえのもののように見えるのだろう。「小沢」の動き次第で、昨年の総選挙における小泉の大勝利が逆に「あだ」となり、次期自民党の新総裁が新総理につけない事態も決して空想ではないであろう。
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